英国退屈日記『準備』

マニキュアのツンとしたシンナーの匂いと共に、パリに向かっている。

チケットを取るのが遅くなってしまった為、

向い合わせの席にイギリス人とアメリカ人の3人女子旅グループに

相席という形になってしまった。

彼女らはパリの地図を広げ、白ワインを片手に

少しマヨネーズが多かったオーロラソースのような色合いのマニキュアを

せっせかと塗っている。

8月に差し掛かり、みんなバケーションなのである。

せっかくの夏休みにわざわざパリを選ぶなんて、ケッタイな話である。

傍僕は、米俵(今時、米俵といっても何キロなのかわからない人が多いかもしれない、60kgである。)の半分程のキャリーケースを引きづり、

仕事のメールを返し、金払いの悪いクライアントと格闘中である。

ユーロスターWi-Fiは相変わらず使い物にならず、諦めてこれを書いている次第だ。


ロンドンは先週3日ほど、35度越えの日々が続き、

これで恐らく夏は終わった。

後は長く寒い冬の訪れを、短すぎる夏への諦めと不満を未練たらしく口にしながら待つだけである。




ジェイクというイギリス人がいて、彼はテーラリングの店を経営してる。

スタイルのある良い服を作る。

先日彼と商談をしていると、おもむろに白色のブレザーを引っ張り出してきて、

鏡の前で合わせ始めた。

”カズ、これにネイビーのパンツとエスパドリーユを合わせようと思うんだけど、どう思う。これにボウタイするんだ。”と尋ねてきた。

この手の質問は、答えが自分の中で既に決まっていると相場が決まっている為、

良いんじゃないかなと、答えておいた。

どこか行くのと尋ねると、土曜日に友達とパーティを開くらしかった。

その日は確かまだ水曜日で、今から土曜日の準備か、

今日の俺とのミーティングはどこへ行ったのかと思いながらも、話を聞いていた。

ただ僕もネクタイを締めて、スーツに革靴なんて久しくしておらず、

たまにはきちんとした格好をして出掛ける事もしなければなと思った。

また、何かの事柄や人に対して、掛けた準備期間、時間はそれらへの尊敬尊重、または期待のパーセンテージと同義であり、

丁寧に一つずつ準備する事もやはり大切であるなと感じる。

この話は以前にしたであろうか。最近物忘れも多く、全く覚えていない。

こうやって同じ話を何度もするオヤジが出来上がって行くのである。




きちんとした格好をするということはやはり大切なことであって、

日々洋服を選ぶ際に一番大切な事は、その日に会う人を思った格好をするという事だ。

人、環境、場所に合わせた服装が出来るかが、最も大切なのである。

”オシャレ”なんてものは二の次であるし、TPOを弁えられないオシャレは、格好が悪い。

基本的には清潔感が大切であるし、しかし場合によっては、きちんとした格好が馴染まない状況もあるだろう。

”いつも素敵な格好をしている人だが、何をきているかって聞かれるとあの人は何を着ていたっけ。”

これが理想である。これ見よがしな派手な格好は、自分は想像力が乏しいですと言っているようなものである。

ひとつ青を取っても、赤い青や、黒い青、緑味の青など様々にあって、

ここを取り違えるとワントーンでまとめていてもチグハグな印象になるのである。

自分の体型、肌の色、服の色味にもっと注目しなければならない。


今日会うあの人は普段何を着ていただろう、音楽の趣味は、思想や、趣味はなんであったか、

そういったことを考えた上で、服装を選ぶことが一つの敬意を表す方法なのでは無いだろうか。

そう考えてみると、Tシャツとジーンズしか持っていない自称ミニマリストは、

場を弁えられず、寄り添うことができないエゴイストという事になる。

僕はそういう業界の端くれにいるから、やはり洋服の可能性や明るさ、楽しさを信じており、

その結果どうしても(言い訳をうまく包み隠す、どうしてもという言葉が僕は好きだ)衣装持ちになってしまうのだが、

TPOを考えれば、小さなクローゼットひとつに一年分の服が収まってしまうなんて訳がないのである。


もう少し話があったのだが、

相席している女子グループの白ワインを飲み干したことであるし、

やれやれ、僕も仕事に戻る事にする。



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”生まれ育ったその環境、歴史、思想全てブチ込んで 表すことが出来ればいい

