英国退屈日記『タイミング』

全てのものにはすべからく

タイミングがあって、

年単位でのタイミングから、

刹那で終わるタイミングまで、

期間は様々である。


中学の頃に所属していた、

サッカークラブの監督(ハゲと言うと怒る)が、

当時彼が書いていたブログで、

確か言っていたのだが、

"本にもワインと同じで、開けるタイミングがある"との事だった。

当時の僕としては、

ふむ、この宿題もワインと同じで、

今やるべきではないな、後でやろう。

くらいの言い訳に使っていただけなのだが、

成る程今になると分かることがある。


ジョン・コルトレーン

A Love Supreme”のテナーサックスは

未だに難解であるし、

小沢健二"夢が夢なら"の最後の3文は、

20代そこそこの僕にはまだ読み解けるだけの経験が無いのであろう。


聴こえる音域が狭まるように、

子供の頃に感じていた事が、

感じられなくなってしまうのも事実である。


18歳の頃に花屋で働いた事があって、

その頃からの目標が"いい男になる"で、

それは未だにかなっておらず、

早繰り越して、7年になる。

その途中でそもそも大人って何なのかと、

21.22の頃によく考えていた。

僕なりの(良い)大人像は見つけており、

答えはこうだ。


"少年ジャンプと仕事両方に熱心になれる人"


前にも述べたが、やはり仕事だけでは

つまらない大人になるし、

仕事も出来ないくせに娯楽に打ち込み、

不満を漏らす大人もダサい。


エースが死ねば涙を流し、

仕事で大きな目標を達成すれば、

拳を上げられるような人だ。


度忘れてしまった子供時代の感情は

一時的、もしくは一部分的に思い出す事が出来ても、完全に戻ることはなくなってしまう。

子供の気持ちが分からない大人が

部下を育てられるとは思わないし、

大人になりきれない子供のまま、

無闇に歳を重ねてしまってもだめだ。

今のところ僕は後者なのだろう。


大人に成りたいと思わなくなった近頃は、

大人に成りつつなると言うことであろうか。

子供に戻りたいと思わない今の僕は、

今が充実しているということであろうか。


時折ふと気が付くと、

息が浅くなっている。

漠然としたこれまた浅い考えに耽る。

正面から捉えていた感情を、

いつの間にかハスに構えて捉える。


子供のまま大人になるとは、

実際にはどの様なことなのだろうか。

この本を、曲を、ワインを開けるタイミングは

どこなのであろうか。


柵に囲われ下を向き草を食べるだけの

イギリスの羊達よ、

迷える子羊と君達とでは、

何か違いがあるのだろうか。


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"緩やかな円を描くように 

僕らの息と息交差する

手を伸ばしてそれをそっと握り

誰かと舟を進めてゆく

対岸の明かりを眺めながら

行きつ戻りつを行く夜舟を"


夢が夢なら/小沢健二