コスモス

入道雲もとい高気圧ガールは

影を潜め、

代わりに靄のようなすーっと薄い雲がかかり、

コスモスが顔を覗かせ始めた。

雑草の中のそれに

目を取られるのは、

それが花然としていないからか。

自意識が強いものは

何者であろうが、

美しくないという訳である。

 

去年の11月に渡英し、

10ヶ月が過ぎようとしている。

酸素の薄い目まぐるしい日々は、

変わることなく渦を巻き、

僕を飲み込んでいる。


日本社会に辟易し、

本当にやりたいことを求めて

ここまで来た。

こんな僕なんかよりも

器の小さい大人達を

たくさん見てきた。

最後の会社を辞める時も、

まあ散々な言われようだった。

怒りや嫌悪という感情より、

そういった環境でしか

育ってこれなかったのだろうと、憐れみと同情の気持ちが強い。

育ちが良いという事は、

裕福な家庭で育ったという事

ではなく品性の話である。

育ちが悪いとは

何も経済的な話ではないのだ。


特に僕の周りには

いつも素敵な大人が居て、

小さい頃から

彼らの背中を追っていけば、

正しい道を歩んで来られた。

自分1人で決めた事なんて

この短い人生の中で1つもないのかもしれない。

そんな大人の中の1人に会ったのは、

僕が20歳の頃だった。

当時の僕は生地に魅せられて、

虫眼鏡で生地の組織を眺め、

ジーンズの生地の違いを知るために、

岡山やサンフランシスコに

足を伸ばしていた。

真の洋服好きはみんな

生地屋になるんだと

信じてやまなかった。(実際はくたびれたおじさんが殆どを占めていた。)

友人を介して知り合った彼は

ヤマさんと言い、

長髪に着古したチェックシャツを羽織り、愛犬のフレンチブルドッグを膝の上に乗せていた。

話を聞くと生地を触っただけで、

糸の番手が分かるというではないか。

彼は生地屋だったのだ。

本当はそうではないのに、

彼のせいで生地屋はクールな人が

沢山いるのだと思ってしまった。

それから僕はそこに通い、

毎度晩御飯と、

キンミヤのお茶割りを貰った。


いつか一緒に面白いことをしようと言ってくれたことは

今でも覚えており、

それがまさか

ロンドンで僕が生地を売り、

ヤマさんが日本で

僕のサポートをしてくれるなんて

当時は思っても見なかった。


彼抜きでは

僕はここに居られない。

生地に夢を見させてくれた彼が、

僕を助けてくれているから、

僕はこちらで仕事が出来るし、

生地を買ってくれる人がいるから、

僕はここに留まることが出来る。


日本で動いてくれている人がいて、

それを買ってくれる人がいる。

その間にいる僕は

何にもしていないのだ。

1人で働く様になって、

1人では働けない事を痛感している。

言ってしまえば、僕の立場なんて

誰だって良いのだ。

もうパソコンで良いのだ。


ロンドンで僕の様に

活動している日本人は

前例がなく、

少なくとも今は

僕にしか出来ない事になっているし、

せっかく僕がいるのだから、

僕がいる意味というものを

提示したいし、

少なからずしている気もしている。

ただ、初めに述べた様に、

自意識の強いものは

須く美しくないし、

俺がいるから回ってるんだなんて、

正直全く思っていない。

替えは幾らでもいる。


しかし僕の為に動いてくれる人、

僕と仕事をしてくれる人に替えはない。

そんなかけがえの無い人達と僕は友達になりたいと思っている。

仕事上の関係の人が困っていても、

損得無しに助けたいと思える程

僕は広い心を持ち合わせていないが、

友達であればもし僕に出来ることがあるなら助けたいと思う。

逆に僕のことも助けてくれるのだ。


商談の際に僕は

生地の話を自分からはしない。

それよりも友達としての彼らが

何をしていて、何を感じているかの方が興味があるからだ。



一緒に何かを創り上げれる人達が

僕はやはり好きである。

ただあくまで自分は主体ではなく、

彼らが主体である。


僕が胡蝶蘭になって、

仰々しい鉢を用意され、

リビングにて"我此処に在り。"