意味がわからん言葉で意思の疎通を計りたい 犬猫畜生と分かち合いたいのだ 

貴様に伝えたい 俺のこのキモチを”


KIMOCHI/ZAZEN BOYS




英国退屈日記『美的感覚』

僕とした事が、ここ1ヶ月半くらい、

やや行き詰まった感覚を覚え、

なかなか抜け出せないでいた。

行き詰まるも何も、

何処にも行けてなどいないのだが、

感覚的な話である。


靴を磨いても、花を活けても、

無論酒なんて飲んだところでも、

樹林の晴れぬ靄の様なものは、

取り除かれる事が無く、

遂にはやらねばいけない事を放り投げ

(性格的に完全に忘れる事は出来ず、頭の片隅からチラチラとこちらを覗くのがまた煩わしい。)、とりあえず現実逃避だなと決め込み、

今回のイギリス滞在の象徴的書物である、

伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』を開いた。

ちょうど数ページめくった所にこんな事が書いてあった。今まで目にとまることは無かったのだが。

"ホームシックというものがある。これは一時、人生から降りている状態である。今の、この生活は、仮の生活である、という気持ち。日本に帰った時こそ、本当の生活が始まるのだ、という気持ちである。勇気をふるい起こさねばならぬのは、この時である。

人生から降りてはいけないのだ。

成程言葉が不自由であるかも知れぬ。孤独であるかも知れぬ。しかし、それを仮の生活だといい逃れしてしまってはいけない。

それが、現実であると受け止めた時に、外国生活は、初めて意味を持って来る、と思われるのです。"


流石、先生と言ったところ。

まあ特段ホームシックなんてものにはなっていないのだが。

日本から出発した五月病が偏西風の影響で、

6月頃に遅れて僕の所までやってきた様なものだ。


これを機にまた読み直しているのだが、

ここから30ページほど進んだ所に、

"美的感覚とは、嫌悪の集積の様なものだ"とあり、彼に習って僕も書き出してみようと思った。

以下、僕の美的感覚についてである。

悪口や不平不満では無い、悪しからず。




僕は農家でも無ければ、運動会嫌いの子供でもない。雨の日なんてものは陰鬱なだけである。季節に敏感に居たいと決めている手前、

気候にも左右されやすく、玄関の青緑色の扉にはめ込まれた真鍮製のドアノブを開いた時から、僕は家に帰りたくなるし、白のパンツは履けないし、革底の靴だって履けないのだ。

