アブラマシマシ

鼻水が止まらない。

身体から全ての水分が

無くなっても尚、

この鼻水は止まらないのでは無いだろうか。

ニュージーランドで発生する

メタンガスの約半割りを

羊のげっぷが占めるらしいが、

人間から出る鼻水も

負けず劣らずの勢いで

石油の消費量を占めているのではないかと、すら思えてくる。

テッシュがどれだけあっても

足りる事は無い。

風邪引けばアラブが儲かる

である。


羊の話をもう1つ。

彼等が毛を刈られた後

どうなるか存じているだろうか。

自分の身体を倍にも膨れ上がられる程の毛を刈られては寒くてどうのしようもないのでは無いかと、寝る前に気になって調べた事がある。


別に羊の数を数えていた訳ではない。


冬に毛を刈られる羊達は、

数日で皮下脂肪が2倍になるそうだ。

僕にもこの機能があれば、

今頃鼻を垂らしながら、

ブログに勤しむ必要がなかっただろうに。


先日居候先の老紳士(名をキースと言う、今後もしばしば登場する為覚えておいて頂きたい)と話している時に、

彼が最近は便利になり過ぎて、

逆に不便だと言った。

彼は元々BBCニュースの

ブロードキャスター

長年勤めていたのだが、

現在は引退し、フリーで

演技や発声の指導をしている。

僕も彼の意見には同感で、

能動的に全てを調べられるが故に、自分の興味のない事が入ってこないのである。

オンラインニュースでは

自分が閲覧した記事に沿って

見出しがカスタムされる為、

極めて狭い範囲での情報となる。

新聞ではそうはいかない事は

言わずもがなであろう。

音楽等もそうで、

ラジオではチャンネルによって

ある程度のカテゴライズはされているものの、自ら手紙を出さない限り、能動的にDJによって音楽が掛けられる。


これがYouTubeではそうはいかない。

やはりユーザーの嗜好に合わせて次の曲が決まり、

且つ、アーティストがお金を払えばほぼ強制的にそのプレイリストに自分の曲が組み込まれる為、僕らは何度も何度も同じ曲を聴く羽目になる。


ネット上ではなんでも調べられるが、何も調べられないのだ。


狭く浅い情報が無数に転がっており、ただそれだけである。


ただし、キースを始めとする

僕らよりも前に生まれた人達が長い時間を割いて調べた事が、

今はものの5分で調べ終わることも事実だ。


キースが僕と同様、

寝る前に羊の毛を刈られた後の事を調べようとすれば、

パジャマを着替えて

牧場に走らなければ

ならなかっただろう。

そうしなくていい僕らの方が

圧倒的に情報量は多くて然るべきだと思う。

然し、現実はそうではない。

僕らはオンライン上に

情報を置いて来てしまい、

実際にはそれらが

頭に入っていない為、

小型の情報機器が無ければ、

何も思い出すことが出来ないのだ。


すぐに情報が手に入るからこそ、受動的にもたらされる情報に興味を持ちたいと思う。


毛を刈られた後の羊の様に、

自らに蓄えて行くべきなのだ。



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“Time and Tide wait for no man.”


