全くもって嫌になる、この手際の悪いことよ!
絶望的な要領の悪さである。
仮に人類を神が創ったのだとしたら、
これは正に欠陥工事である。
何に憤っているかというと、
欧米人の改札前での所業についてである。
日本で言うところのスイカ的なものがこちらにも当然ながらあって、オイスターカードと言う。
トップアップ式のカードで、使い方はスイカとなんら変わりない。
世界一利用数の多いと言われている新宿駅ですら、人々は正に流れるように改札を通り抜けていくわけだが、こちらではそうはいかない。
どの駅でもいちいち長蛇の列になる。
確かに改札の数がやや少ないことは認めよう。
然し乍ら、それを差し引いても通り抜けるのに時間がかかり過ぎているのである。
理由は複数あって、まず初めにくるのが、
そもそも改札の直前に立つまでカードを用意していない事だ。
自分の番が来て慌てて鞄を開けてカードを探し出す。
頭を下げて鞄を漁る彼等に反比例して僕は天を仰ぐ。欠陥業者の神を見つめる。
彼等のモーニングルーティンでも見てみたい位である。手際の悪さを事細かに指摘してやるのに。
やっとカードを見つけて、センサーにカードをかざす訳であるが、カードが折れるのではないかと思うくらい強くセンサーに押し付ける。
物事には須く適切な距離感というものがあって、近づけば良いというものではない。
ましてや機械相手に力を使ったところでぬかに釘、全くもって意味を成さないのだ。
くしくも塩梅という言葉がない国では通用しないのかも知れないが、触れるか触れないか位の絶妙な距離感を保つことがセンサーを使いこなす心得である。
何度かカードを機械にぶち当てて、
はたと気がつく。このカードではなかった。
また鞄を漁る行為に戻る訳だが、
世の中決まってこういう場合には、
探してもいないところに答えがあったりする訳で、この場合の正解はジーンズの左ポケットであった。
こんなことを5-10人くらい続けて僕の番になる。この間に果たして何本の電車を見送ったのであろうか。
4口コンロを華麗に捌くことも、
洗濯機を回してから入浴に移ることも出来る僕は、既にオイスターカードを右手に控えさせている。
左手にはこの後役目を終えるカードを迎え入れる為に、財布を開けて待ち構えているのだ。
遠過ぎず、近過ぎず、姑との付き合い方を心得ている嫁の如し距離感でカードを改札にあてがう。あら、お母様ごきげんよう。
0.5秒ほど遅れて反応するゲートに合わせて、
既に僕の右足は歩みを進めている。
機械というものは人間が支配すべき物であって、逆はあり得ないのである。
マシーンの都合で僕が歩みを止めることは決してあってはならない。
既に左手の財布が、
務めを終えたオイスターを迎えに行く瞬間、
赤いランプが光ってゲートに身体がぶつかる。
残高不足である。
後ろの女性に一瞥をくれられた僕は、
入り口まで戻って券売機の画面をこれでもかと力強く押すのであった。
"この悲しみをどうすりゃいいの
誰が僕を救ってくれるの
僕がロミオ 君がジュリエット
こいつは正に大迷惑
君をこの手で抱きしめたいの
君の寝顔を見つめてたいの
町の灯潤んで揺れる涙 涙の物語"
大迷惑/ユニコーン