もっともっと嫌なのは、

雨によって交通機関が混むことだ。

東京の田園都市線も、

ロンドンのビクトリアラインも最悪である。

ジメッとした重苦しい空気の中に何か、

冷やっとするものを感じれば、

隣のヤツが持っている傘が僕の服について、

染みてきてるのだ。


次に階段。

特に登りである事は言うまでも無い。

階段というものは、

一定の間隔の高さ、幅、奥行きを条件に

加えて平行で無ければならない。

ここまで制約が厳しい物には、

機能美というものが伴って来るはずなのだが、全く美しく無い。

ただただ、重力に逆らいながら、

上へ上へと向かう苦行である。

雨の日に満員電車からやっとの思いで避難し、目の前に現れたものが階段であった時の僕の気持ち。


種子の大きい果物。

梅やさくらんぼ、すももなんかを

指しているが、こいつらと来たら、

一度口に含んだ種子をまた出さねば成らぬのだ。

美しく無いし、煩わしいし、僕は苦手だ。

オリーブもその意味で苦手である。


中年男性、とりわけ自分の話しかしない、

もしくは若者を頭ごなしに指定する輩。

苗字と名前の間に、人災というミドルネームを加えるべきである。


履き違えたフェミニスト

履き違えていないフェミニスト

あまり見た事がないが、

性別があるからには

各々の役割というものがあって、

それを都合のいい様に婉曲して

主張して来るわけだ。

その割に異性に対して

執着が強いのもこの手の人間の特徴である。


切れ味の悪いナイフ。

切るのに手間取っている姿は、

こちらもやはり美しく無いし、

白身の魚を切った際に、

切れ味が悪いが故に、

押しつぶされたように身がボロボロと、

崩れ落ちていく様はどうにも醜い。


体育会系の人間、、

これは嫌いとかでは無くて、

ソリが合わぬだけか。


日本では考えられぬが、

こちらでは洗面器の両端に、

ホットとコールドの2つの蛇口が

用意されており、

ホットは熱湯、コールドは水しか出ないのだ。この熱湯は火傷をするくらいの熱さの為、まず使える人間はいない。理解に苦しむ。


特に男性の長い爪も苦手であるし、

汚れた靴もだめだ。

池波正太郎であるまいし、

靴くらい自分で磨けばいいのだ。


造花も大の苦手である。

死ぬはずのものが死なないのは、

やはり気味が悪いし、

1、あの原色しか使っていないような

色は趣味が悪い。

手入れや、経費のことなんてのを、

考えているのであれば、

取っ払って殺風景の方がまだいい。


紙のストローは近年稀に見る愚の骨頂である。飲む度に紙の味が混ざるし、途中でふやけてくるのだ。あの質量のプラスチックをケチるのであれば、まずはプラスチックの容器を紙に変えるべきだし、なんならまず造花を廃止するべきだ。


切りがないので、

この辺にしておくが、

僕の美的感覚はお分かり頂けたと思う。

もう一度言うが、不平不満ではなく、

あくまで美しさについての話だ。



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"悲しくて悲しくてとてもやりきれない

このやるせないモヤモヤを

誰かに告げようか

白い雲は流れ流れて

今日も夢はもつれわびしくゆれる"


悲しくてやりきれない/ザ・フォーク・クルセダーズ



英国退屈日記『夏』

冬より夏の方が、

簡単に季語を思い付くのは何故だろうか。

甲子園に、線香花火に、市民プール、クーラー、

玉置浩二に、真心ブラザーズスチャダラパーに、TUBE

玉置浩二の田園なんて夏の季語にうってつけである。

その殆どが無いロンドンでは、

相変わらずビールにピクニック、

それになんとかバーベキューが加わったくらいだ。

殆どの電車にクーラーがついておらず、

2駅過ぎたくらいで、額に汗が滲む。

勿論、自宅にもクーラーは無い。

通勤サウナ電車からやっとの思いで逃れ、

アイスコーヒーを求めてカフェに入ると、

ホットしか置いてない。(事もある)