ではないのだ。


雑木林の中のコスモスにさえ成れればと思う。




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"転んでも起き上がる

迷ったら立ち止まる

そして問うあなたなら

こんな時どうする

私の心の中にあなたがいる

いつ如何なる時も

1人で歩いたつもりの道でも

始まりはあなただった

Its a lonely Its a lonely road

But Im not alone そんな気分"


/宇多田ヒカル



英国退屈日記『タイミング』

全てのものにはすべからく

タイミングがあって、

年単位でのタイミングから、

刹那で終わるタイミングまで、

期間は様々である。


中学の頃に所属していた、

サッカークラブの監督(ハゲと言うと怒る)が、

当時彼が書いていたブログで、

確か言っていたのだが、

"本にもワインと同じで、開けるタイミングがある"との事だった。

当時の僕としては、

ふむ、この宿題もワインと同じで、

今やるべきではないな、後でやろう。

くらいの言い訳に使っていただけなのだが、

成る程今になると分かることがある。


ジョン・コルトレーン

A Love Supreme”のテナーサックスは

未だに難解であるし、

小沢健二"夢が夢なら"の最後の3文は、

20代そこそこの僕にはまだ読み解けるだけの経験が無いのであろう。


聴こえる音域が狭まるように、

子供の頃に感じていた事が、

感じられなくなってしまうのも事実である。


18歳の頃に花屋で働いた事があって、

その頃からの目標が"いい男になる"で、

それは未だにかなっておらず、

早繰り越して、7年になる。

その途中でそもそも大人って何なのかと、

21.22の頃によく考えていた。

僕なりの(良い)大人像は見つけており、

答えはこうだ。


"少年ジャンプと仕事両方に熱心になれる人"


前にも述べたが、やはり仕事だけでは

つまらない大人になるし、

仕事も出来ないくせに娯楽に打ち込み、

不満を漏らす大人もダサい。


エースが死ねば涙を流し、

仕事で大きな目標を達成すれば、

拳を上げられるような人だ。


度忘れてしまった子供時代の感情は

一時的、もしくは一部分的に思い出す事が出来ても、完全に戻ることはなくなってしまう。

子供の気持ちが分からない大人が

部下を育てられるとは思わないし、

大人になりきれない子供のまま、

無闇に歳を重ねてしまってもだめだ。

今のところ僕は後者なのだろう。


大人に成りたいと思わなくなった近頃は、

大人に成りつつなると言うことであろうか。

子供に戻りたいと思わない今の僕は、

今が充実しているということであろうか。


時折ふと気が付くと、

息が浅くなっている。

漠然としたこれまた浅い考えに耽る。

正面から捉えていた感情を、

いつの間にかハスに構えて捉える。


子供のまま大人になるとは、

実際にはどの様なことなのだろうか。

この本を、曲を、ワインを開けるタイミングは

どこなのであろうか。


柵に囲われ下を向き草を食べるだけの

イギリスの羊達よ、

迷える子羊と君達とでは、

何か違いがあるのだろうか。


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"緩やかな円を描くように 

僕らの息と息交差する

手を伸ばしてそれをそっと握り

誰かと舟を進めてゆく

対岸の明かりを眺めながら

行きつ戻りつを行く夜舟を"


