パリ退屈日記:2


許された40分そこそこでランチを食べに、

近くのフレンチに入った。

店内ではベートーヴェン

交響曲2番が流れている。

クラシックを聴かない僕でも、

この位は分かるのだ。

ZAZEN BOYSでも流れれば良いのにな、

と思いつつ、鴨のソテーと炭酸水を頼む。

ここは立道屋ではない。



年金受給年齢引き上げを行う政府に反発して、公共機関、警察、病院等がストライキを行なっている。

僕ももろに影響を受けた。

本当は先週行くはずだったパリだが、

これを受けて今週に止む無く変更した。

それでもストライキは続いていて、

移動手段といえば、

ウーバーしか無かった訳である。

バスも地下鉄もみんな止まっているのだ。

駅に張られた鉄格子からは、

エゴイスティックな意志の強さを

感じずにはいられなかった。

(この出張3日間で約35キロの道のりを26キロのスーツケースを引きずって歩くことになる。)

それでもセーヌ川は淀みなく流れ続けていた。


これで何度目のパリだろうか、

幾分慣れたところもある。

あのあからさまに排他的な雰囲気にも

拒否反応を起こさなくなってきた。

それでも腹の下あたりに

ふわっとした感覚を覚える。

ただ僕は雨のパリはとても好きで、

ロンドンにはない哀愁のある雰囲気があり、

夜に雨で濡れた道路は一等美しいものである。反射した外灯の光が、輪郭を失いながら排水溝に流れてゆく訳だ。

ウッディアレンのミッドナイト イン パリ

は僕は好きでは無いのだが(ウッディ作ではアニーホール派である)、最後の雨のシーンだけは好きだ。

あれはニューヨークでも、

ロンドンでもやはり成り立たない。


取引先でもあるパリでデザイナーをしている日本人の友人と夕食を共にしていた際に、

日本語の話になったのだが、

海外に住む日本人には2通りいて、

その住む場所に完全に馴染める人、

または日本人として海外に住む人の2つである。

彼女と僕は完全に後者であり、

仕事は彼女はフランス語もしくは英語、

僕の場合は英語である。

1年の多くの時間を仕事に割いている訳で、

必然的に外国語を使う頻度の方が多くなるのだが、日本語を僕らは忘れられない訳である。

ハリウッド映画よりも、

男はつらいよシリーズを

観たくなる時もあれば、

ニーチェより太宰を読みたいのだ。

とりわけ、日本語を話す、書くことは

僕にとっては精神衛生上の

ライフラインのようなもので、

大味の英語では(あるいは僕の語彙力の問題かもしれない)到底表現出来ないものを、

日本語として表すことで、

幾ばくか気持ちが軽くなるのである。

住む土地や国にこだわりの無い僕であるが、

須く僕は日本人であることから

抜け出せはしないだろう。



全ての商談を終えて、

セーヌ川沿いを、

マレから7区の方に向かって歩く。

両親に電話をしたくなって

掛けてみると父はゴルフ中だと言い、

母からは折り返しがない。

仕方なくParadis Hémisphère を聴きながら歩く。

彼らのフランスらしい丸く湿った音楽は、

やはりパリに合うのだなと思う。

ノートルダムは沈黙した巨人のように、

黒く静かに其処にいるだけであった。





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悲しくなんかない 君の声もわかるけど

忘れそう さよならリグレット

また会う日を 夢見てもう1度 もう1


さよならリグレット/くるり