渡英する前に僕は幡ヶ谷に住んでいて、
トモヒロという同居人がいた。
幡ヶ谷には代々木上原に繋がる坂道があって、たまに自転車でどちらが先に上に着くか競ったりしていた。
その坂の並びには、
よく行く山盛りのカレー屋や、
サンダーキャットのレコードが5000円で売っていて結局買わなかったレコード屋、
今時な古着が売っている(矛盾)古着屋に
ラテが美味いコーヒースタンドがあって、
洗濯物を回している間によくうろうろしたものだった。
上原に向かって下っていくと
建設中の建物があって、
クレーン車がある。
昨日友人と上原で食事をしていたので、
その前にこの坂に立ち寄ったのだが、
まだそこにはこのクレーン車があった。
僕はこのクレーン車が大好きで、
というより、クレーン車というものが
僕は好きなのだ。
そこには力強さを感じられるし、
未完成のものの上にしか存在を許されない、そこに夢のようなものを見出さずにはいられない。
完成してしまうと
どれだけ夢を見たものでも
素っ気なく感じられてしまうのだ。
長らく夢見たことが叶ってしまった時の、
達成感という名の絶望感に似ている。
0から1にすることが僕はとても好きなのだけれども、それを継続する事になかなか楽しさを見出せない。
これが僕の致命的な社会性欠如である。
何十年も継続して同じ事を行っている人には
本当に頭が上がらないのである。
日本に勤めていた時の職場が、
新国立競技場の近くで、通勤の際にいつもこれを目にしながら歩いていた。BGMは決まって宇多田ヒカルのどれかだった。
無数のクレーン車が立ち並ぶ姿は
圧巻であったし、緊張感に満ちた希望に溢れていた。
こいつが完成するまでに、
僕も何かを成せるかなと考えいた。
現状を鑑みると僕の方が
遅れてしまっているみたいだ。
未完成のもの、不完全のもの、
何か少しおかしなもの、余白のあるもの、
僕はこういったものを作りたいなと思う。
ただ、これを意図してしまった時点で、
そこに余白は無くなってしまう。
近付こうとすると遠のいてしまうものなのである。
これは、愛についての話である。
"漢方薬じゃ直らない感傷的は直せない
完成形が分からない感情的に怒らないって
半蔵門は常に混み日々は流れてゆく
30分も歩いたら、あなたの家に着くんだ
軽いスピードで早いスピードで
愛のせいでわたし、あなたから離れられない"
愛のせいで/ZOMBIE-CHANG