夢が夢なら/小沢健二

1分未満

去年の8月に下見を兼ねて、

ロンドンを訪れた時から、

早くも1年が経とうとしている。

パリに比べ近代的な建物も

割とあるロンドンには、

東京に似た雰囲気を覚え、

親近感が湧いた。

去年の日本の夏は、やたらめったらに暑く、

遂には病院で点滴を打ったほどだった。

あれから一年僕の周りは目紛しく動き続け、

カナヅチの人がやっとの思いで

息継ぎをするような、

成る程これは大変であった。

慌ただしくしていると、客観性を欠き、

自分だけが大変かのような錯覚に陥るからいけない。

それにしても1年という物は、

まさに光陰矢の如し、あっという間である。


先日日本から来た齢20歳の、

モデルをしている男の子と飲みの場で一緒になった。

土地柄日本から来るモデルの子は、

珍しくは無くたまに僕の周りにもいるのだが、

大きく見れば業界は繋がっているもののの、僕が右であれば彼らは左の先端に位置するほど関係性が無いため、

あまり深く考えたこともなかった。

ショーモデルは、広告系のモデルよりも

寿命が短く、30歳前で大概の人は消えていくという。

大概の人が、東京、パリ、ロンドン、ニューヨークと各拠点の事務所に所属しており、

その彼は正に今、パリとロンドンに

事務所を探しに来ているところであった。


僕らから見れば、ハタチの男の子であるが、

彼にしてみればモデル生命が後10年も無いかもしれない訳で、これは必死である。

この職業は一見華やかに見えるし、

もしかしたらその通りなのかもしれないが、

自分では動く事のない服を、

着て歩くという行為によって、

動きを与え、各ブランドの顔として、

1分にも満たない時間で、

全てを表現しなければならない、

短距離走の選手のような、

息の詰まる仕事である事も間違いないだろう。

女性が顔に金をかけるのと同じで(僕もなのだが。)、

モデルはブランドの顔というくらいなので、

全身が""の彼らは、先行型の自己投資もかさむだろう。

出ていくばかりのお金に、

落ち続けるオーディション。

考えただけで元から弱い胃が痛む。

50年も働かなくてならないのかと

嘆いているのが恥ずかしくなるではないか。

因みに僕はこの手の嘆きをした事は一度もない。

ただ、彼の様な心持ちで仕事に臨めているか、

危機感を持てているかと思うと、

さて不十分であろう。


目紛しさ、慌ただしさにかまけて、

ぬるい生活をしていたのではないかと、

思う所もある。

後悔はないが反省はあるなと、

大いに思うのである。


ただ、幸い(幸いも何も、成れる要素が1つも無いわけであるが)僕はモデルでは無いため、

まだまだこの仕事で生きていける訳である。

この短い様で長い時間を、

もし彼らの様な思いで過ごして行ければ、

激流の中を流されるだけの人生で、

たまには僕の意思で泳ぐ事も出来るのかもしれない。




モデルになりたいなんておこがましい事は

勿論口に出す気はないので、

僕を身長180センチにしてください。


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"世界の約束を知ってそれなりになってまた戻って

街灯の明かりがまた1つ点いて帰りを急ぐよ

途切れた夢の続きを取り戻したくなって

最後の花火に今年もなったな"


