アゲ武装

 

ここのところWi-Fiの調子が悪く、近場のカフェで仕事をすることが多かった。

その日の気分で西側のところへ行くこともあれば、やや南に歩く先にも足を伸ばした。

決まって頼むのはレギュラーミルクのラテとジャリジャリ音がするシナモンバンである。

日本では一緒くたにシナモンロールと呼ぶのだろうか。

僕はこのシナモンバンが大好きで、朝起き抜けに(正確には床から出る前に既に)彼らのことを考えているのだ。

 


昼前ごろまで仏頂面をした資料に目を通し、

いかにもジャパニーズ色したセールスマン声のメールをセコセコ返すわけである。

意中のカフェの店員にウィンク1つもくれてやるならいいが、

ご存知の通りそんな訳もなく。

仕事が終わって、

親の仇を叩き殺すようにパソコンを閉めて、

浮き足、駆け足、勇み足で花束片手にデートに行く、訳でも無い。

(ちなみにいま、例に挙げた2つは普段思った事もなく、横のスピーカーから流れてきたブレッドアンドバターが僕にそう思わせたのである。)

 


まあ何が言いたいかと言うといくらブルーハーツ

やりたくねぇことやってる暇はないと声高に歌おうが、

僕たち労働者諸君は、やりてぇことやる時間の方が少ない訳である。

これについては聖書に載せても良いくらいの真理である。

 


と言うことは、朝起きて夜寝るまで、もしかすると寝ている時までも、

好きなもので身の回りを武装した方がいいのでは無いだろうか。

僕は彼女たちギャルの言葉を借りてそれらをアゲと呼んでいる。(未だに彼女たちはアゲと言うのかは知る由もない。)

人生詰まるところアゲかどうかである。

 


エコパークのマグカップ

オブスキュラーのコーヒー豆。

山下達郎のサンデーソングブック。

モヘアの羽織り。

カナヤブラシの歯ブラシに、ビオデルマの化粧水。

ルラボはガイアックの香水。

ソーネットの椅子。

イギリスかイタリアで作られた眼鏡。

風の日の翌日の道路。(イギリスは落とし物大国で本当になんでも落ちている。

おむつからMacBookまで伊勢丹も驚きの品揃えである。)

雨の日のベランダから嗅ぐ芝生。

晴れの日の犬の顔。

浴槽から見上げる天井と目下敬愛中の向田邦子の短編。

ペンギンの万年筆とスマイソンのノートブック。

氷を満杯に入れたウイスキーに、洗浄の行き届いたタップで注がれるギネス。

玉川堂の茶筒(これだけうちに見に来て欲しいくらい美しいのだが誰にも見せてはいない)に、鹿児島の知覧茶

 


この様に挙げれば煩悩より多い訳だが、全部アゲで出来ている。

この世の中、サゲなことばかりで、油断するとふと目にしたニュースや、(もちろん向き合わなければいけないのだが)

血眼になって粗を探しては大声上げて糾弾する名もなき彼らだったり、

コロナ以降特に僕たちはいつの間にか疲れていたり、悲しんでいたり、

はたまた楽しんでいいはずなのに、喜んでいいはずなのに、どうしてだかそうしてはいけないと思わせる何かだったり。

そんなことばっかりなのである。日本だけではと思っている貴方、須くこちらもそうであるから安心してほしい。

国民性というものは多様性という名の無個性化を経て希薄になりつつあり、

日本の湿っぽい陰気なものの類もこちらにもあるし、色、性、国籍、どれをとっても差別もある。

だからといってこれらサゲにいちいち心を持って行かれたらやってはいけない訳である。

アゲ武装しよう。1番小さいところにアゲを見つけよう。

どれだけミクロ化出来るか、これが勝負の分かれ目である。

と、下校中の小学生を笑顔で見送る横断歩道の老人を見つめながら思う。

 

 

 

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“気持ちとしてもキリッとするわけだよ、自分でも。

高い時計をしてるより、高い万年筆を持っている方がキリッとしますよ。

万年筆と、それから手帳なんかもそうだね。

男っていうのは、そういうところにかけなきゃだめなんだ、金がなくっても。”

 


男の作法/池波正太郎