そこに愛はあるかい

かなりタイトなパリ出張を終え、

引っ越しやビザの手配、

日本に帰る準備にと、

音が聞こえるくらいバタバタと

しているうちに、

いつの間にか26歳になっていた。


この一年が

怒涛のものになると、

予想はしていたが

そんなものではなかった。

春夏秋冬が1日のうちに

いっぺんに来ては

過ぎ去って行き、

それが毎日繰り返される様な

目まぐるしさだった。




全ては変わらないし、

全ては変わってしまった感覚である。





水を汲み上げる為に、

井戸を作るということは

まずは土をずんずんと

掘っていかなければならいが、

その工程は無味で、

果たしてこの先に

何が待っているか

検討もつかないものである。

時には土壌が硬く、

30センチ掘るのに

1ヶ月かかるかもしれない。

それでも下に下に進む必要がある。

底に突き当たった時に、

見えるものがあるのだと思う。

25歳はそんな一年であった。




そこに愛はあるかい?




と、

ドラマ"ひとつ屋根の下"

の様な、質問を投げかける。


全てはここに尽きていて、

そう思えないものは、

そっと外していく必要があって、

愛を持って寄り添える人、ものを

26歳の僕は

より大切にしたいなと思う。



フランスでデザイナーをしている

友人と話していたのだが、

愛というものは受けた分だけ、

人に与える事が出来る。

お金と一緒である。

無いものは与えられないのだ。


僕はこれに関しては、

たくさん受け取ってきた

自信があるし、

今度は大切にこれを

使っていく時では

ないかなと思う。


掘り当てた水脈から

滲み出る水を、

そっと大切に両手で

汲み取れる様な、

そんな1年にしたいと思う。





f:id:s396man:20190906224147j:plain







"私は今日まで生きてみました

時には誰かに裏切られて

時には誰かと手を取り合って

私は今日まで生きてみました

そして今私は思っています

明日からもこうして

生きていくだろうと

私には私の生き方がある

それはおそらく自分というものを

知るところから

始まるものでしょう"



今日までそして明日から/吉田拓郎