若者のすべて/フジファブリック



英国退屈日記『準備』

マニキュアのツンとしたシンナーの匂いと共に、パリに向かっている。

チケットを取るのが遅くなってしまった為、

向い合わせの席にイギリス人とアメリカ人の3人女子旅グループに

相席という形になってしまった。

彼女らはパリの地図を広げ、白ワインを片手に

少しマヨネーズが多かったオーロラソースのような色合いのマニキュアを

せっせかと塗っている。

8月に差し掛かり、みんなバケーションなのである。

せっかくの夏休みにわざわざパリを選ぶなんて、ケッタイな話である。

傍僕は、米俵(今時、米俵といっても何キロなのかわからない人が多いかもしれない、60kgである。)の半分程のキャリーケースを引きづり、

仕事のメールを返し、金払いの悪いクライアントと格闘中である。

ユーロスターWi-Fiは相変わらず使い物にならず、諦めてこれを書いている次第だ。


ロンドンは先週3日ほど、35度越えの日々が続き、

これで恐らく夏は終わった。

後は長く寒い冬の訪れを、短すぎる夏への諦めと不満を未練たらしく口にしながら待つだけである。




ジェイクというイギリス人がいて、彼はテーラリングの店を経営してる。

スタイルのある良い服を作る。

先日彼と商談をしていると、おもむろに白色のブレザーを引っ張り出してきて、

鏡の前で合わせ始めた。

”カズ、これにネイビーのパンツとエスパドリーユを合わせようと思うんだけど、どう思う。これにボウタイするんだ。”と尋ねてきた。

この手の質問は、答えが自分の中で既に決まっていると相場が決まっている為、

良いんじゃないかなと、答えておいた。

どこか行くのと尋ねると、土曜日に友達とパーティを開くらしかった。

その日は確かまだ水曜日で、今から土曜日の準備か、

今日の俺とのミーティングはどこへ行ったのかと思いながらも、話を聞いていた。

ただ僕もネクタイを締めて、スーツに革靴なんて久しくしておらず、

たまにはきちんとした格好をして出掛ける事もしなければなと思った。

また、何かの事柄や人に対して、掛けた準備期間、時間はそれらへの尊敬尊重、または期待のパーセンテージと同義であり、

丁寧に一つずつ準備する事もやはり大切であるなと感じる。

この話は以前にしたであろうか。最近物忘れも多く、全く覚えていない。

こうやって同じ話を何度もするオヤジが出来上がって行くのである。




きちんとした格好をするということはやはり大切なことであって、

日々洋服を選ぶ際に一番大切な事は、その日に会う人を思った格好をするという事だ。

人、環境、場所に合わせた服装が出来るかが、最も大切なのである。

”オシャレ”なんてものは二の次であるし、TPOを弁えられないオシャレは、格好が悪い。

基本的には清潔感が大切であるし、しかし場合によっては、きちんとした格好が馴染まない状況もあるだろう。

”いつも素敵な格好をしている人だが、何をきているかって聞かれるとあの人は何を着ていたっけ。”

これが理想である。これ見よがしな派手な格好は、自分は想像力が乏しいですと言っているようなものである。

ひとつ青を取っても、赤い青や、黒い青、緑味の青など様々にあって、

ここを取り違えるとワントーンでまとめていてもチグハグな印象になるのである。

自分の体型、肌の色、服の色味にもっと注目しなければならない。


今日会うあの人は普段何を着ていただろう、音楽の趣味は、思想や、趣味はなんであったか、

そういったことを考えた上で、服装を選ぶことが一つの敬意を表す方法なのでは無いだろうか。

そう考えてみると、Tシャツとジーンズしか持っていない自称ミニマリストは、

場を弁えられず、寄り添うことができないエゴイストという事になる。

僕はそういう業界の端くれにいるから、やはり洋服の可能性や明るさ、楽しさを信じており、

その結果どうしても(言い訳をうまく包み隠す、どうしてもという言葉が僕は好きだ)衣装持ちになってしまうのだが、

TPOを考えれば、小さなクローゼットひとつに一年分の服が収まってしまうなんて訳がないのである。


もう少し話があったのだが、

相席している女子グループの白ワインを飲み干したことであるし、

やれやれ、僕も仕事に戻る事にする。



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”生まれ育ったその環境、歴史、思想全てブチ込んで 表すことが出来ればいい

意味がわからん言葉で意思の疎通を計りたい 犬猫畜生と分かち合いたいのだ 

貴様に伝えたい 俺のこのキモチを”


KIMOCHI/ZAZEN BOYS




英国退屈日記『美的感覚』

僕とした事が、ここ1ヶ月半くらい、

やや行き詰まった感覚を覚え、

なかなか抜け出せないでいた。

行き詰まるも何も、

何処にも行けてなどいないのだが、

感覚的な話である。


靴を磨いても、花を活けても、

無論酒なんて飲んだところでも、

樹林の晴れぬ靄の様なものは、

取り除かれる事が無く、

遂にはやらねばいけない事を放り投げ

(性格的に完全に忘れる事は出来ず、頭の片隅からチラチラとこちらを覗くのがまた煩わしい。)、とりあえず現実逃避だなと決め込み、

今回のイギリス滞在の象徴的書物である、

伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』を開いた。

ちょうど数ページめくった所にこんな事が書いてあった。今まで目にとまることは無かったのだが。

"ホームシックというものがある。これは一時、人生から降りている状態である。今の、この生活は、仮の生活である、という気持ち。日本に帰った時こそ、本当の生活が始まるのだ、という気持ちである。勇気をふるい起こさねばならぬのは、この時である。

