僕はこの半年でたくさんの手を見た。
とりわけ固く握った手をよく見た。
ちょっとだけそれについて書いてみようと思う。
バラバラに書き留めていたので纏まりがないね。
今現在、ニューヨークの地下鉄で左手を固く握っていて、その手の内側には手提げ鞄の紐がある。
目の前で浮浪者が地べたに座ってタバコをふかしているのである。
もし偏屈な読者がこの中にいるのならば、
これは今現在起きていることではなく、後日談では無いかと思うだろうが、そんな事はどうだっていいのだ。
問題は僕の鞄であり、浮浪者の所動であり、地下鉄の行方なのである。
初めてニューヨークを訪れている僕は右も左も分からず、マンハッタンの上の方へ宿を取った。
カリブ系の黒人が多く住むエリアで、アジア人は一度も見かけなかった。
仕事で訪問しており、日中は宿のハーレムから、マンハッタン、ブルックリンとかけずり回っていたし、夜は夜で治安が不安で早く帰っていたため(歳を重ねて些か臆病になったと思う)、自然と主食は立ち食いのタコスかスライスピザになった。
学生時代よりアメリカには留学をしていたこともあって、慣れ親しんだ味たちであった。
僕は癖で美味しいものを食べていると自然と左手をギュッと結び、親指を立てるクセがある。
アポイントの間の30分でペパロニピザのスライスを飲み込んでいた時も、いつのまにか左手はグーサインである。
そういえば幼稚園の頃、空手のスクールに一度だけ行ったことがあった。
拳の握り方を教えられた。猫の手をしてから隙間が入らないようにきつく握って、親指は中に入れてはいけない。折れるから。
そんな事より先生から納豆の匂いして一回で辞めた。
イトーヨーカドーの最上階あたりで、
幼なじみのたー坊と一緒に行ったのだ。
鮮烈に覚えている。臭かったから。
ブラック リブス マターの象徴も握り拳だった。
僕がこの件に関して深く述べることは現状では無いが、
与えられた役割、慮る気持ち、自分と他人の整頓された区別を持ち合わせていれば、
ちょっとだけ世界は優しく手を握れるのかもしれない。
そういえば最近身の回りで子供が増えた。
僕もそろそろ30代に差し掛かるわけで、
友人達の出産ラッシュは至極当然なのである。
あるいは僕がマイノリティなのだ。
体育が終わってみんな眠いながらにも算数にきちんと取り組んでいる際にまだ校庭を全力ダッシュしているのが僕である、おそらくそんな感じ。
子供は5分あれば喜怒哀楽を7周くらい出来るペースで必死に生きていて、そんなに笑って泣いて時折羨ましくもなる。
そんな彼等が泣いている時にも僕は固く結んだ手をみた。
辛うじで形をとどめているような朧げなその手には明確な意志が宿っていて、指を差し出すとそれをぎゅっと握る。
あやしているのは僕で、励まされているのも僕なのである。
前回帰国した際に祖母の家を訪ねた。
祖父(祖母にとっては夫)を亡くしてから、
彼女はずっと夫の夢を見ていたそうだ。
一周忌を終えたばかり頃の訪問だったと思うのだが、祖母が涙ぐんだ声で僕に言った。
『一周忌が終わってひと段落してから、じいちゃんが一回も夢に出てこなくなった。』
夫と添い遂げ、たくさんの子供や僕たち孫に囲まれて生きる彼女の手は既に皺くちゃなのだが、その皺が伸び切るくらいきつく手を結んで僕に言ったのだ。
安心して旅立ったからだね、なんて簡単な事は僕には言えなかったのだが、おそらく彼女は90歳近い今尚、自分の人生を前に進めていて、夫の死をきちんと享受していて、そんな強さを僕はその拳から感じ取ったのだった。
“どうせこの世は幻なんて 口にしちゃだめだ
もううっすらみんな知っている
悲しいことだろうと 全部あくびして消えた
さあにっこり笑って俺と
ナマのコンガで踊ろう
ナマのステップを刻もう
ナマ身とナマ身で揺れよう 永久に”
ナマで踊ろう/坂本慎太郎