"お客さん寒くないですか。丁度は人でまちまちなものでね。最近は涼しくなってきましたし、身体を崩さないようにしないといけないねぇ。"
確かにこの日の夜は少し涼しかった。
品川の辺りで飲んでいた僕は
終電をとうの昔に無くしていて、
名は分からないが大通りでタクシーを拾った。
"今から通るけど高輪には大木戸があってね、東海道から江戸に入る関所になっていたわけだね。これを作ったのが徳川、でも今の政府は薩長でしょう。だから高輪ゲートウェイなんて変な名前をつけちまったんだな。本当は高輪大木戸駅なのにねぇ。語呂が良いでしょ、高輪大木戸。"
"この後大門を通るんだけど、浜松町の横のね。彼処はほら、あの浄土宗があるわけ。
増上寺。
これも徳川家なんだよね、徳川家のお墓があるの。
昔は糞尿は江戸川から東京湾に出て、
その沖でいっぺんに捨てていたらしいんだけど、その集積所を薩長になってから、
この大門に作ったのよ、増上寺の横。
こりゃー酷い嫌がらせだよね。"
僕には果たして江戸時代の話が
今まで影響しているのかは定かではないが、
もしかするとあるいはそうなのかもしれない。
僕自身はこの1年間で全てが変わった感覚なのに、よく行っていた定食屋のおばあちゃんは変わらないし、鯖の味噌煮も変わらない。
街並みなんてのも殆ど変わらず
(昔から変わる事なく変わり続けている)、
時代は僕が思う以上にゆっくりと流れている。
なかなかこんな話をタクシーで聞くこともないので僕は嬉しかったし、もしかすると72歳の彼も嬉しかったかもしれない。
"運転手さんあと20年は続けないとだね。みんな話を聞きたいと思うよ。"
"後2.3年は自信があるけど、5年後はわからないねえ。なにせ人様を預かる仕事だからね。"
彼にはプロの運転手というものを感じるし、
ナビだって使う事なく目的地まで僕を届けてくれた。
東京の道は殆ど頭に入っているのだろう。
裏道を慣れた手捌きで進んでいく。
既に何度かホテルまで
タクシーを使っているのだけれど、
今回のお会計が1番高かった。
"詫びたい人ならこの手を合わせて
淋しさ堪えたお前の横顔
過去(きのう)を引きずるそんな影法師"
影法師/堀内孝雄