キースとの会話より






英国退屈日記:性格

只今こちらは夕方の6時半。

クリスマスイブということもあり、

街中は人ごみでごった返し、

幼稚園児の団体行動の様な有様である。


そんな中僕はというと、

サウジアラビア人の

マハメッドとアハメッドに連れら

遅めの昼食にイエメン料理を取った。

アラブ料理と一緒くたにしがちであるが、

イエメン料理とイラン料理では

全く違うものである。

日本語には発音が無いので、

表記が難しいのだが、

ハニースと呼ばれるものを食べた。

英語表記では、Haneed(ハニード)と言う。

ターメリックライスの上に

仔羊を香草で蒸したものを

乗せただけのものである。

独特の匂いがあるものの、

とても美味いであった。

もちろん、手で食す。

カトラリーは一切使用しない。

僕は人間の多数がそうである様に

右利きなのだが、左手の方が動作に

融通が効くことが多い。

ここでも危うく左手で

食すところであったが、

ご存知の通り、イスラム教では

左手は汚い物を触る際に使用する手であるから、

食事の際に左手を使用してはいけない。

人からペットボトルなどを受け取る際も

同様に左手で受け取ってはならないとのことであった。



昨晩爪を切っておいて良かったと、

ターメリックに塗られた黄色い右手を見ながら僕は思った。




そんな彼らの国では金曜日の朝に

必ず爪を切るということであった。

毎週金曜日の正午より礼拝がある為、

身なりを整える必要があるのだ。

その為彼らの国では金曜日は働かない。

金土が休日なのである。

僕らを含む多数の国と1日ズレているということになる。






僕の家は仏教の曹洞宗であるが、

僕自身は無宗教である。

飲み屋で野球と政治、宗教の話はしてはならないとよく言われるが、こちらではフットボールと宗教、セクシャルについてがタブーとされている雰囲気がある。


繊細な話であるには間違いが為、

語弊がない様にしたいのだが、

最近僕が気に入らないものの1つに、

セクシャルマイノリティを支援する

LGBT運動がある。

とりわけ最近のLGBT運動についてだ。

確かに同性婚が認められない地区が

圧倒的に多い等の不利益を被る点に関しては絶対に改善しなければならない。

ただ、僕が言いたい事はそうではない。


彼らは彼らでうまくやっているし、

僕らは僕らでうまくやっている。

此処には一片の相違もないのである。


法整備等の具体的なもの以外は、

余計なお世話なのだ。

部外者が関与する事ではない。


SNS上で、応援しています等の投稿を目にすることがあるが飛んだ見当違いである。

この投稿こそが偏見ということだ。


宗教も信仰したい者はすればいいし、

そうでなければしなければいい。

自らの善を押し売るから

拗れるのだ。


恋愛対象であったり、

宗教であったり、

国籍であったりは、

1つの性格や特性として

捉えればいいことではないか。


例えば、お喋りな性格の人がいたとする。

しかし自分は静かな方を好む。

この場合、自分はこのお喋りな人と

距離を置くだろう。

わざわざ近寄って行って黙れ!とは

言わないはずである。


それなのにも関わらず、

どうしていざ宗教、国籍、セクシャルマイノリティとなるとそうでは居られないのだろうか。


要するに自分に嵌らないものは、

距離を置けばいいだけの話だ。


反対に、自分にない人間性に興味を

持つ事も常であり、

そうであるならば、

異文化や他宗教に関心があって

当たり前である。


しかしそれらが

マイノリティーだからといって、

迫害を加えたり、

差別や応援"などは以ての外なのである。



シャツの袖をたくし上げ、

大いに右手を黄色に染めようではないか。


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“You, don’t, need to change 

It’s boring being the same

Flamingo, oh oh oh

You’re pretty either way”


Kero Kero Bonito/Flamingo 


https://youtu.be/rY-FJvRqK0E


英国退屈日記:クリスマス

小学4年生の頃であっただろうか。

その日父はオレンジのポロシャツを着ていた。

僕の父はオレンジ色に目がない。

その夜、庭に面したドアからサンタクロースが

プレゼントを持ってやってきた。

目が痛くなる程赤い衣装にシミひとつ無い白い髭を蓄えたサンタだった。

そして首元には例のオレンジ色の襟が見えたのだ。

こうして僕はサンタクロースがいない事を知った。

翌年からは玄関先の木にプレゼントが置かれるスタイルに変わったのだった。

 

蜂蜜漬けにされて育てられた僕であるから、

高校3年位迄はクリスマスのプレゼントがあったと思うのだが

それ以降の12月25日はただ街が混むだけの日に変わって行った。

 

