“ほんの少し気合を入れて、鳥肌立ちそうな言葉を吐くって大切なのよ。そういう言葉が人付き合いを円滑にしていくの。”
今読んでいる本でそんなことが書いてあった。
この気合を持ち合わせていなかったが故に、
僕は一体どれほどのものを失って腐らせてきたのだろう。
僕の両親はこれに関してはプロで、
持ち得るもの全てを賭けて、
或いは持っていもしないものですらも、
僕に向けて投げ掛けた。
(恐らく...僕の前世の行いがとても良かったのだろう。)
生きれば生きるだけ、愛について。
それがいかに取り留めがなくて、
それでいてとても掛け替えのないものなのかを考える。
約1万日強も生きているのに、
どうして割り切った言葉を見つけられないのだろうか。
それか気合を入れて鳥肌が立つことを恐れているだけなのか。
もしくはもう見つけていたりする気もする。
仕送りに添えられる母からの手紙を見つめてそう思う。
飲酒量:芋の白湯割りを2杯