人生から降りてはいけないのだ。

成程言葉が不自由であるかも知れぬ。孤独であるかも知れぬ。しかし、それを仮の生活だといい逃れしてしまってはいけない。

それが、現実であると受け止めた時に、外国生活は、初めて意味を持って来る、と思われるのです。"


流石、先生と言ったところ。

まあ特段ホームシックなんてものにはなっていないのだが。

日本から出発した五月病が偏西風の影響で、

6月頃に遅れて僕の所までやってきた様なものだ。


これを機にまた読み直しているのだが、

ここから30ページほど進んだ所に、

"美的感覚とは、嫌悪の集積の様なものだ"とあり、彼に習って僕も書き出してみようと思った。

以下、僕の美的感覚についてである。

悪口や不平不満では無い、悪しからず。




僕は農家でも無ければ、運動会嫌いの子供でもない。雨の日なんてものは陰鬱なだけである。季節に敏感に居たいと決めている手前、

気候にも左右されやすく、玄関の青緑色の扉にはめ込まれた真鍮製のドアノブを開いた時から、僕は家に帰りたくなるし、白のパンツは履けないし、革底の靴だって履けないのだ。

もっともっと嫌なのは、

雨によって交通機関が混むことだ。

東京の田園都市線も、

ロンドンのビクトリアラインも最悪である。

ジメッとした重苦しい空気の中に何か、

冷やっとするものを感じれば、

隣のヤツが持っている傘が僕の服について、

染みてきてるのだ。


次に階段。

特に登りである事は言うまでも無い。

階段というものは、

一定の間隔の高さ、幅、奥行きを条件に

加えて平行で無ければならない。

ここまで制約が厳しい物には、

機能美というものが伴って来るはずなのだが、全く美しく無い。

ただただ、重力に逆らいながら、

上へ上へと向かう苦行である。

雨の日に満員電車からやっとの思いで避難し、目の前に現れたものが階段であった時の僕の気持ち。


種子の大きい果物。

梅やさくらんぼ、すももなんかを

指しているが、こいつらと来たら、

一度口に含んだ種子をまた出さねば成らぬのだ。

美しく無いし、煩わしいし、僕は苦手だ。

オリーブもその意味で苦手である。


中年男性、とりわけ自分の話しかしない、

もしくは若者を頭ごなしに指定する輩。

苗字と名前の間に、人災というミドルネームを加えるべきである。


履き違えたフェミニスト

履き違えていないフェミニスト

あまり見た事がないが、

性別があるからには

各々の役割というものがあって、

それを都合のいい様に婉曲して

主張して来るわけだ。

その割に異性に対して

執着が強いのもこの手の人間の特徴である。


切れ味の悪いナイフ。

切るのに手間取っている姿は、

こちらもやはり美しく無いし、

白身の魚を切った際に、

切れ味が悪いが故に、

押しつぶされたように身がボロボロと、

崩れ落ちていく様はどうにも醜い。


体育会系の人間、、

これは嫌いとかでは無くて、

ソリが合わぬだけか。


日本では考えられぬが、

こちらでは洗面器の両端に、

ホットとコールドの2つの蛇口が

用意されており、

ホットは熱湯、コールドは水しか出ないのだ。この熱湯は火傷をするくらいの熱さの為、まず使える人間はいない。理解に苦しむ。


特に男性の長い爪も苦手であるし、

汚れた靴もだめだ。

池波正太郎であるまいし、

靴くらい自分で磨けばいいのだ。


造花も大の苦手である。

死ぬはずのものが死なないのは、

やはり気味が悪いし、

1、あの原色しか使っていないような

色は趣味が悪い。

手入れや、経費のことなんてのを、

考えているのであれば、

取っ払って殺風景の方がまだいい。


紙のストローは近年稀に見る愚の骨頂である。飲む度に紙の味が混ざるし、途中でふやけてくるのだ。あの質量のプラスチックをケチるのであれば、まずはプラスチックの容器を紙に変えるべきだし、なんならまず造花を廃止するべきだ。