基本的にこちらは、

自らの要求のぶつかり合い

みたいなところがあるので、

わざわざ氷を用意しなければならない

アイスコーヒーを置くのは

煩わしいのだろう。


僕が見つけられていないだけかも分からないが、

食べ物だって年間を通して変わる事がない。

冷製のものなんて、ビシソワーズ位であろうか。

いつだか、池尻大橋と三軒茶屋の間を

ビシソワーズを求めて友人と、

夜中の1時くらいからさまよった事があった。

彼女は名古屋に就職して以降、

それきりのような気がするが、

元気でやっているだろうか。


彼此4.5年くらい夏の兆しが出始めてから、

夏が終わるまではスチャダラパー

サマージャム’95をエンドレスリピートしていた。1人で2パートを歌え切れるくらいに聞いていた。時代が時代ならばカセットテープは擦り切れていただろう。

しかし今年のは夏は全く聞く気がしないのだ。

これを聞くにはこちらは余りにも湿気が無さすぎるのだ。

日本のあのジメッとした感覚も、

もしかすると1つの風情なのかも知れないなと思う。

思うには思うが、もう日本の夏は2度と過ごしたくないのも本音である。

昨年なんかは遂に熱中症で病院に世話になったのだ。

ただここに来てやはり流石なのが、

山下達郎だ。

彼を筆頭に、日本のシティポップは、

今や世界的なブームメントになっており、

ヴァンパイアウィークエンドは細野晴臣をサンプリングし、テイラー,クリエイターは山下達郎をサンプリングしている。

マックデマルコなんかもシティポップを

明らかに影響を受けている。

台湾、中国ではマンドポップと呼ばれる、

シティポップをベースとしたジャンルまで

確立されていて、タイ出身のプムヴィプリット(一発屋感が否めないが)も、この系譜を辿っている。


8当分に切られた西瓜がなくとも、

夏の夜のドライブがなくとも、

これさえあれば、大体が夏になる。

ロンドンでも高気圧ガールには出会えるし、

アトムの子でも在り続けられる訳だ。


夏のドライブチューン、

僕的第1位はthe lagoons"California"だ。

これさえ掛ければ、

たちまち日本製の自家用車も、

左ハンドルのオープンカーになるし、

街灯もヤシの木に、

隣でブツブツ小言を言う彼女も、

前髪を掻き上げたLAガールに早変わり。

なんて雰囲気を味わえる。

はじめにあれだけシティポップを

持ち上げておいて、シティポップどころか、

邦楽でも無いのはご愛嬌である。



日本と違って

ロンドンの夏の良いところと言えば、

フェスが多い事、

そのフェスがフジロックの様に、

馬鹿げているほど遠くではなく、

街中の公園(と言っても代々木公園の何倍あるのだろうか)で行われる事、

日本でならメインアクト級のアーティストが

ゴロゴロといる事。

そのチケットが大体6000円くらいで、

日帰りで行けるのだ。


僕は洋楽も聴くのでいいのだが、

洋楽を聴かない人々にとっては、

何の風情もないただ日差しが強いだけの一か月だろう。

そう、こちらの夏は一か月で殆ど終わる。

その夏休みだって、南フランスやイタリヤ、

モルディブ等のリゾート地でみんな過ごす為、イギリスにいても、特にやることはないのだ。退屈である。

残念ながら、僕の業界に夢の8月まるっと休暇なんてものは存在しない。

9月にはレディースのコレクションが始まる為、8月は普通に仕事であり、ショー準備の大詰めを迎えたブランド達の突然の要求に付き合うことになる訳だ。


8月はブルゴーニュで、ワインソムリエをつけて34日のワインセラーを周る旅を。

なんて友達と話していたのだが、

到底実現しなさそうである。


"通勤サウナ電車"がこの夏、

僕の季語ランキングに

ランクインしない事を願う。

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“2000マイル飛び越えて迎えに来たのさ

Come With Me

連れて行っておくれどこまでも

高気圧ガール


高気圧ガール/山下達郎





8キロ圏内

やたらと語尾にアクセントを付けたがる国、

イタリアはミラノにいる。

もう少し詳しく伝えると、

両親と相部屋の、

シングルベッドの3分の2くらいの、

エクストラベッドの

ノリの効きすぎたシーツの上にいる。


先週の中頃から、

両親が僕の元を訪れており、

せっかくのヨーロッパということもあり、

ロンドンついでにミラノにも来た次第である。


毎日2万歩も歩かされていると、

100歩にひとつは

愚痴をこぼしていた両親だが、

恐らく僕も歳になれば、

そうなるのだろう。

まだ愚痴をこぼせるだけましな方か。


僕自身もミラノは初めてで、

印象としては、

観光地の割には無闇に広く、

訪れるべきところが点在しているため、

予定の組み方が難しいと言ったところだろうか。

