ストックホルム退屈日記〜ルージュの伝言〜

ルージュで伝言なんぞ残された日には生きた心地がしないなと思う。

ましてや彼女が自分の母親に会いに電車に乗って向かっているなんて貞子が10人束になってかかっても敵わないくらい恐ろしい。


そんなルージュの伝言が主題歌である、

"魔女の宅急便"のモデルになったスウェーデンストックホルムを訪れた。


仕事を抜きにヨーロッパの他の国を訪れるのは今回が初めてであった。

フクシマさん(学生時代のアルバイト先での同僚である)と、ある種の慰安旅行として訪れた。

最近は仕事に忙殺され、

十分に自由な時間を持てるタイミングがなかった為、今回の旅行は一息つくのに打ってつけのものとなった。

フクシマさんは普段から良い意味で、

ぽわあっとしている為、

変に気を使うこともなく、

気を許せる人との旅行が、

いかに有意義なものかを

改めて認識することとなった。


スウェーデンは生まれてから棺桶に入るまで、

生涯を通して政府が面倒を見てくれる為、

貯金なんかは考えなくていいそうだ。

教育機関、病院等は勿論全て無償である。

それに加えて、週の労働時間は35時間で、

日本と比べて5時間も少ない。

日本では定時で上がれる人の方が稀であろうから、実際はそれ以上の差がある。

その為どこの店も大体17時位には閉じてしまう。

日曜なんかに空いている店は、

むしろ働きすぎではないかと心配してしまうほどだ。

因みにここ最近の僕は、

1人ブラック企業を行なっており、

一日あたり11時間労働の週6日勤務である。

なんてことはないのだが、

肌の調子だけが心配である。

新たにもう1つ美容液を

ローテーションに加えようか思案中である。


話は戻ってストックホルムであるが、

とにかく寒い。

日本では桜が咲いているとの事であったが、

現地は最高気温がマイナス1度ほどであった。

その分暖房設備は盤石であり、

24時間フル稼働だ。

暖房たちが僕を甘やかすものだから、

全くベッドから出られず、

1日の半分を部屋で費やした。

怖くてフクシマさんの方を見られなかった。


料理はなにを食べても外れる事がなかった。

基本的には魚料理であり、鱈のソテー等は、

バターと塩、オリーブに少々のレモン位しか使っていないように思われたが、間違いなく人生で食べた鱈の中で一番美味かった。

日本で湯豆腐に入れられる鱈達を思うと、

居た堪れない気持ちになった。


街並みは僕たちが想像する、

いかにもな北欧調のものではなく、

極めて簡素で、建物自体からは温もりを感じられなかった。

ただ、どの家もペールトーンの配色で、

雪景色によく馴染んでいた。


傷心ブラザーズ(真心ブラザーズのオマージュである。言わせないで欲しい。)である僕らは、とりあえず夕日を見に行こうと、

湖やら海辺やらに足を運んでは、

氷点下の中ただただそこに佇んでいた。

フクシマさんはそこが気に入ったらしく、

その湖の近くに別荘が欲しいとの事で、

何故か将来僕が買うと約束した。

今のところ自分の家すらないのだが。


夕方にややセンチメンタルジャーニーになった僕らであったが、

夕食を摂り、ワインボトルを空ける頃には

全くそんな事も忘れ、

スキップをしながら宿泊先に戻っていた。


朝食用にとスーパーでスモークサーモン、

クリームチーズ、北欧らしい固めのパン(名前があるのだろう)を買い込み、

朝一緒に作ろうと言っていたのだが、

やはり暖房が僕を離してくれず、

やっとの思いで枕から頭を離す決心が着いた頃には、既にサンドウィッチが出来上がっていた。

日本にいる頃からよく僕の家に集まり、

料理を作り(基本的には男性陣が作る)みんなで飲んでいたのだが、

その頃のフクシマさんは何もせずに、

ワインを片手にチーズを齧っていたので、

出来上がったサンドウィッチをみて少々驚いた。

よくよく考えれば、

フクシマさんは自由が丘生まれ、

自由が丘育ち、悪そうな奴以外大体友達(Dragon Ashのオマージュだ。言わせないで欲しい。)の根っからのシティーガールであり、僕みたいな田舎者よりなんでも出来るのである。


電車に乗っていた時であろうか、

僕らももう20代を折り返したし、

今後変わることなんてないのかもしれない、という話を僕がした。

そうすると彼女が、

きっとそんなことはないし、

これからも変わっていくんだと思うよ、と言った。

ロンドンに来てから、

着るものも変わったって言ってたし、

変わる事自体は良いことだと思う、と言う。

確かにそう言われると、

たかが数ヶ月であるが、

僕は変わったのかもしれないなと思う。

ただそこで思うのは、

考え方や大切にしていきたいもの、

変わってしまってはいけないものを、

よりしっかりと持たなくてはいけないという事だ。

着るものや、髪型、話す言語やカーペットの色なんかは別に変わって構わない。

ただ、元素式のように変わらないもの、

変えようがないものをしばしば僕らは変えてしまう。

H2+Oが変わってしまっては水ではなくなってしまうし、僕ではなくなってしまうのだ。

自分の根本であったり、

大切にしている人や事を、

変わらずに、

大切にしていきたいと思う。


僕が変わってしまって、

将来の僕の奥さんに、

口紅で伝言を残されない為にも。


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"人混みに流されて 変わってゆく私を

あなたはときどき 遠くでしかって

あなたは私の 青春そのもの"


卒業写真/荒井由実