確かディズニーのアニメであったが、

サンタが子供達におもちゃを届けるというものがあった。

幼い頃このアニメが大好きで年中見ていた。

その中でサンタ宛に欲しいものを何十個も書いて寄越した子供がいるのだが

その子は5年だったであろうか耳の裏を1度も洗っていないという理由で

石鹸をプレゼントにされてしまう。

初めてこれを見た日の風呂では、いつもに増して

入念に耳の裏を洗ったことを記憶している。

*リンクを見つけたので末尾にて

 

日本では年末年始で言えば正月が一番の催しだが、

特に欧米ではクリスマスの方が重要なイベントである。

年賀状代わりにクリスマスカードを送り合うし

御節の代わりにターキーを食べる。

浮浪者ですら白いポンポンのついた赤い帽子を被り

アグリーセーターに身を包んでいる。

後片付けのことを考えると、全くに気の進まない

クリスマスツリーは、門松といったところであろうか。

 

一年良い子にしていた子供には

サンタクロースが来るが、

悪い子だったものにはクランプスという山羊と悪魔が

合わさった怪物が現れ子供を攫っていくと言われている。

スイスの友人宅にはブギーマンというこれもやはり怪物が来て

子供を攫っていくそうだ。

これを聞いた僕は、幼稚園の頃であっただろうか、

節分の際に突如現れた鬼に驚き、

知らない母親の足に飛びついて泣いていた事を思い出した。

その時、僕の母はというと鬼に扮して

僕のことを脅かしていたということを後日知ることになる。

 

 

 

今年のクリスマスは恐らく同居人の老人を過ごすのだが、

彼はあまりクリスマスを好まない。

恐らく独り身で、家族も近くにいない為、

さして良いものでは無かったのであろう。

そんな彼に作った事も無いターキーと

ムルドワイン(日本ではホットワインと呼ばれている)、

そして少し良い石鹸でも贈ろうかと考えている。

 

 

 

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”大事な人を数えていたら結構たくさんいて 

そんな自分は照れるほど幸せだなって思った

今夜会いたい人だってやっぱりたくさんいて

もしも雪が降ったら電話代すごいだろうな” 

 

槇原敬之/雪に願いを

https://youtu.be/Jm_HUhHKWC0

 

 

乾麺のススメ

友人とブログについて話している際に、

不意に「ペヤングの作り方書いてよ」と言われた。

うまく寝付けなかった夜だったので書いてみることにした。

その友人と合作で作っていたのだが、

説明書きに何故か突如、ワタナベ君とさよ子が現れる。

支離滅裂な内容を支離滅裂な文で書きなぐった説明書だが、

書いていて面白かったので記念に載せた次第である。

 

*以下、ペヤングの説明書き

 

 

 

水に火を掛ける。入れ物は真鍮のそれか銅のそれであれば尚良し。

次に親の仇を討つように袋を破り捨てる。

陳腐な能書きに目を向けてはいけない。

中にある加薬を乾麺に浴びせ、湯がった熱湯を定められた水位まで注ぐ。

 

ここでさえ子が不意にレコードを取り出し流し始めた。

曲名はわからないが、彼女はカップ麺を作るときは

いつもこの過程を踏まなければ気が済まない性分なのだ。

「この曲の一番盛り上がっところでリズミカルに湯切りをするのよ。」

と彼女は陶器のように白く透き通った肌は今にも壊れそうだった。

我ながらそんな彼女の至極私的で特異的な癖には頭が痛くなる。

こんな私を慰めるかのようにキッチンの窓から流れる、

師走という言葉がよく似合う風の冷たさが頬を通り抜け、

僕は我にかえり「タタタタンタン」と湯を切った。

 

右隅に添えた3つ程の穴から油を含んだお湯を出し切ったのちに、

僕は利き手ではない方の指で端をそっとつまみそれを開こうとしたその時、

円盤の上で回る針が僕を彼女と出会った日に巻き戻した。

そうだ、この曲は『ラ・クカラチャ』だ。

彼女が待つ代官山のメキシコ料理店で流れていた曲なのだ。

確か店の名前は"アシエンダ デル シエロ"だった。

 

