人相、易断本

”こんな易なんてもので人の運勢なんてわかる訳が無い。”

寅さんの言葉だ。

大いに賛成である。

 

ただ最近思うのだが、人生には大きな流れというものがあって

それには抗えないのである。

出来る事と言えば、来たる激流に耐え得るべく、苦し紛れの息継ぎくらいだ。

別に悲観的になっている訳では無い。

美空ひばりは川の流れの様にというし、

ビートルズはLet it be.という。

暴風雨のスペイン人はケ・セラ・セラという様にだ。

 

それでも例えば、縁という言葉には

どこか他力本願な気配があり、僕は好きではなかった。

『ご縁があれば。』

余りにも冷淡であるし、いい加減過ぎやしないか。

中学2年の頃、担任であった小池先生曰く、

一生のうち、平均して人は3万の人々と出会うらしい。

更に、その3万人といつ出会うかも決まっているときた。

しかし、その3万人と、どの様に関係性を築くかは己次第である。

要するにこれがご縁。

何とも身勝手な話だ。

然し乍ら(これで’しかしながら’と呼ぶ事をここで初めて知る)、

その御縁に辿り着くまでには、自らの努力が必要である事を

最近知る羽目になり、些か悪い言葉でも無いと今では感じている。

長くなるのでこの話は割愛。

 

 

少し話が変わるが、僕には沢山のジイバアがいる。

爺ちゃん婆ちゃん、片ばあ、公園爺ちゃん、あっちばあちゃん。

生まれてこの方、僕は老人には事欠くことが無い。

高齢者に”ご縁”があるのだ。

 因みに、かたばあは片平と言う地区に住んでおり、

公園爺ちゃんは公園の隣に住んでいる。

勿論、あっちばあちゃんは、あっちに住んでいたのだ。

現に今も老紳士宅に厄介になっているし、

今月引っ越すのだが、その先もまた別の老紳士宅だ。

物心つく前より、ばあちゃんっ子であった僕は、

初見の老人とすぐ仲良くなれる能力があるのだ。

履歴書にも書きたいくらい明確な能力だと思う。

 

アメリカはオレゴンポートランドに留学した際の

ホストファミリーも老夫婦であった。

今年で70過ぎくらいであろうか。

ホストマザーであるローザリーは、見事なアメリカ人体型で、

初めてハグをした時に背中まで腕を回せなかった事を覚えている。

トトロの上に乗ったメイちゃんになった気分であった。

 

僕は時差ボケが酷いたちで、この時なんかは、

4日間くらいはまさに泥の様に眠ってしまった。

語学学校の授業も休んで寝続けた。

もし日本で、眠いが為に欠席したとすれば、

間違いなく怒鳴り散らされて叩き起こされるのが関の山だろう。

当時から7年程経った今でも覚えているのだが、

この時ローザリーは学校を休んだ僕を咎める事はなく、

寝すぎて背中が痛いでしょうと、マッサージをしてくれたのだ。

安い言葉になってしまうが、温かい気持ちになった。

それから僕は1度も学校を休まなかった。はず。

 

帰国後、1度だけ会いに行ったのだが、

それ以降連絡をしても返事はなく音信不通になっていた。

そうこうしている内に、6年が経ったのだが、

つい先週ローザリーから連絡が来た。

元気にしている様だった。

まだ先だが、来年会いに行くことにした。

髭も生え、タバコも吸う様になり、明らかに老けた僕を見て

なんて言うのだろうか。

 

再会のハグで背中に腕が回らない事を願っている。

 

 

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”巡り会いが人生ならば、素晴らしき相手に巡り会うもこれ人生であります。

盛者必滅会者定離、会うは別れの始まりと誰が言うた。

いい愛情に恵まれておるかも知れない、いい愛情に恵まれておるかも知れない。

しかし、月に群雲、花に風、

一寸先の己が運命分からないところに人生の哀しさがあります。”

 

男はつらいよ 奮闘篇より