日曜日


友人宅からの帰り道、

暗がりに沈む太陽をみた日曜日。


おろしたてのスニーカーを得意げに

見下ろしながら思う。

この一歩が何処へ続いているのかを。


貴方がそこに居て、

僕がここに居る。

生まれ落ちる命がある分、

消え去る命が須くある。


この赤茶の煉瓦が積み上げられた建物の先には、言葉の通り果てしのない地平線が続いており、歩む歩幅の小ささを痛みとして実感出来る心持ちである。


限りある僕の命も、

産まれてきたその命も、

終わりというものは必ずあって、

それでも彼方に続く地平線の如く続いている。


ここ数年の幸せの在り方について

今一度深く考えてみる。


大きな喜び、小さな喜び、

必然的な悲しみ、或いはここに大小という物差しは存在し得ないのかもしれない。

須く大切で掛け買いの無い存在である。

もしここに優劣が有るとするならば、

それは極めて主観的な、個々人の物差しなのかもしれない。



僕の物差しとしてはだが、

なるべく小さな幸せと、

出来るだけ小さな不幸せを

順々に巡るような、そんなような生き方をしたいなと思う。

勘の良い人は気が付いたと思うが僕は甲本ヒロト信者である。


切り花の蕾が咲くように、

そしてそれが絶対的に枯れゆくように、

些細なことで一喜一憂出来るような、

小学校の成績表で担任の先生から言われるような、なんてこともない感受性豊かな人でありたいなと思う。



花続きで比喩するならば、

そんな小さい切り花達がひとつに合わさってブーケになるようなそんな人達と、そんな僕の気持ち達と生きて行くことが出来ればと思う。

不老不死、造花の人工的で味気の無い永遠なんてものは不要なのである。



普段と変わりのない日曜日の帰り道、

それを幸せに思えるようであれば

それで良いのかなと思う。


次回予告

英国退屈日記初のグルメ記事にする予定である。

首ではなく、フォークとナイフを洗って待っているべし。




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なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう 

そんな気持ち分かるでしょ

情熱の真っ赤な薔薇を 胸に咲かせよう

花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方"


情熱の薔薇/ザ ブルーハーツ