ー  彼女が初めて口を開く。

『ワタナベ君この曲知ってる?』

『いや、初めて聴いたな。』

『ラ・クカラチャ』

『一体なんだいそれは。』

『クカラチャってね、ゴキブリって意味なの。でもね、この曲社交ダンスでよく使うのよ。男の人と女の人が手を取り合って踊る曲がゴキブリの曲なんて、皮肉なものよね。全く可笑しいわ。そうは思わない?』

困った時に僕がしばしば用いる言葉を言う。

『あるいはね。』

 

2番に差し掛かったあたりで我に返る。

数分の間に2回も我に返るのは、生まれて初めてであった。

その時既に僕は理解していた。

これはクリスマスイブにペヤングを作る僕に対して彼女なりの皮肉なのだ。

"ペヤングとゴキブリ。"

 

 彼女の方を向くことが出来ない僕は勢いよく蓋を剥がす。

湯気で僕の眼鏡が霞みがかる。

慌てて拭うと、隣には何やら黒い物を据えた彼女が立っている。

拭った眼鏡で凝らしてみると、それはソースであった。

彼女の肌と同様、釉薬を塗りたくった陶器のようなつるりとした麺に

彼女は農夫が養鶏を絞め殺すような慣れた手さばきでソースを注ぐ。

つんと鼻を差す匂いを孕んだ液体は麺を易々と潜り抜け、底に身を隠す。

逃すまいとする彼女は引き出しのノブに手を掛け、

勢いよく箸を取り出したかと思えば、すぐさまそれらをかき混ぜる。

縁に身を隠したキャベツさえも逃げ出す事はできない。

 

今思えば、あの時からここが終末のコンフィデングスであった。

 

『ワタナベ君、ワタナベ君、』

彼女は間髪を入れる間も無くまた僕に聞く。

『いつも言おうと思っていたんだけれど、唐揚げに檸檬ってかける人とかけない人がいるのは周知の事実でしょ。論ずるに値しないと思うの。でも今回の件に関して私は"コレ"入れない方が好きなの。それは周知の事実ではないけれど、私にとってはとても堪え難いことなのよ。分かるかしら。』

 

 セノーテイキルより透明な彼女の心の中で何かが動いたのはこのときだったのだ。

時としてそれは儚くも逞しく、その狭間にいる彼女の不安定な状態が最高に美しかった。

それくらい彼女には魅力があった。

たまらなくなった僕はこう答えた。

 『あるいはね。』

 

実のところスパイスをかけないペヤングなんて考えられないが

所詮舌の痛覚を刺激させるだけの存在だし、と自分に言い聞かせ、

手鏡をしまい込んだ場所を思い出しながら青海苔だけをかけた。

 

テーブルについた彼女は僕を見つめ、ハッキリと僕を呼んだ。

 

『冷めないうちに食べましょう、メリークリスマス、クカラチャさん。」

 

その後のことはよく覚えていない。

 

しかし今でも猛烈なまでに磯の香りがするあの部屋の情景だけは

鮮明に僕の記憶として記録されてる。

英国退屈日記:ウィスキー

「ハッピー ラッキー ウィスキー」

 

大きく口をあけてもう一度。

 

「ハッピー ラッキー ウィスキー」

 

反吐が出るほど嫌いな百貨店の研修で

必ずやらされる笑顔の作り方である。

 

今日の題は笑顔でもなく、百貨店でもなく、ウィスキーについてだ。

 

何故か僕は蒸留酒を飲む分にはあまり酔わない。

下戸である事には違わないので

勿論一夜で1便吞み干すような事は出来ないし、

仮に酒に強くても間違いなくしないだろう。

 

取り分け、ウィスキーを好んで飲む。

スコッチ派である。

それがマッカランであれば尚良い。

 

