こちらニューヨーク、午後3時、雨、こちらの温度で42℃(摂氏で6℃くらい)。機長が着陸体制に入る事を伝えて約30分。白い雲の中を切って進む。翼の乳白色と同じ色を雲がしているので、目に映るのは翼の可動域にある機械的な黒い線のみだ。
それは僕に遠い雪山の中を想起させる。それはそれは遠く長い雪山でいくら歩いても何も見えないのである。あるいは本当は歩いてなんかいないのでは無いかと思わさせるくらいだ。
それでも機体は催事のように予め定められた航路を淡々と沿って着陸をした。
先ほどまでの雪山は灰色のコンクリートに景色を変えていた。
雨というより雲が雨を蓄えて地上まで降りてきた様な冷たい景色が映る。
色彩を持つのは作業着の蛍光色くらいか。
ニューヨークでは決まって夜にジャズを見に行くのだが、僕の好きなジャズクラブはsmallsとその系列のmezzrow だ。
どちらもとても小さい箱で、30人も入ればやっとである。
ニューヨークのblue noteなんかは東京のそれとは違い、大衆的な趣であまり得意ではない。なんちゃらロックカフェのそれと大体一緒である。
今回はmezzrowでピアノとトランペットのデュオを見た。1時間くらいの短いものだ。風貌からもすぐ見て取れる几帳面そうな黎明期を過ぎた手練れのピアニストと、こちらも70歳に近いであろう男性のトランペット奏者(トランペッターという響きがどうも好きになれない)だった。彼は南米にルーツを持つようで気さくな音を出す。
対象的な2人だが長いこと組んでいるようで、喩えるならば彼らが穏やかな小川の対岸からひとつずつ石を落とし合って、その波紋が川の中心で交わり合うようなそんな演奏だった。
あるいは曇天の中、重なる出張疲れから感傷的になっていただけなのかもしれない。
1つの道具を愛し続けて老いるまでそれを楽しみ、きちんとそれで食べていけることは純粋に羨ましくも思えた。
その日は深夜の3時から日本とのミーティングを控えていた為、ピルスナーを1杯だけ飲んでホテルに戻った。
自分に甘く他人にも甘くがモットーの僕は、突発的にしてはいささか高過ぎるご褒美を自分に買って3日間と短い滞在を終えこれまた曇天のイギリスに戻った。
ビザの関係で従来3か月掛けて行うツアーを(最近出張ではなくツアーと呼んでいる、カッコいいからだぜ)を1.5か月のうちに詰め込んだせいで殆ど記憶がないのだけれど、不眠症用のヒーリングミーティングとテクノを交互に聴き疲れを誤魔化しながら過ごした。バケットもパスタもワインもスライスピザも見飽きるくらい食べたし飲んだので、和食を静かに食べて自分の布団で眠りたい。
僕の一生を賭けて愛する道具は自分の枕なのかもしれない。
“やさしさの毛布でわたしは眠る
あなたがくれた特別あったかい
だから大丈夫 流れる涙も
やさしさの毛布でわたしは眠る
やさしさの毛布であなたはひらく
夜の街のすみずみまで
だから大丈夫 冷たい雨も
あなたのいない夜 眠りにつける”
優しさの毛布で私は眠る/冬にわかれて