英国退屈日記:花

打った覚えの無い右肘が妙に痛む。

"貴方が噛んだ小指が痛い"のならば

理解出来るが、

これに関しては全く身に覚えが無い為、

やや戸惑いながら、この日記を書いている。


ここのところ、この日記以外にも、

少しだけまとまった文を打つことが多く、

なかなか日記を書く気が起きなかった。

どうやら、僕の場合1日に打てる文字が

ある程度決まっているみたいである。

もう1つの理由としては、

祖父から譲り受けたフィルムカメラ

壊れてしまったことだ。

最後に挿入している写真のネタが、

枯渇しつつあるのだ。

英国滞在記のくせに、殆どの写真が

日本で撮られているのはそういう訳である。


今日は花について書く。

花については1つの日記にまとめられそうも無いので、今後も登場するだろう。

『革靴と花だけは裏切らない』というのが、

僕のもっぱらの信条である。

別にそれら以外の何かに、

裏切られた経験があるとか、

そういうことでは無い。

あくまで心持ちの話である。


18歳の時に、過度にかけ過ぎたパーマ頭と共に上京した僕は、目にも留まらぬ速さで(この表現が1番しっくりくる)ホームシックに掛かり、3週間に一回くらいのペースで地元に帰っていたのだけれど、気を紛らわせる為にもアルバイトでもしようと思い立って、

最寄駅の花屋でアルバイトを始めた。

慣れない生活で疲れた心を花なら癒してくれるだろうと思っていたのだ。それが入ってみてどうだろうか。おそらく今まで経てきた仕事の中で1番体力的にこたえた。

朝の7時前から、長い時は夜の12時過ぎまでの長時間拘束に加え、水の入ったベースは重いし、薔薇の棘は容赦なく刺さる。

先輩は(この時僕以外全員女性であった)進路相談に乗る担任教師の様な顔つきで、私は花と話せるのと言う。

それでも花はある種の神秘さを孕んだ美しさを持っていたし、例えそれが飲み屋の贔屓の娘にあげる為だとしても、花を買うという行為はとても神聖なものに感じられた。


他にも書きたいことが沢山あるが、

それは次回にしようと思う。


日本より海外の方が花が生活に馴染んでいるような気がする。ロンドンでは露店で花をよく売っている。見かける品種は日本とそう変わらなくて、変哲も無い薔薇やチューリップに始まり、トルコキキョウ、フリージアラナンキュラス等、どこでも見かけるようなものである。

クリスマス前になると、それらにアマリリスポインセチア、西洋ヒイラギが加わる程度だ。

しかし、値段が全く東京都は異なり、

15本程の薔薇の束で約750円程度である。

東京で買えば、30005000円はする為、

かなり割安である。

アイルランドで生産されているものが多いとの事であった。


クリスマス前に、コロンビアロードフラワーマーケットと言うホクストン近くのマーケットに行ってきた。年の瀬の日本の花屋に仏花と門松、千両以外の花が消えるように、こちらでは先ほど述べたようなポインセチア等がほとんどを占めてしまう。普段だとかなりの種類の花たちが約50メートルのマーケットに所狭しと並べらるとGoogleマップが教えてくれた。


その後に立ち寄ろうと思っていたイタリアンレストランが満席で1時間程待つと言われた為、諦めようと思っていたのだが、

奥から現れたウェイターの女性の綺麗さのあまり、人生で初めて僕は息を飲んだ。それも僕だけではなく一緒に来ていた女性の友人も一瞬時間が止まっていた。

異議なく1時間待つことにしたのだった。

しばしば女性は花に例えられるが、

彼女はまさに西洋版の

"立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花"であった。

選ぶとするならば、彼女は芍薬の様な

すらりとした姿の女性であった。


席について食事をオーダーする頃には、

彼女の姿はなかった。

恐らく早番ですでに上がっていたのだろう。



この流れでこれから書くことを見ると、

かなり物騒なのだが、

次回の花の話は、

"死んだ花が1番美しい"

から始めたいと思う。

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"今は欲しくはない

花なんて大人には似合いはしない

花なんて大人には似合いはしない"


でももう花はいらない/オフコース

*僕の解釈では、この曲は気持ちと反対のことを歌っている。