マッカランを含むアイリッシュウィスキーは

イギリスの島であるアイラ島に蒸留所を構える。

日本でも馴染みのあるボウモアラフロイグを始め

ジョニーウォーカーの原酒としても用いられるカリラ等、

合わせて8つの蒸留所がある。

堪らまく行きたい。

 

イギリスと言えば、パブ、

パブと言えばエールビールと相場は決まっているらしいが

僕はウィスキーを飲む。

こちらに来る前からそれを楽しみにしていたし、

本場であるから勿論、マッカランなんかは

安く呑めるのだろうと踏んでいた。

ところがどうだろうか、いざ行ってみると、

何処にも見当たらないのである。

何処のパブにも見当たらない。

置いてあるのはバカの一つ覚えに、

グレンフィデックやブッシュミル、

素っ頓狂なパブにはメーカーズマークが置いてあった。

イギリスでわざわざバーボンを飲む者がいるだろうか。

アメリカでフィッシュ&チップスを頼むようなものである。

 

仕方がないのでいつもグレンフィディックをオーダーするのだが

ここでもまた問題が生まれる。

氷だ。

元来、僕はロックで呑むのだが、

イギリスの氷の貧相な事貧相な事。

犬小屋の氷柱のような氷なのである。

アイラウィスキーの重厚な味に耐えきれず、

瞬時に水と化すのだ。

堪らず僕はストレートに飲み方を変えた。

 

先日行ったパブでは日本のウィスキーである響が置いてあった。

ジャパニーズウィスキーの躍進には目を見張るものがある。

先日の日記でも述べたようにプロモーションと売り先を変えた賜物である。

ミズナラを使った響、

加えて日本産では無いがシーバスリーガルのミズナラも美味い。

しかし一等好きなものは宮城峡だ。

先日、NHKクローズアップ現代にて

ジャパニーズウィスキーの特集があった。

末尾にリンクを用意したので是非見て頂きたい。

 

ところでハイボールは日本特有の言い方であり、

こちらでは通じない。

ウィスキーソーダという。

好んでハイボールは呑まないのだが、

ひとつ例外がある。

銀座はコリドー街に店を構える「ロックフィッシュ」である。

コリドー街最後の良心と言っても違いないだろう。

店主の間口さんが作る氷なしのそれは格別に美味い。

角瓶の復刻版を樽ごと仕入れる力の入れようだ。

氷がない分、度数が強いのだが、

ある日、後に寿司が控えていたにも関わらず、

このハイボールを飲み過ぎてしまい、

突き出しの鉄火巻きを食べた後、力尽きて眠り込んでしまった

苦い思い出がある。

 

有名な話だが村上春樹もウィスキーに目がない。

彼の著書にもウィスキーに基づいたシーンや登場人物が

多く見受けられる。

海辺のカフカではジョニーウォーカーという紳士が登場し、

ノルウェイの森ではししゃもをあてにシーバスリーガル、

ねじまき鳥クロニクルではカティーサークであっただろうか。

他にも沢山あるのだが、

僕の最も好きなシーンは

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

主人公がウィスキーは歯茎でまず味わうんだと述べるシーンである。

 

アイラウィスキー賛歌である

もしもぼくらの言葉がウィスキーであったならでは、

実際に彼がアイラ島に赴いた際に、

生牡蠣にスコッチを垂らして食したというエピソードがあるのだが

恐らくこれ以上の食べ物はそうないだろう。

身を切るような潮風から逃げ込むようにして入ったアイリッシュバーで

その日に採れた生牡蠣を5つ頼み、ラフロイグあたりを垂らして

一気に流し込む。

くーっ。である。

 

 

 

しかし全くもって書き足りないのだが、先日買ったラフロイグ15年が

このままだと無くなってしまうので、この続きはまたの機会に。

 

それでは、最後にもう一度。

 

「ハッピー ラッキー ウィスキー」

 

 

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”もしも僕らの言葉がウィスキーであったなら、もちろん、これ程苦労することも無かったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む、それだけで済んだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。”