そもそも前準備という能力が、

首が座っていない頃から欠如している為、

中々にけったいであった。

ミラノ出身の友人が

たまたまいた事もあって、

行く場所に困らなかったのが幸いであった。


もう1つは街に全く生活感がない事である。

僕らがホテルに泊まっているから、

という事もあるが、

街を走る自転車くらいの速度の路面電車

まだ主要な交通手段として機能している点、

観光業が主な収入源になっている点が、

そう思わせるのであろう。

京都の様に、全てがオーガナイズされ過ぎて、生活感がないのとは異なり、

全てが発展していないのである。

もう少し正しく言えば、

施しが行き届いていない印象だ。

それが故の哀愁は感じるのだが。

ビートルズthe long and winding road がぴったりだった。


さて、今回両親がヨーロッパを訪れた理由は

紛れもなく僕に会いに来たからであって、

もちろん場所はどこでもよかったのだろう。

ラルフローレンはどこだとか、

コーチのカバンが欲しいとか、

レイバンのサングラスを探しているだとか、

ナイキのスニーカーが欲しいとか、

アメリカ文化の根深さに、

怖さすら覚えた。

脱線したが、僕に会いに来たわけだ。

要するに僕がどの様な生活をして、

何を口にして、誰と過ごし、

何を学んでいるのか、

その様なことを見に来たわけである。

この1週間であらかたの事は

分かってもらえたのではないかと思う。


幼稚園のお遊戯会が、

日本国外に広がった様なものだ。


そのミラノの友人に教えてもらった、

ピザ屋で食事を済ませ、

ヨーロッパ特有の茜色の夕日に

深い紫色をした雲を背景に、

暑く淀んだ空気の中、

僕はこれは一種の卒業式だなと思った。


東京に出てきた18歳の頃よりも、

明確に、強く、鮮明に、

僕は卒業したのだ。

恐らく彼らも同じ様に感じたと思う。

言語も文化も生活様式も違う場所で、

さほど思い詰める事もなく、

暮らす息子を見てそう感じたと思う。


僕の経験から言えば、

生活の殆どが8キロ圏内で済んでいる人達は幸福度が高い。

都心に出てきて齷齪働くよりも、

地元に腰を据えて暮らしている人々の方が、

豊かに見えるのはそのせいだ。

郊外から1時間半もかけて、

出勤する必要もなければ、

枠の取れない保育園に、

高い金を払って預ける必要のない生活だ。


今回の旅行で彼らは8キロどころか、

1万キロくらい離れている場所で、

1週間を過ごした。

ここに彼らの幸福は無い。

もしかすると僕にも無い。

ただ僕はある程度今の生活に、

馴染んでいるし、

日本食すら恋しくは無い。

もしかすると、

僕はロンドンに

8キロ圏内を見いだせるかもしれないのだ。


ただ、これは物理的に、

言葉として説明できる範囲であって、

アメリカ文化と同様、

意図しない所では、

1つとして卒業出来ない訳だ。

考えても思い付かない事から、

決別する事は到底無理な話だ。

しかし根底で繋がっている部分があって、

その性格を持ち合わせた僕が、

ロンドンで暮らせている訳だから、

彼らが持っている元来の性格が、

他の国では特異かと言えば、

勿論そうではない。

行く場所行く場所で、

日本人の良さを話しに聞くし、

寧ろ彼等は自身に誇りを持つべきだ。


よく都会の人(実際には殆どが地方出身な訳であるが)

地方を卑下する事があるが、

到底馬鹿げた話だ。

海外に来てまで、

日本人とだけつるみ、

日本食を食べて、

日本の様な暮らしをしている、

救いようの無い人もいる。


"都心に居る""海外で暮らしている"という

自分は多数派では無いという

陳腐なプライドを持ち、

少数派に甘んじて、

単数派になり切れない、

箸にも棒にもかからない様な人間より、

彼等色の8キロ圏内に、

住み続けている人の方が素敵ではないか。

英語が話せないからとか、

田舎者だからとか、

そういった事で窮屈を感じる必要はないし、

この8キロを知らない人々の方が、

よっぽど可哀想であると思った方がいい。


ただ、"僕らの世代"

と言ってもいいとは思うのだが、

この8キロ圏内を何箇所か

持てる時代に僕らは生きている。

ひとつに留まっているのも悪くはないが、せっかくならば

多いに越した事はないし、

まだまだ流暢に話せる訳でもない、

僕がいうのもなんだが、

世界公用語としての、

英語を話せないのは、

機会損失でしかない。

英語が話せるのがメリットではなくて、

英語が話せないのがデメリットなのだ。


アメリカ文化に順応する日本は、

もうとっくに終わっているし、

世界市民として、

誰とでも対等に生きなければならない時代に

僕らは命を受けた事は、

紛れも無い事実なのである。

ジミヘンドリックスの言葉を借りれば、

"愛国心を持つなら地球に持て、

魂を国家に管理させるな!"

