"色は匂へど 散りぬるを"
美しく香る花もいつかは散る、
ご存知の通り、
僕は花は枯れた時が1番美しいと感じる。
僕らが高校生の頃に流行った
スリーピースバンドも歌っていたように、
無機質な造花は何も力を持たない。
ただそこに存在しているだけである。
僕はよく買った花を枯らしたまま飾る。
本来美しくあるべき花が、
萎んでいく様がもっとも艶やかな瞬間だと感じる。
また、不釣り合いなほど大きいベースメントにあえて一輪だけ飾ることもある。
要するに、本来そうあるべきものが、
そうではなくなってしまったところに
惹かれる訳だ。
もう少し言うと、咲ききって、
ゴミ箱に入れられた花が
最も美しいのではないかと思う。
この話をすると、9割9分9厘の打率で(もっとも’イチロー達’が束になってかかってきても到底出せない打率である訳だが)、理解してもらえない。
しかしこれは花だけではなくて、
僕の仕事の1つである生地を作る際にも
同じことが言えると思う。
本来は横糸にこれ使うべきとか、
特定の用途の生地にはこの素材で、
この織り方であるべきとか、
一応の定石はある訳だけれど、
それを一旦無視して、
本来では使わない織り、素材、加工を
1つないし2つ用いることで、
違和感が出せる。
宿敵のように
喉に刺さり続ける魚の骨の様な、
不快感であっては勿論ならないが、
どこか変だなといった、
考えさせられる生地が
僕は作りたいといつも思う。
先日イギリス人の友人と
花の話をしていた際に、
僕からは何も言っていないのに、
『私は花が死んだ時が1番好き』と言い、
僕の数少ない友達であるワクイ君以来、
人生で2人目の共感してくれる人間に出会った。
ちなみに同居人のキースはというと、
(先日僕が贈った、花まで緑色のチューリップが僕らのリビングに今飾られているわけだが)
もちろん毎日水を替えてくれるし、
悪くなった花は僕が起きる頃には
(キースはなんと朝の5時半には起きている)跡形もなく消え去ってしまっている。
イチロー達の打率が下がる事は
まだまだ先のことになりそうである。
“安心な僕らは旅に出ようぜ
思いっ切り泣いたり笑ったりしようぜ
愛のバラ掲げて遠回りしてまた転んで
相槌打つよ 君の弱さを探す為に”
バラの花/くるり