 

村上春樹/もしも僕らの言葉がウィスキーであったなら より

 

 

世界で大ブレイク!ジャパニーズ・ウイスキー快進撃の秘密 - NHK クローズアップ現代+

 

英国退屈日記:拘り

Tシャツはポロの白無地。

靴下はブルックスブラザースのこれまた白無地。

歯ブラシは、かなやブラシの馬毛。

整髪料は大島椿。

香水はLELABOのGAIAC。

トラウザーズはダブルの巾4.5センチ仕上げ。

他にももっとあるが、これらは僕の拘りだ。

書いていて嫌になる。

下らないものだと感じる。

 

二十歳そこそこの時は雁字搦めになる程の拘りがあった。

それでこそ男だろう、なんて思っていた。

 

因みに、イギリス人も傘は差すし、

イングリッシュブレックファーストなんて食べない。

ツイードのコートより、カナダグースである。

僕らが抱く英国らしさなんてものは

遠の昔に消え去っているのだ。

 

拘りといえば、真っ先に思い出すものが

池波正太郎著の『男の作法』である。

天麩羅の食い方やビールの注ぎ方、

金の使い方、死への考え方まで

”男たるもの” を事細かく記しているが、

僕の陳腐なそれとは質が違って、

男としての大局観を具体的に綴ったものだ。

未読の方は是非。

 

話は戻って、何かに固執することは、

自らの見識を狭めてしまうし、

人間としてつまらない物になる。

これに例外は無い。

所謂、職人もそうだ。

初めに断わっておきたいのだが、僕は職人と呼ばれる人達に憧れがある。

これ程格好の良い仕事は無い。

その上での話なのだが、工芸品を含む職人達は、

1つの事に拘りを持ち過ぎたが故に

潰れて行くのである。

環境に順応できない物はやはり淘汰されて然るべきなのだ。

作り出す技術は卓越するものを持っていたとしても、

アウトプットが現代にそぐわなければ、何も作っていないのと同義だ。

何も作る物を変えろ、等と言っている訳ではなく、

アプローチの仕方や、プロモーションを変えてはどうかという事だ。

 

また、別の機会に改めてきちんと話すが、

僕が今携わっている業界にも同じことが言える。

産地が潰れているのだ。

産地を活性化させようと躍起になっている行政もあるのだが、

いざ仕事を振ってみると、

『いやこれはやった事がないから出来ない。』

この調子である。

30年前からやっている事が変わらないのだ。

これでは潰れて当然であるし、いる意味がない。

 

先日、ロンドン在住日本人のドンに会う機会があった。

ドンというのは広義での業界のドンだ。

ロンドン、日本間でのファッション関連で

彼が噛んでいない事の方が少ないのではないだろうか。

ブランドのバイイングから、アテンド、内装、執筆まで

兎に角何でもやっている。

顧客も錚々たる顔ぶれだ。

何をしている人かと聞かれると一言では形容出来ない。

そんなドンがこう言っていた。

『今時、”自分は何屋です。”と言った時点で可能性はないよね。』

彼はそのやり方で成功してきたから、と言うのは勿論あるが

僕も同じように感じている。

餅は餅屋の時代ではないし、

そもそも、その餅屋が無くなっているではないか。

餅をアマゾンから買う時代なのだ。

 

小学生の頃から、僕は何をしても大体上手く出来る。

その代わり何かで1位になることもまず無い。

陸上大会も基本3位、作文も優秀賞まではいく。

器用貧乏というやつだ。

恐らく僕は今後もひとつだけを突き詰める事は出来ないし、

それにそこまで興味はない。

だからこそ興味のある事は何でもやってみたいのだ。

 

 

「拘らない事が拘り」である。

 

 

 

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 ”ドキドキしてんのにやめたかないぜ 何も知らないまま笑ってたいぜ”

 

ザ50回転ズ/さよならヒーロー

 

 

 

