大きな流れ、享受、諦念の類について


僕はアクセサリーを付けない。

装飾品の類は煩わしいし、

毎朝着けては外すの作業が苦手である。


しかしながら、僕の右手には、

銀製のバングルが2つと、

金製の指輪が1つ着いている。


これらはどちらかと言うと、

お守りに近いもので、

寝る時も風呂に入る時も外すことはない。

学生の頃に彫り物を入れる事も考えたが、

まず痛いのが苦手な僕には到底無理な話で、

ならば彫り物(彫りがあしらわれている貴金属)を身に付けようと思い、

ファッションの業界で働くと決めた際に1つ、社会人になる時に1つ購入したのだ。


指輪は祖母の形見である。


僕はこれらを磨く事はない。

不意に付いた傷や、くすみというものは、

直すべきものではなくて、

受け入れるものだと思うのだ。


最近は受け入れるという事について、

徐々に理解が出来るようになったと

自分では思う。


丁度1年前くらいの記事で書いた、

"大きな流れに身を任せる"だけ、

という事だが、この見解に相違は無く、

ただこの大きな流れには

支流があるかも知れないという事を

最近になって感じる。

要するに大きな流れにも

分かれ道があるかも知れず、

自分の出来る範囲で泳いでみたり、

もがいてみると、今までとは違う流れに

乗れる可能性があるという事だ。


思いのままに物事を調整し辛い、

外国に住んでいるから

思える事なのだと思う。



情報の多い日本滞在中に唯一買った雑誌が、

大人とは。

という問いに対して考える内容であった。

数名の大人にインタビューをしていたのだが、全員が全員、俳優や作家、アーティスト等一見華やかしい職業の人達ばかりで、

僕は読んでいて辟易としてしまった。


確かにまだ僕は若いが、

それでも26歳の今思う事は、

普通に働いて普通に家庭を持っている人達と

先程のクリエイター達とは

何か差があるのだろうかということである。

華やかな世界に身を置ける人達が、

社会人の何%居て、

この雑誌を読んでいる君達は、

果たしてその世界に入る事ができるのだろうか。

大企業がすごい、ベンチャーが良い、

クリエイトな仕事がかっこいい。

この思想は気持ちが悪いなと思う。

かといって、

大企業に入ると歯車になるだとか、

中小だとなんでも出来ると言うのも変な話で、これらも総じて間違いだと思う。

全ては個々人の問題である。


職業に貴賎はないと言うが、

もっと適切に表すならば、

どの仕事もかっこ悪い。である。

ある種の諦念に近いものを持ち合わせて、

そこに誇りを見出せる人が

大人なのではと感じる。

これを履き違えると、

あの大きな流れに飲み込まれ、

永遠に浮かんでこられないのだ。



もうひとつ。

最近のネオソウル・ジャズブームにも

辟易とする。

意味があるのかないのか判らない言葉を、

5分ばかし並べて、隠喩に見せかけた、

"メロウでチル"なあの感じである。

もうFKJTom mischHONNE位に任せておけばいいと思う。

日本では10年も前にNujabesがやっているではないか。

クリエイティブな仕事に憧れる

奥田民生になりたいボーイズ達よ、

僕を含めた若者達よ、ロックを聴け。

どうせどんな仕事に就いていたって、

言いたい事も言えないこんな世の中なのだ。POISONなのだ。

音楽の中でくらい言いたい事、

ドンと言って欲しいものである。


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君がカンイチ、僕はジュリエット

この世はまさに大迷惑

逆らうとクビになる

マイホーム、ボツになる

帰りたい、帰れない 

2度と出られる蟻地獄

君をこの手で抱きしめたいよ

君の寝顔と見つめてたいよ

君の作った料理食べたいよ

西も東も大迷惑"


大迷惑/ユニコーン