である。


余談であるが、

イタリア人女性が強いというのは、

前々から聞いていたが、

いざ対面してみて思った事は、

ただ他人にリスペクトが

無いだけなのではないか。

と、今回のミラノ旅行で感じた。

勿論、一般的なイタリア人女性、

かつ個人的な感想であるのだが。



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"俺達の怒りどこへ向かうべきなのか

これからは何が俺を縛り付けるのだろう

あと何度自分自身卒業すれば

本当の自分にたどりつけるのだろう"


卒業/尾崎豊




拝啓


梅雨空で蒸し暑い日々が続く

日本と聞いておりますが、

いかがお過ごしでしょうか。


(謎の食欲不振、唐突な肌荒れ、隠し切れない足腰の衰えを除いて)僕は元気です。


ロンドンでは、夏になりきれない

なんとも歯痒い日々が続いており、

僕自身も過去は捨てきれず、

今をも生きれず、

果てのない未来に想いを馳せる日々を

送っております。


ロンドンだって

どうせ夏が来ないのであれば、

期待などさせずに、

いっそのことずっと冬であるべきなのでは、

と思うわけです。

日本のように、冷夏だからといって

ビールの消費量まで冷え込むような

ヤワな酒飲みではロンドン市民はないのですから。



7月は文月とも呼ばれており、

折角だからと筆を執った、

実際には画面上で指を左右上下に

動かしている次第であります。


手紙を書くのは思い返すと久方振りで、

誰に書くわけでもなく、

宛名のない手紙をポストに入れるような事は

今回が初めてであります。


手紙というと思い出すのが、

岩井俊二監督の、

Love Letter』でありますが、

主人公の中山美穂の純粋無垢な出立ち、

舞台である北海道は小樽の一面銀世界が、

1人の女性のもう2度と春を迎えられない儚さを暗喩しているように僕には感じました。

僕も文通はしてみたいなと思います。

ペンフレンドなんて素敵です。





いつの間にか、

こちらに来て半年が過ぎ、

慌しい割には、同じような日々を

過ごしております。

コインランドリーで、

小一時間忙しなく回り続ける

洗濯機を見つめ、

2000円程を片手に握りしめ、

毎週末、花を買いに行きます。

片手に収まっていた紙幣が、

両手でも抱え切れない程の花束になって返ってくる訳であります。

夜は夜で、どうせ磨いたところで、

薄汚れたロンドンの道のせいで、

すぐに汚れてしまう革靴を

せっせと磨いております。

その際、いつも何かしらの音楽をかけている訳ですが、最近のお気に入りは細野晴臣さんの『花に水』です。

もしよろしければ聞いてみてくださいね。

花は裏切る事なく死を

身近に感じさせてくれますし、

革は死んでもなお、輝き続ける訳です。



そんな変わらぬ日々ですが、

たまに旅行に行きますし、

セールとなれば、何か1つくらい

買ったりもします。

いろいろな友人とも遊びます。

ビザの兼ね合いだったりで、

よく人が入れ替わるのがロンドンです。

仲良くなった頃には、

みんな帰ってしまう。

僕はまだまだロンドンに居る事に

なりそうなので、

常に見送る側にあります。

船の停泊場のような気分です。

"行く春や一期一会の旅烏"

漱石の句ですが、まさにこれに尽きます。

それでも、今では携帯があるお陰で、

離れてしまっても連絡が

取れる訳でありますが、

あまりに夢がない話で、

連絡を取り続けられるかが、

関係性を測る1つの尺に

なってしまっている気がして、

僕にはどちらの方が良いのか、

わかりません。



もう少し本当は話したい事が

あったのですが、

手紙を書くといつも、

話したかった事ではないことを

話してしまいます。


9月には1度日本に戻る予定でいます。

もし良ければ是非お会いしましょう、

その時を楽しみにしています。


梅雨も明けずじめっとした日々が、

もう少し続くようですが、

どうかご自愛下さい。


敬具


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p.s.

