愛をあるだけ、すべて

恐らく携帯で見ている人が多いだろう。

僕はパソコンで書いているので、携帯とでは反映のされ方が異なるらしく

読み辛い文章になってしまっている。要検討。

 

ところで僕の好きな言葉に「割愛」というものがある。

意味としては”惜しいと思いながら、捨てたり省略する事”とのこと。

語源は仏教用語だそうだ。

”愛を持って分つ。”

本当はやりたいんだけど〜、とても残念だけど〜省略します。

なんて素敵な言葉だろうか。

胸を張ってサボれる。

勿論英語には、割愛を表す言葉はない。

 

現在僕は、公認会計士のイギリス老紳士と複数の会社を経営するアフガニスタン人の家に居候している。

彼が運営する会社のひとつが葬儀屋だ。商売資源が尽きることはない。

良い仕事だ。

そしてこの家には僕の他に2人の日本人が住んでいる。

このアフガニスタン人出資のもと、アパレルブランドのデザイナーをしている。

要するに僕の顧客だ。

それ以上にプレイングカード(日本ではトランプと呼ぶ)のライバルである。

その内のひとりと食後に一服をしながら話していた。

好きな洋服、ブランドその様な話である。

昨今のアパレル業界ではSustainability(持続可能性)やEthical Fashion(道徳的様式)などと言ったワードが一番の関心事となっている。これらに自分が反対な訳では無い。

現に耐久性のない急造の建物に縫製場をこしらえ、重さに耐え切れず倒壊し何十人もの人が死んでいる。

ただ、ファッション業界全体が、自分たちで創り上げた製品、世界観ではなく、

それらを作る過程にフォーカスしてしまえば、服が服である意味がなくなるのである。

持続可能性を求め、リサイクルコットンを使い続ければ、綿花農家は潰れる。

フェイクレザーを使えば、鞣し屋は潰れる。

無くなってからでは遅いのだ。

そんな中、同居している彼は全くそんな事を考えていない。

所謂、服バカだ。

それが強い。

自分が着たい物をただ作っているだけだが、

デザイナーのあるべき姿ではないかと思う。

クリエイションに規模の大小は関係無い。

 

僕にもやっている事、やりたい事がある。

そのことについて今本当に書きたいのだが、

 

割愛しようと思う。

 

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”シラナイコト ヤリタイコト タクサンアルノ”

 

時間がない/KIRINJI