アルコール度数6%のエッセイ7

 


料理家の土井善晴さんが好きだ。

彼は一汁一菜を提唱していて、

日々のご飯はご馳走でなくて良い。

具沢山のお味噌汁に1つおかずがあればそれでいいと言う。

おかずも時間が無ければお漬け物だって良いそうだ。

 


お米も食べる分だけ炊く。

手間を掛けなくていいから、

毎回作りたてのお味噌汁とご飯を食べようと言う。

 


僕は一人暮らしをして長いのだけれど、

作り置きをする事が苦手だ。

1週間分の買い出しも作り置きもまず出来ない。

毎日同じ服を着る事も好まない僕にはハードルが高すぎるのである。

とは言え、味噌煮込みやもつ煮なんかの煮込み料理が好きでよく作る。

すじ肉はこちらで手に入り辛いからオックステールを買って、小麦粉を塗して火にかける。

焦げ目が付いたら、皮も剥かずに野菜をぶつ切りにして鍋に入れて、あとは適当に酒やネギの青いところ、生姜なんかを加えて数時間煮込むだけである。

 


大体3日くらい持つし、その間同じものを食べることは僕にとって苦痛ではない。

 


しかしながら、一度煮込んでしまっては、

食べ切るまでそれ以外のものを食べる訳にはいかない。

ある種の契りのようなものだ。

手間を省くかわりに僕の数日を生贄に捧げるのである。

 


思いがけず仕事が早く片付いて時間があったとしても、僕はこれを食べなくてはいけないから、外食したり、人と会ったりする訳にはいかないのだ。(人を招いて一緒に食べるには少々量が足りない。)

 


便利さを取ることで外界から遮断される(されるというよりは自ら絶っているに近い)。

気がつくと2本目のビールに手を伸ばしていて、1日誰とも会っていない事に気がつく。

 


土井さんは一汁一菜を通して、他者と、社会と、はたまた本来の自分と繋がる機会を増やそうとしてくれているのではないのかと、煮詰まり切って角の取れた野菜が転がる3日目の煮込みに箸を伸ばしながらそう思う。

 

 

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飲酒量:缶ビール2本

英国退屈日記『オイスターカード』

全くもって嫌になる、この手際の悪いことよ!

絶望的な要領の悪さである。

仮に人類を神が創ったのだとしたら、

これは正に欠陥工事である。

 


何に憤っているかというと、

欧米人の改札前での所業についてである。

 


日本で言うところのスイカ的なものがこちらにも当然ながらあって、オイスターカードと言う。

 


トップアップ式のカードで、使い方はスイカとなんら変わりない。

世界一利用数の多いと言われている新宿駅ですら、人々は正に流れるように改札を通り抜けていくわけだが、こちらではそうはいかない。

どの駅でもいちいち長蛇の列になる。

確かに改札の数がやや少ないことは認めよう。

然し乍ら、それを差し引いても通り抜けるのに時間がかかり過ぎているのである。

 


理由は複数あって、まず初めにくるのが、

そもそも改札の直前に立つまでカードを用意していない事だ。

自分の番が来て慌てて鞄を開けてカードを探し出す。

頭を下げて鞄を漁る彼等に反比例して僕は天を仰ぐ。欠陥業者の神を見つめる。

彼等のモーニングルーティンでも見てみたい位である。手際の悪さを事細かに指摘してやるのに。

 


やっとカードを見つけて、センサーにカードをかざす訳であるが、カードが折れるのではないかと思うくらい強くセンサーに押し付ける。

物事には須く適切な距離感というものがあって、近づけば良いというものではない。

ましてや機械相手に力を使ったところでぬかに釘、全くもって意味を成さないのだ。

くしくも塩梅という言葉がない国では通用しないのかも知れないが、触れるか触れないか位の絶妙な距離感を保つことがセンサーを使いこなす心得である。

 

何度かカードを機械にぶち当てて、

はたと気がつく。このカードではなかった。

また鞄を漁る行為に戻る訳だが、

世の中決まってこういう場合には、

探してもいないところに答えがあったりする訳で、この場合の正解はジーンズの左ポケットであった。

 


こんなことを5-10人くらい続けて僕の番になる。この間に果たして何本の電車を見送ったのであろうか。

 


