英国退屈日記:エピソード

一体、いつになったら止むのか。

こちらの人間は6月の雨の如くひたすらに話している。

特にスペイン人のそれはひどい。

梅雨どころでは無い、台風24号辺りの大型の暴風雨だ。

何を話しているのか聞く方が野暮である。

内容はなんでも良いのだ.。

ヨーロッパ退屈日記の中では

ナイフの投げ方で何時間も話し込むといったエピソードがあった。

 

ある日夕食を取っていると、居候宅の老紳士に、

今日起こった面白い事を話してくれと言われた。

その日は用事を済ませ、早々と帰宅した日であったから、

まず珍事など起こっていない。

何を話したかすら覚えていないが、

犬も食わない様な話をした気がする。

四半世紀を生きた僕だが、面白いエピソードなんてそうそう持ち合わせていない。

これについてはこちらに非がある様にも思える。

他人に何かを伝えようと日々考えていれば、小さな珍事に気がつくのだ。

カメラを持って外に出れば、いつもは気がつかない道端の花に目が行く様にだ。

これがこの日記を始めた訳のひとつでもある。

 

 

話といえば、異言語の人間と関係性を築く際に

必ず持ち上がる話題が、

音楽、スポーツ、そして俗語だ。

ここで覚えた俗語は漏れなく覚えている。

寧ろ、これしか覚えていない。

ケンブリッジに留学した際には、

Bloody hell!!  *クソが!!

であったし、

ポートランドでの留学では

Hoochie-coochie girl   *あばずれ女(といったところか)

であった。

今回はというと

ポルトガル語でゴキブリを意味する

Cucaracha

だった。

合言葉の様に仲間内で用いる事で、急速に仲が縮まるのだ。

最近の関心事を3つ挙げろと言われた際に、

恋人、昔の恋人、そしてKazu(僕の名前である)。

と言い放ったイタリア人のフランチェスコには

『酒が飲めるぞ』を教え込んでおいた。

是非カラオケに連れて行きたいものだ。

最後にそんなフランチェスコが話してくれたエピソードをひとつ。

 

 

ー カナダに旅行に行った時の話なんだけどね。

僕が深夜に森の中を運転していたんだ。

(....ちょっと失礼、ここでお気付きだろう、フランチェスコは男だ。)

勿論、灯なんてなくて真っ暗な中ヘッドライトだけで走っていたんだ。

ずっと続く一本道に飽き飽きとしていたその瞬間にね、

何か大きなものが正面から車にぶつかったんだよ。

時速80キロは出ていたと思うね。

なんだと思って車を止めたんだ、

そしたら鹿を跳ねてしまっていてさ。。。

その時咄嗟に言っちゃったね、

"Oh,Dear deer." ー

 

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”ひとりっきりのドライブ ほんの思いつき 真夜中のジョーク

早起きなら苦手だけど 夜更かしなら気分次第”

 

真夜中のジョーク/間宮貴子

 

  

 

 

英国退屈日記:朝食

こちらに来てからというもの、

僕の朝食といえば、

決まってクロワッサンとホットラテ。

ホルボーン駅にあるチェーン店で買うと決めている。

ラテなんかは既にミルクがカップに入れてある状態で常時4つは待機しており、それに10秒でドリップされるエスプレッソを入れるだけ。

一方クロワッサンはどうかというと、

ビジネスホテルのシングルルームのような味だ。

元来、時間にゆとりを持てない性分であるから、速さに重きをおくこの店とは相性がいいのだ。

所詮朝食なんてものは、血糖値を上げる作業である。



サウジアラビア人のマハメッドは

いつも遅れてやって来る。

どうして遅れたのか、と尋ねると

『朝食を長く取りすぎた。』と言うのだ。

彼らの国では、寝坊した時に

この言葉を用いるらしい。

実際に朝食は取ったのかと尋ねると

当たり前だろ、朝メシを食わなきゃ

外には出れないだろ。

と返して来た。


僕が予定に遅れない為に、

蛇の体温の様なラテと小麦の成れの果てを

胃に詰め込んでいる間、

彼はゆっくりと紅茶を啜っていたのだろう。


今夜は手の込んだ料理を作ろうと

心に決めたのだ。





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"失敗作の半熟卵は今日も固茹で

そんな時はこうするのさって

頭で割って

美味しそうに食べてくれるの。"


