大きなカマキリ

公園の近くに住んでいる公園じいちゃんは、

元々、祖父の仕事仲間で、血縁関係はない。

それでも小さい頃、よく遊びに行っていた。

 

まだ幼稚園くらいの僕相手に、

相撲をしてくれた。

僕は公園じいちゃん相手に相撲で負けたことがない。

いつもいつも頃合いを見計らって僕を勝たせてくれたのだった。

自分の本当の孫のように接してくれて、

僕にはじいちゃんが3人もいるように思えたものだった。

 

大きな畑を持っている公園じいちゃんの家には、

秋頃になるとカマキリが出で、それをよく捕まえに行った。

小学生の頃の絵のコンクールでは、

そのカマキリを捕まえている様子を、

描いて優秀賞をもらった事を覚えている。

 

日記をつけている公園じいちゃんは、

僕が来ると日記にそのことを書いた。

一度その日記を僕に書かせてくれたことがあって、

”またすぐ来るから元気で。”と書いた記憶がある。

 

中学生になると僕も忙しくなり、

中々遊びに行けなくなってしまった。

それでも、年始の挨拶とお盆には欠かさず行っており、

じいちゃんも”またすぐ来なよ。”と言ってくれていた。

大学に入って地元を離れてしまうと、

お盆にすら挨拶に行けなくなってしまい、

お正月にいつもの大きな鮭を持って挨拶に行くのが精一杯になっていた。

それでも公園じいちゃんは

”昔はこんな小さかったのに今では一緒に酒が飲めるんだもんなぁ”と

歳を老いても差し歯ではない、

自慢の綺麗に揃った歯を大きく見せながら、

にっこりと笑っていた。

じいちゃんは床に付くのがとても早く、

普段なら飲まない時間まで一緒に飲んでくれた。

1年に一回しか会えなかろうが、

ずっと昔から変わらない大きな笑顔で、

’孫’の僕を温かく迎え入れてくれた。

 

公園じいちゃんの様な人の周りには、

たくさんの人がいて、

いつでも笑顔で温かい人には、

歳なんて関係なく誰にでも愛させれる人になるのだろうなと思った。

 

そんな公園じいちゃんが6月の1日に息を引き取ったと聞いた。

僕は今ロンドンにいて、じいちゃんが死んだことすら、

3日遅れで知った。

異国の地で何かをするという事にはある程度の覚悟が必要で、

気力も体力も使うが、そんなことは僕自身の問題なので

なんてことはないのだが、

お世話になった人の最期にすら立ち会えないことが、

とても辛い。

よく僕のばあちゃんが、

”出世なんてしなくて良いから、地元にいてくれ。”

と言っていた。

もしかしたらその通りなのかも知れないなと思う。

自分のやりたいことをして、

大切な人をないがしろにしてしまう様な、

自分のやりたいことに何の意味があるのかと思う。

これだって覚悟のうちだろうと言われれば、

そうなのかも知れないが、

その覚悟は誰かを幸せにすることがあるのだろうか。

正直今の僕にはまだわからないが、

公園じいちゃんはなんていうのか、

もう聞けないことが残念である。

 

これを書きながら、

公園じいちゃならなんていうのかなと

考えていたのだが、

おそらくじいちゃんなら、

僕が帰国してお墓参りに行った際には、

またあのでっかい笑顔で、笑ってくれるのだろうなと思う。

年に1回しか会えなくても、

お葬式に参列出来なくても、

きっとじいちゃんはまた温かく迎え入れてくれるのであろう。

 

僕にはまだ何が正解なのか、

見出すことは出来ていないけれども、

公園じいちゃんが変わらず僕に見せ続けてくれた

あの笑顔は何か一つの答えなんだろうなと思う。

 

またいつか一緒に相撲をとろうね、

あの時より大きいカマキリをまたとろう。

どうか安らかに。

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”風の中に聞こえる 君の声が聞こえる

蘇るよ遠いさすらい 探し求める太陽の当たる場所

そっと空を見上げる 遠く雲がちぎれる

蘇るよ君の温もり 立ち止まれば太陽の当たる場所”

 

太陽の当たる場所/忌野清志郎