切りがないので、

この辺にしておくが、

僕の美的感覚はお分かり頂けたと思う。

もう一度言うが、不平不満ではなく、

あくまで美しさについての話だ。



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"悲しくて悲しくてとてもやりきれない

このやるせないモヤモヤを

誰かに告げようか

白い雲は流れ流れて

今日も夢はもつれわびしくゆれる"


悲しくてやりきれない/ザ・フォーク・クルセダーズ



英国退屈日記『夏』

冬より夏の方が、

簡単に季語を思い付くのは何故だろうか。

甲子園に、線香花火に、市民プール、クーラー、

玉置浩二に、真心ブラザーズスチャダラパーに、TUBE

玉置浩二の田園なんて夏の季語にうってつけである。

その殆どが無いロンドンでは、

相変わらずビールにピクニック、

それになんとかバーベキューが加わったくらいだ。

殆どの電車にクーラーがついておらず、

2駅過ぎたくらいで、額に汗が滲む。

勿論、自宅にもクーラーは無い。

通勤サウナ電車からやっとの思いで逃れ、

アイスコーヒーを求めてカフェに入ると、

ホットしか置いてない。(事もある)

基本的にこちらは、

自らの要求のぶつかり合い

みたいなところがあるので、

わざわざ氷を用意しなければならない

アイスコーヒーを置くのは

煩わしいのだろう。


僕が見つけられていないだけかも分からないが、

食べ物だって年間を通して変わる事がない。

冷製のものなんて、ビシソワーズ位であろうか。

いつだか、池尻大橋と三軒茶屋の間を

ビシソワーズを求めて友人と、

夜中の1時くらいからさまよった事があった。

彼女は名古屋に就職して以降、

それきりのような気がするが、

元気でやっているだろうか。


彼此4.5年くらい夏の兆しが出始めてから、

夏が終わるまではスチャダラパー

サマージャム’95をエンドレスリピートしていた。1人で2パートを歌え切れるくらいに聞いていた。時代が時代ならばカセットテープは擦り切れていただろう。

しかし今年のは夏は全く聞く気がしないのだ。

これを聞くにはこちらは余りにも湿気が無さすぎるのだ。

日本のあのジメッとした感覚も、

もしかすると1つの風情なのかも知れないなと思う。

思うには思うが、もう日本の夏は2度と過ごしたくないのも本音である。

昨年なんかは遂に熱中症で病院に世話になったのだ。

ただここに来てやはり流石なのが、

山下達郎だ。

彼を筆頭に、日本のシティポップは、

今や世界的なブームメントになっており、

ヴァンパイアウィークエンドは細野晴臣をサンプリングし、テイラー,クリエイターは山下達郎をサンプリングしている。

マックデマルコなんかもシティポップを

明らかに影響を受けている。

台湾、中国ではマンドポップと呼ばれる、

シティポップをベースとしたジャンルまで

確立されていて、タイ出身のプムヴィプリット(一発屋感が否めないが)も、この系譜を辿っている。


8当分に切られた西瓜がなくとも、

夏の夜のドライブがなくとも、

これさえあれば、大体が夏になる。

ロンドンでも高気圧ガールには出会えるし、

アトムの子でも在り続けられる訳だ。


夏のドライブチューン、

僕的第1位はthe lagoons"California"だ。

これさえ掛ければ、

たちまち日本製の自家用車も、

左ハンドルのオープンカーになるし、

街灯もヤシの木に、

隣でブツブツ小言を言う彼女も、

前髪を掻き上げたLAガールに早変わり。

なんて雰囲気を味わえる。

はじめにあれだけシティポップを

持ち上げておいて、シティポップどころか、

邦楽でも無いのはご愛嬌である。



日本と違って

ロンドンの夏の良いところと言えば、

フェスが多い事、

そのフェスがフジロックの様に、

馬鹿げているほど遠くではなく、

