英国退屈日記『美的感覚』

僕とした事が、ここ1ヶ月半くらい、

やや行き詰まった感覚を覚え、

なかなか抜け出せないでいた。

行き詰まるも何も、

何処にも行けてなどいないのだが、

感覚的な話である。


靴を磨いても、花を活けても、

無論酒なんて飲んだところでも、

樹林の晴れぬ靄の様なものは、

取り除かれる事が無く、

遂にはやらねばいけない事を放り投げ

(性格的に完全に忘れる事は出来ず、頭の片隅からチラチラとこちらを覗くのがまた煩わしい。)、とりあえず現実逃避だなと決め込み、

今回のイギリス滞在の象徴的書物である、

伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』を開いた。

ちょうど数ページめくった所にこんな事が書いてあった。今まで目にとまることは無かったのだが。

"ホームシックというものがある。これは一時、人生から降りている状態である。今の、この生活は、仮の生活である、という気持ち。日本に帰った時こそ、本当の生活が始まるのだ、という気持ちである。勇気をふるい起こさねばならぬのは、この時である。

人生から降りてはいけないのだ。

成程言葉が不自由であるかも知れぬ。孤独であるかも知れぬ。しかし、それを仮の生活だといい逃れしてしまってはいけない。

それが、現実であると受け止めた時に、外国生活は、初めて意味を持って来る、と思われるのです。"


流石、先生と言ったところ。

まあ特段ホームシックなんてものにはなっていないのだが。

日本から出発した五月病が偏西風の影響で、

6月頃に遅れて僕の所までやってきた様なものだ。


これを機にまた読み直しているのだが、

ここから30ページほど進んだ所に、

"美的感覚とは、嫌悪の集積の様なものだ"とあり、彼に習って僕も書き出してみようと思った。

以下、僕の美的感覚についてである。

悪口や不平不満では無い、悪しからず。




僕は農家でも無ければ、運動会嫌いの子供でもない。雨の日なんてものは陰鬱なだけである。季節に敏感に居たいと決めている手前、

気候にも左右されやすく、玄関の青緑色の扉にはめ込まれた真鍮製のドアノブを開いた時から、僕は家に帰りたくなるし、白のパンツは履けないし、革底の靴だって履けないのだ。

もっともっと嫌なのは、

雨によって交通機関が混むことだ。

東京の田園都市線も、

ロンドンのビクトリアラインも最悪である。

ジメッとした重苦しい空気の中に何か、

冷やっとするものを感じれば、

隣のヤツが持っている傘が僕の服について、

染みてきてるのだ。


次に階段。

特に登りである事は言うまでも無い。

階段というものは、

一定の間隔の高さ、幅、奥行きを条件に

加えて平行で無ければならない。

ここまで制約が厳しい物には、

機能美というものが伴って来るはずなのだが、全く美しく無い。

ただただ、重力に逆らいながら、

上へ上へと向かう苦行である。

雨の日に満員電車からやっとの思いで避難し、目の前に現れたものが階段であった時の僕の気持ち。


種子の大きい果物。

梅やさくらんぼ、すももなんかを

指しているが、こいつらと来たら、

一度口に含んだ種子をまた出さねば成らぬのだ。

美しく無いし、煩わしいし、僕は苦手だ。

オリーブもその意味で苦手である。


中年男性、とりわけ自分の話しかしない、

もしくは若者を頭ごなしに指定する輩。

苗字と名前の間に、人災というミドルネームを加えるべきである。


履き違えたフェミニスト

履き違えていないフェミニスト

あまり見た事がないが、

性別があるからには

各々の役割というものがあって、

それを都合のいい様に婉曲して

主張して来るわけだ。

その割に異性に対して

執着が強いのもこの手の人間の特徴である。


切れ味の悪いナイフ。

切るのに手間取っている姿は、

こちらもやはり美しく無いし、

白身の魚を切った際に、

切れ味が悪いが故に、

押しつぶされたように身がボロボロと、

崩れ落ちていく様はどうにも醜い。


体育会系の人間、、

これは嫌いとかでは無くて、

ソリが合わぬだけか。


日本では考えられぬが、

こちらでは洗面器の両端に、

ホットとコールドの2つの蛇口が

用意されており、

ホットは熱湯、コールドは水しか出ないのだ。この熱湯は火傷をするくらいの熱さの為、まず使える人間はいない。理解に苦しむ。


特に男性の長い爪も苦手であるし、

汚れた靴もだめだ。

池波正太郎であるまいし、

靴くらい自分で磨けばいいのだ。


造花も大の苦手である。

死ぬはずのものが死なないのは、

やはり気味が悪いし、

1、あの原色しか使っていないような

色は趣味が悪い。

手入れや、経費のことなんてのを、

考えているのであれば、

取っ払って殺風景の方がまだいい。


紙のストローは近年稀に見る愚の骨頂である。飲む度に紙の味が混ざるし、途中でふやけてくるのだ。あの質量のプラスチックをケチるのであれば、まずはプラスチックの容器を紙に変えるべきだし、なんならまず造花を廃止するべきだ。


切りがないので、

この辺にしておくが、

僕の美的感覚はお分かり頂けたと思う。

もう一度言うが、不平不満ではなく、

あくまで美しさについての話だ。



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"悲しくて悲しくてとてもやりきれない

このやるせないモヤモヤを

誰かに告げようか

白い雲は流れ流れて

今日も夢はもつれわびしくゆれる"


悲しくてやりきれない/ザ・フォーク・クルセダーズ