いつもあなたが読んでくださっている

このブログのタイトルですが、

覆せ(くつがえせ)、ベーコンエッグでも、

訳せ(やくせ)、ベーコンエッグもありません。

正しくは翻せ(ひるがえせ)、ベーコンエッグです。

僕としても、タイトルなんぞ

なんだって良いのですが。


英国退屈日記『感性』

滑走路の赤色の灯が、右翼に吸い込まれては、また反対側から現れる。

単調なリズムを急かす様に、前の座席の子供が泣き声を強める。

赤い点で在ったものが線に代わり、遂には窓枠から消える。

鮮やかだった光が消滅して見えなくなる。

フィレンツェで4日間ほど過ごし、

現在僕はボローニャ空港からロンドンへの飛行機の中である。

時刻は午後9時半。

目立ちたくて仕方のない太陽がやっと沈みかけている。

もう少し年間を通して、平均的に出てくれるとありがたいのだが。

夏が来る気配のないロンドンに比べ、

フィレンツェは熱気と湿気に溢れ返っていた。

粘りっ気のある黒めなRBがよく似合う。


今回が初めてのイタリアだったのだが、

出張という事もあって、夜と最終日以外は仕事である。

リサーチの為に、ピッティウオモと呼ばれるメーカーの合同展示会を訪れた。

紳士服好きには憧れの場所であって、

各人思い思いの一張羅で参加する。

日中の気温は35度を超える中、

ジャケットにネクタイをバシッと決めている。

昔はそれこそ僕にだってピッティへの憧れはあったのだが、

いざ来てみると酷暑のせいでそれどころでは無い。

ジャケットもタイも締めずの参加となった。

そもそもファッションというものは、

基本的な条件として環境に準じているべきであるし、

TPOにそぐわない衣装はかえってダサいのでは。

というのが僕の持論だ。


条件のないのものに自由は無く、

制限のない中に創造はないのである。


最終日に日本のブランドのデザイナーさんと話す機会があった。

彼はかなりストイックな物作りをする方で、

生地に対しても造詣が深い。

話している中で、どういう生地屋と付き合っているのかと尋ねた。

すると彼は洋服が好きな人が自然と残っていったかなという。

これには僕も同感で、買い手の考えている事や物が同等、

もしくはそれ以上に売り手が好きでなければいけないと思う。

もちろん仕事をする上で、必須では無いので、

これが無くても仕事は出来るし、ほかのやり方で売る事も出来る。

ただ、どうせやるなら好きな事の方がいいし、

好きなもの同士で仕事が出来た方が健全ではないか。

これは単に仕事だけでは無く、

人間関係においても大事な事では無いのかと思う。



今回の出張で強く思った事は、感性は鈍る、という事だ。

正直今回どこのブランドのジャケットを見ても、

僕にはほとんど同じに見えた。

アイドルの顔がみんな同じに見えるアレと同じ現象である。

これはなぜ起こるかといえば、無論関心の消失が原因だ。

要するに感性を形成する上で、関心は必要不可欠なのである。

僕の仕事には少しばかり感性が必要になるタイミングがあり、

かつクライアントの感性にも同調する適応性が必要で、

僕がクライアントに関心が無くなれば、僕の仕事も半分位無くなる。

その為僕が、同じに見えてしまったブランドに提案したところで、

採用はされないだろう。

勿論経験というスキルが人にはあるから、

感性を失っても経験で補える点も多々ある。

しかし経験からの産物は、過去の反芻でしか無く、

新しいものを生み出す事はない。

関心がなくなり、知ろうとせず、経験だけでこなそうとすると、

いつかついて行けなくなるのだ。

これが怖いなと思う。

そしてこれも対人関係においても言えるのではないかと思うのである。

自分の話ばかりするおじさんが総じて仕事が出来ないかというと、

全くそうは思わないが、話を聞けるおじさんは総じて仕事が出来る。

相手に興味があってこその関係性であり、

一方的な顕示欲は個人的なものに過ぎないのだ。


俺は大丈夫だと思っているそこのおじさん!(僕を含めなのが辛い)

自分では気付いていないだけですよ。



日常の事を綴ろうと思っているのに、

どうも熱っぽい話になってしまうのは、

僕もおじさんになりつつある証拠なのであろう。



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"ちょっと緩やかに だいぶ柔らかに

かなり確実に違ってゆくだろう

崩れてゆくのが わかってたんだろ

どこか変だなと思ってたんだろ"


