レペゼンニッポンジン

こちらの隠語で"Black Sheep"というものがある。

直訳では黒い羊だが、厄介者・面汚し"という意味で用いられる。

ご存知の通り羊の毛は白いのが一般的である。

黒い羊毛は染めようがないし、使い道がない。

高値で売れない。

ただ餌を浪費するだけの存在なわけだ。

部外者や集団と異なるものが忌み嫌われるのは人間社会でも同様のことである。

アメリカのタバコ会社のスローガンで、

"出る杭は打たれ強い"なるものがあったが、

これはあくまで"そうであったらいいな"という希望的観測であって、現実にはそうはいかない。

たかが杭の分際で、金槌に叩かれて平気なわけがない。

金槌達は必ず完璧に沈むまで叩き続ける。

憎しみや軽蔑、差別に勝る重さはないのである。

僕は今、異国に居て

それによって初めて痛感するのだが、

僕は"日本人"でありたいと思う。

日本人であることを恥じるべきではないし、

英語がネイティブでないからといって彼らに劣ってはいない。

彼らは日本語がネイティブでないのと変わりがあるのだろうか。(いや、ない。)

それと同時に思うのだが、

僕が日本人で在りたいと思えば思うほど、

僕はイギリス人にならなければいけない。

彼らの文化を理解し受け入れ、

彼らの言葉を彼らと同様に操れなくてはならない。

さもなくば、彼らは僕のことを

英語を話したがっている外国人としか見なさない。

彼らと同じ目線で話せて初めて彼らは

僕が日本人であることを認める。

一見矛盾しているように感じるのだが、そうではない。


わかりやすく例えるならば、

(無論、差別的な意味を絶対的に持ち得ないことを前提として)中国人と日本人が全く同じものを同じ値段で売りにきたとする。

中国人は片言の日本語を話す。

日本人はウィットに富んだ気の利いたジョークを母国語で話す。

値段も品質も全く変わらないものを

あなたはどちらから買うだろうか。

偽善の情けを持ち合わせた特異な人でなければ、間違いなく日本人から買うだろう。


僕は今この中国人と同じ立場に立っている。

アイスランドあたりから吹き付ける偏西風に

今にも飛ばされそうな心許ない1人の外国人に過ぎない。


僕が日本人として、僕ら特有の勤勉さ(僕にその特性があるかは別として)や、ホスピタリティあふれる接し方は、

僕がイギリスに住む1人の人間として見なされて初めて活きるのだ。


醜いアヒルの子が、

実は白鳥であったことを示すためにも、

羊は羊らしい形姿で、杭は杭らしい立ち位置であるべきなのだ。



レペゼン・ニッポンジン

a.k.a ミスターニッポンジン

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"在日日本人、最新資本主義

売って売って売りまくるカルチャー

北は択捉、南波照間

輸入カルチャーに決して負けるな

援護してくれ全国民 右翼左翼無し

びびらすNY”


在日日本人/SANABAGUN.