朝のメニュー/渡辺真知子

愛をあるだけ、すべて

恐らく携帯で見ている人が多いだろう。

僕はパソコンで書いているので、携帯とでは反映のされ方が異なるらしく

読み辛い文章になってしまっている。要検討。

 

ところで僕の好きな言葉に「割愛」というものがある。

意味としては”惜しいと思いながら、捨てたり省略する事”とのこと。

語源は仏教用語だそうだ。

”愛を持って分つ。”

本当はやりたいんだけど〜、とても残念だけど〜省略します。

なんて素敵な言葉だろうか。

胸を張ってサボれる。

勿論英語には、割愛を表す言葉はない。

 

現在僕は、公認会計士のイギリス老紳士と複数の会社を経営するアフガニスタン人の家に居候している。

彼が運営する会社のひとつが葬儀屋だ。商売資源が尽きることはない。

良い仕事だ。

そしてこの家には僕の他に2人の日本人が住んでいる。

このアフガニスタン人出資のもと、アパレルブランドのデザイナーをしている。

要するに僕の顧客だ。

それ以上にプレイングカード(日本ではトランプと呼ぶ)のライバルである。

その内のひとりと食後に一服をしながら話していた。

好きな洋服、ブランドその様な話である。

昨今のアパレル業界ではSustainability(持続可能性)やEthical Fashion(道徳的様式)などと言ったワードが一番の関心事となっている。これらに自分が反対な訳では無い。

現に耐久性のない急造の建物に縫製場をこしらえ、重さに耐え切れず倒壊し何十人もの人が死んでいる。

ただ、ファッション業界全体が、自分たちで創り上げた製品、世界観ではなく、

それらを作る過程にフォーカスしてしまえば、服が服である意味がなくなるのである。

持続可能性を求め、リサイクルコットンを使い続ければ、綿花農家は潰れる。

フェイクレザーを使えば、鞣し屋は潰れる。

無くなってからでは遅いのだ。

そんな中、同居している彼は全くそんな事を考えていない。

所謂、服バカだ。

それが強い。

自分が着たい物をただ作っているだけだが、

デザイナーのあるべき姿ではないかと思う。

クリエイションに規模の大小は関係無い。

 

僕にもやっている事、やりたい事がある。

そのことについて今本当に書きたいのだが、

 

割愛しようと思う。

 

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”シラナイコト ヤリタイコト タクサンアルノ”

 

時間がない/KIRINJI

英国退屈日記;自己紹介

伊丹十三。怒れる老人。

 

僕の好きなものに、怒れる老人というものがある。

例えば、柳宗理岡本太郎、コルヴィジェなんかである。

何かを為し得た後も、怒りのエネルギーが枯れない彼らの情熱を’老害’と一蹴してしまう事は出来ないだろう。

アイリーングレイの邸宅に落書きをしたコルヴィジェは当時51歳であった。

 

 

取り分け、伊丹十三の怒りはニヒルでどこか肩透かしな日本人特有のそれであり、

そんな彼の心持ちに深く共感する。

彼の著書にヨーロッパ退屈日記というものがある。

ヨーロッパでの俳優業を通して出会う西洋人とのエピソードや、当時の生活が描かれている。

短いエッセイ調の語り口で、オチもあまり無く倩と綴るだけなのだが、とてもクセになる。

 

僕も現在ロンドンに住んでいる。

25歳男性。

職業は生地屋。

生地屋というとよく日暮里あたりのいわゆる生地問屋をイメージされ易いのだが、またちょっと違う。

これについてはまた書こうと思う。

趣味は花を買う事と、靴を磨く事。

酒は家で飲みたい。

かなり内向的な嗜好を持っている。

こちらに来て間もないが、

感じる事と言えば別に日本だろうが、イギリスだろうが何処だろうがなんら変わりはないということだ。

住む場所、話す言語が変わっただけという印象である。

(恐らく僕の趣味思考に起因する。)

しかしその言語に苦戦を強いられたり、ウォシュレット無きトイレにもまた苦戦を強いられたりしている。

この歳になって一時的欲求が脅かさせれることもそう無い事であるし、

折角だから記録に残そうというのがこのブログの趣旨である。

退屈前提で過ごしていれば、楽しい事が多いような気がしている。

伊丹十三の言う退屈はまた違った意味合いだが、それは読んでもらえれば分かる。

 

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”旅慣れて ニタリと笑う 俺の心のドン ジョヴァンニ”

伊丹十三著;ヨーロッパ退屈日記より