世界の終わり/ミッシェル ガン エレファント





大きなカマキリ

公園の近くに住んでいる公園じいちゃんは、

元々、祖父の仕事仲間で、血縁関係はない。

それでも小さい頃、よく遊びに行っていた。

 

まだ幼稚園くらいの僕相手に、

相撲をしてくれた。

僕は公園じいちゃん相手に相撲で負けたことがない。

いつもいつも頃合いを見計らって僕を勝たせてくれたのだった。

自分の本当の孫のように接してくれて、

僕にはじいちゃんが3人もいるように思えたものだった。

 

大きな畑を持っている公園じいちゃんの家には、

秋頃になるとカマキリが出で、それをよく捕まえに行った。

小学生の頃の絵のコンクールでは、

そのカマキリを捕まえている様子を、

描いて優秀賞をもらった事を覚えている。

 

日記をつけている公園じいちゃんは、

僕が来ると日記にそのことを書いた。

一度その日記を僕に書かせてくれたことがあって、

”またすぐ来るから元気で。”と書いた記憶がある。

 

中学生になると僕も忙しくなり、

中々遊びに行けなくなってしまった。

それでも、年始の挨拶とお盆には欠かさず行っており、

じいちゃんも”またすぐ来なよ。”と言ってくれていた。

大学に入って地元を離れてしまうと、

お盆にすら挨拶に行けなくなってしまい、

お正月にいつもの大きな鮭を持って挨拶に行くのが精一杯になっていた。

それでも公園じいちゃんは

”昔はこんな小さかったのに今では一緒に酒が飲めるんだもんなぁ”と

歳を老いても差し歯ではない、

自慢の綺麗に揃った歯を大きく見せながら、

にっこりと笑っていた。

じいちゃんは床に付くのがとても早く、

普段なら飲まない時間まで一緒に飲んでくれた。

1年に一回しか会えなかろうが、

ずっと昔から変わらない大きな笑顔で、

’孫’の僕を温かく迎え入れてくれた。

 

公園じいちゃんの様な人の周りには、

たくさんの人がいて、

いつでも笑顔で温かい人には、

歳なんて関係なく誰にでも愛させれる人になるのだろうなと思った。

 

そんな公園じいちゃんが6月の1日に息を引き取ったと聞いた。

僕は今ロンドンにいて、じいちゃんが死んだことすら、

3日遅れで知った。

異国の地で何かをするという事にはある程度の覚悟が必要で、

気力も体力も使うが、そんなことは僕自身の問題なので

なんてことはないのだが、

お世話になった人の最期にすら立ち会えないことが、

とても辛い。

よく僕のばあちゃんが、

”出世なんてしなくて良いから、地元にいてくれ。”

と言っていた。

もしかしたらその通りなのかも知れないなと思う。

自分のやりたいことをして、

大切な人をないがしろにしてしまう様な、

自分のやりたいことに何の意味があるのかと思う。

これだって覚悟のうちだろうと言われれば、

そうなのかも知れないが、

その覚悟は誰かを幸せにすることがあるのだろうか。

正直今の僕にはまだわからないが、

公園じいちゃんはなんていうのか、

もう聞けないことが残念である。

 

これを書きながら、

公園じいちゃならなんていうのかなと

考えていたのだが、

おそらくじいちゃんなら、

僕が帰国してお墓参りに行った際には、

またあのでっかい笑顔で、笑ってくれるのだろうなと思う。

年に1回しか会えなくても、

お葬式に参列出来なくても、

きっとじいちゃんはまた温かく迎え入れてくれるのであろう。

 

僕にはまだ何が正解なのか、

見出すことは出来ていないけれども、

公園じいちゃんが変わらず僕に見せ続けてくれた

あの笑顔は何か一つの答えなんだろうなと思う。

 

またいつか一緒に相撲をとろうね、

あの時より大きいカマキリをまたとろう。

どうか安らかに。

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”風の中に聞こえる 君の声が聞こえる

蘇るよ遠いさすらい 探し求める太陽の当たる場所

そっと空を見上げる 遠く雲がちぎれる

蘇るよ君の温もり 立ち止まれば太陽の当たる場所”

 

太陽の当たる場所/忌野清志郎