街中の公園(と言っても代々木公園の何倍あるのだろうか)で行われる事、

日本でならメインアクト級のアーティストが

ゴロゴロといる事。

そのチケットが大体6000円くらいで、

日帰りで行けるのだ。


僕は洋楽も聴くのでいいのだが、

洋楽を聴かない人々にとっては、

何の風情もないただ日差しが強いだけの一か月だろう。

そう、こちらの夏は一か月で殆ど終わる。

その夏休みだって、南フランスやイタリヤ、

モルディブ等のリゾート地でみんな過ごす為、イギリスにいても、特にやることはないのだ。退屈である。

残念ながら、僕の業界に夢の8月まるっと休暇なんてものは存在しない。

9月にはレディースのコレクションが始まる為、8月は普通に仕事であり、ショー準備の大詰めを迎えたブランド達の突然の要求に付き合うことになる訳だ。


8月はブルゴーニュで、ワインソムリエをつけて34日のワインセラーを周る旅を。

なんて友達と話していたのだが、

到底実現しなさそうである。


"通勤サウナ電車"がこの夏、

僕の季語ランキングに

ランクインしない事を願う。

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“2000マイル飛び越えて迎えに来たのさ

Come With Me

連れて行っておくれどこまでも

高気圧ガール


高気圧ガール/山下達郎





8キロ圏内

やたらと語尾にアクセントを付けたがる国、

イタリアはミラノにいる。

もう少し詳しく伝えると、

両親と相部屋の、

シングルベッドの3分の2くらいの、

エクストラベッドの

ノリの効きすぎたシーツの上にいる。


先週の中頃から、

両親が僕の元を訪れており、

せっかくのヨーロッパということもあり、

ロンドンついでにミラノにも来た次第である。


毎日2万歩も歩かされていると、

100歩にひとつは

愚痴をこぼしていた両親だが、

恐らく僕も歳になれば、

そうなるのだろう。

まだ愚痴をこぼせるだけましな方か。


僕自身もミラノは初めてで、

印象としては、

観光地の割には無闇に広く、

訪れるべきところが点在しているため、

予定の組み方が難しいと言ったところだろうか。

そもそも前準備という能力が、

首が座っていない頃から欠如している為、

中々にけったいであった。

ミラノ出身の友人が

たまたまいた事もあって、

行く場所に困らなかったのが幸いであった。


もう1つは街に全く生活感がない事である。

僕らがホテルに泊まっているから、

という事もあるが、

街を走る自転車くらいの速度の路面電車

まだ主要な交通手段として機能している点、

観光業が主な収入源になっている点が、

そう思わせるのであろう。

京都の様に、全てがオーガナイズされ過ぎて、生活感がないのとは異なり、

全てが発展していないのである。

もう少し正しく言えば、

施しが行き届いていない印象だ。

それが故の哀愁は感じるのだが。

ビートルズthe long and winding road がぴったりだった。


さて、今回両親がヨーロッパを訪れた理由は

紛れもなく僕に会いに来たからであって、

もちろん場所はどこでもよかったのだろう。

ラルフローレンはどこだとか、

コーチのカバンが欲しいとか、

レイバンのサングラスを探しているだとか、

ナイキのスニーカーが欲しいとか、

アメリカ文化の根深さに、

怖さすら覚えた。

脱線したが、僕に会いに来たわけだ。

要するに僕がどの様な生活をして、

何を口にして、誰と過ごし、

何を学んでいるのか、

その様なことを見に来たわけである。

この1週間であらかたの事は

分かってもらえたのではないかと思う。


幼稚園のお遊戯会が、

日本国外に広がった様なものだ。


そのミラノの友人に教えてもらった、

ピザ屋で食事を済ませ、

ヨーロッパ特有の茜色の夕日に