人相、易断本

”こんな易なんてもので人の運勢なんてわかる訳が無い。”

寅さんの言葉だ。

大いに賛成である。

 

ただ最近思うのだが、人生には大きな流れというものがあって

それには抗えないのである。

出来る事と言えば、来たる激流に耐え得るべく、苦し紛れの息継ぎくらいだ。

別に悲観的になっている訳では無い。

美空ひばりは川の流れの様にというし、

ビートルズはLet it be.という。

暴風雨のスペイン人はケ・セラ・セラという様にだ。

 

それでも例えば、縁という言葉には

どこか他力本願な気配があり、僕は好きではなかった。

『ご縁があれば。』

余りにも冷淡であるし、いい加減過ぎやしないか。

中学2年の頃、担任であった小池先生曰く、

一生のうち、平均して人は3万の人々と出会うらしい。

更に、その3万人といつ出会うかも決まっているときた。

しかし、その3万人と、どの様に関係性を築くかは己次第である。

要するにこれがご縁。

何とも身勝手な話だ。

然し乍ら(これで’しかしながら’と呼ぶ事をここで初めて知る)、

その御縁に辿り着くまでには、自らの努力が必要である事を

最近知る羽目になり、些か悪い言葉でも無いと今では感じている。

長くなるのでこの話は割愛。

 

 

少し話が変わるが、僕には沢山のジイバアがいる。

爺ちゃん婆ちゃん、片ばあ、公園爺ちゃん、あっちばあちゃん。

生まれてこの方、僕は老人には事欠くことが無い。

高齢者に”ご縁”があるのだ。

 因みに、かたばあは片平と言う地区に住んでおり、

公園爺ちゃんは公園の隣に住んでいる。

勿論、あっちばあちゃんは、あっちに住んでいたのだ。

現に今も老紳士宅に厄介になっているし、

今月引っ越すのだが、その先もまた別の老紳士宅だ。

物心つく前より、ばあちゃんっ子であった僕は、

初見の老人とすぐ仲良くなれる能力があるのだ。

履歴書にも書きたいくらい明確な能力だと思う。

 

アメリカはオレゴンポートランドに留学した際の

ホストファミリーも老夫婦であった。

今年で70過ぎくらいであろうか。

ホストマザーであるローザリーは、見事なアメリカ人体型で、

初めてハグをした時に背中まで腕を回せなかった事を覚えている。

トトロの上に乗ったメイちゃんになった気分であった。

 

僕は時差ボケが酷いたちで、この時なんかは、

4日間くらいはまさに泥の様に眠ってしまった。

語学学校の授業も休んで寝続けた。

もし日本で、眠いが為に欠席したとすれば、

間違いなく怒鳴り散らされて叩き起こされるのが関の山だろう。

当時から7年程経った今でも覚えているのだが、

この時ローザリーは学校を休んだ僕を咎める事はなく、

寝すぎて背中が痛いでしょうと、マッサージをしてくれたのだ。

安い言葉になってしまうが、温かい気持ちになった。

それから僕は1度も学校を休まなかった。はず。

 

帰国後、1度だけ会いに行ったのだが、

それ以降連絡をしても返事はなく音信不通になっていた。

そうこうしている内に、6年が経ったのだが、

つい先週ローザリーから連絡が来た。

元気にしている様だった。

まだ先だが、来年会いに行くことにした。

髭も生え、タバコも吸う様になり、明らかに老けた僕を見て

なんて言うのだろうか。

 

再会のハグで背中に腕が回らない事を願っている。

 

 

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”巡り会いが人生ならば、素晴らしき相手に巡り会うもこれ人生であります。

盛者必滅会者定離、会うは別れの始まりと誰が言うた。

いい愛情に恵まれておるかも知れない、いい愛情に恵まれておるかも知れない。

しかし、月に群雲、花に風、

一寸先の己が運命分からないところに人生の哀しさがあります。”

 

男はつらいよ 奮闘篇より