深い紫色をした雲を背景に、

暑く淀んだ空気の中、

僕はこれは一種の卒業式だなと思った。


東京に出てきた18歳の頃よりも、

明確に、強く、鮮明に、

僕は卒業したのだ。

恐らく彼らも同じ様に感じたと思う。

言語も文化も生活様式も違う場所で、

さほど思い詰める事もなく、

暮らす息子を見てそう感じたと思う。


僕の経験から言えば、

生活の殆どが8キロ圏内で済んでいる人達は幸福度が高い。

都心に出てきて齷齪働くよりも、

地元に腰を据えて暮らしている人々の方が、

豊かに見えるのはそのせいだ。

郊外から1時間半もかけて、

出勤する必要もなければ、

枠の取れない保育園に、

高い金を払って預ける必要のない生活だ。


今回の旅行で彼らは8キロどころか、

1万キロくらい離れている場所で、

1週間を過ごした。

ここに彼らの幸福は無い。

もしかすると僕にも無い。

ただ僕はある程度今の生活に、

馴染んでいるし、

日本食すら恋しくは無い。

もしかすると、

僕はロンドンに

8キロ圏内を見いだせるかもしれないのだ。


ただ、これは物理的に、

言葉として説明できる範囲であって、

アメリカ文化と同様、

意図しない所では、

1つとして卒業出来ない訳だ。

考えても思い付かない事から、

決別する事は到底無理な話だ。

しかし根底で繋がっている部分があって、

その性格を持ち合わせた僕が、

ロンドンで暮らせている訳だから、

彼らが持っている元来の性格が、

他の国では特異かと言えば、

勿論そうではない。

行く場所行く場所で、

日本人の良さを話しに聞くし、

寧ろ彼等は自身に誇りを持つべきだ。


よく都会の人(実際には殆どが地方出身な訳であるが)

地方を卑下する事があるが、

到底馬鹿げた話だ。

海外に来てまで、

日本人とだけつるみ、

日本食を食べて、

日本の様な暮らしをしている、

救いようの無い人もいる。


"都心に居る""海外で暮らしている"という

自分は多数派では無いという

陳腐なプライドを持ち、

少数派に甘んじて、

単数派になり切れない、

箸にも棒にもかからない様な人間より、

彼等色の8キロ圏内に、

住み続けている人の方が素敵ではないか。

英語が話せないからとか、

田舎者だからとか、

そういった事で窮屈を感じる必要はないし、

この8キロを知らない人々の方が、

よっぽど可哀想であると思った方がいい。


ただ、"僕らの世代"

と言ってもいいとは思うのだが、

この8キロ圏内を何箇所か

持てる時代に僕らは生きている。

ひとつに留まっているのも悪くはないが、せっかくならば

多いに越した事はないし、

まだまだ流暢に話せる訳でもない、

僕がいうのもなんだが、

世界公用語としての、

英語を話せないのは、

機会損失でしかない。

英語が話せるのがメリットではなくて、

英語が話せないのがデメリットなのだ。


アメリカ文化に順応する日本は、

もうとっくに終わっているし、

世界市民として、

誰とでも対等に生きなければならない時代に

僕らは命を受けた事は、

紛れも無い事実なのである。

ジミヘンドリックスの言葉を借りれば、

"愛国心を持つなら地球に持て、

魂を国家に管理させるな!"

である。


余談であるが、

イタリア人女性が強いというのは、

前々から聞いていたが、

いざ対面してみて思った事は、

ただ他人にリスペクトが

無いだけなのではないか。

と、今回のミラノ旅行で感じた。

勿論、一般的なイタリア人女性、

かつ個人的な感想であるのだが。



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"俺達の怒りどこへ向かうべきなのか

これからは何が俺を縛り付けるのだろう

あと何度自分自身卒業すれば

本当の自分にたどりつけるのだろう"


卒業/尾崎豊