4口コンロを華麗に捌くことも、

洗濯機を回してから入浴に移ることも出来る僕は、既にオイスターカードを右手に控えさせている。

左手にはこの後役目を終えるカードを迎え入れる為に、財布を開けて待ち構えているのだ。


遠過ぎず、近過ぎず、姑との付き合い方を心得ている嫁の如し距離感でカードを改札にあてがう。あら、お母様ごきげんよう


0.5秒ほど遅れて反応するゲートに合わせて、

既に僕の右足は歩みを進めている。

機械というものは人間が支配すべき物であって、逆はあり得ないのである。

マシーンの都合で僕が歩みを止めることは決してあってはならない。


既に左手の財布が、

務めを終えたオイスターを迎えに行く瞬間、

赤いランプが光ってゲートに身体がぶつかる。

 

 

 


残高不足である。

 

 

 

後ろの女性に一瞥をくれられた僕は、

入り口まで戻って券売機の画面をこれでもかと力強く押すのであった。

 

 

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"この悲しみをどうすりゃいいの

誰が僕を救ってくれるの

僕がロミオ 君がジュリエット

こいつは正に大迷惑

君をこの手で抱きしめたいの

君の寝顔を見つめてたいの

町の灯潤んで揺れる涙 涙の物語"


大迷惑/ユニコーン

アルコール度数6%のエッセイ6

 

“ほんの少し気合を入れて、鳥肌立ちそうな言葉を吐くって大切なのよ。そういう言葉が人付き合いを円滑にしていくの。”

今読んでいる本でそんなことが書いてあった。

 


この気合を持ち合わせていなかったが故に、

僕は一体どれほどのものを失って腐らせてきたのだろう。

 


僕の両親はこれに関してはプロで、

持ち得るもの全てを賭けて、

或いは持っていもしないものですらも、

僕に向けて投げ掛けた。

(恐らく...僕の前世の行いがとても良かったのだろう。)

 

 

 

生きれば生きるだけ、愛について。

それがいかに取り留めがなくて、

それでいてとても掛け替えのないものなのかを考える。

 

 

 

約1万日強も生きているのに、

どうして割り切った言葉を見つけられないのだろうか。

それか気合を入れて鳥肌が立つことを恐れているだけなのか。

もしくはもう見つけていたりする気もする。

 

仕送りに添えられる母からの手紙を見つめてそう思う。

 

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飲酒量:芋の白湯割りを2杯

独善的な祈り、受動的な生死について

故人を思い出す時、天国にいる彼らの上には花が降るらしい。

仏壇のりんを鳴らす時、その音は彼らに聞こえているらしい。

 


全く独善的な考えだと思う。

 


もし天国に時間という概念があって、

深夜2時頃に顔の上に花が降ってきたり、

りんが鳴っては堪ったものではない。

 


ましてや全員が天国にいるならばまだ良いが、

もし地獄にいるとしたらどうか。

おそらく降ってくるのはナメクジの類いである。

 


そんなことはどこ吹く風、

僕らは勝手に故人を偲び、思いを馳せるのである。

 


時には祈り、時には神や仏などにすがるのだ。

 


それでも僕たちが彼らに出来ることはそのくらいのものであって、自分勝手なことは分かっていながらも、祈りを捧げ続けるのだ。

墓石に花をやり、両手を合わせたり、組んだりするのだ。

生きていた頃なんかには言えなかったような言葉を口をついて出てくる。

 


御影石を使ってたいそうな墓を建てたり、

生々しい色をした仏花を飾ったりする訳である。

 


病院で診療を済ませ会計を待つロビーでそんなことを思う。

ここまで仰々しい前書きだとさぞ大病を患って受診しているのかと思うだろうが、

ただの吹き出物を診てもらっただけである。

(アゲで身を固めたい自分にとって、

吹き出物なんてものは純度100のサゲでしか無く、忌々しい以外の何者でも無いわけである。)

 


ビタミン剤と抗生物質を貰ってて支払いを済ます。

 


そもそも病院とか注射とか血とか、そういった類ものがとにかく苦手だ。

前世は恐らく病院で酷い死に方をしたのだろう。そうに違いない。

 


この日は朝方雨が降っていたのだが、

病院から出る頃にはすっかり止んでいて、

雲の隙間から冬らしい暖色掛かった光が差し込んでいた。朝の11時ごろである。

 


ふと前を見ると、交差点のポールに乗り上げて完全に前輪が2つとも宙に浮いている車が打ち捨てられていた。

穏やかな昼の景色の中で、

明らかに不自然な存在感を放っていたのだが

ドライバーの姿は無く、

通行人やその横を通る車達も、

あたかもそこには何も無いような、

どこ吹く風で通り過ぎて行く。

 


その車両に重なるように光が空から差し込んでいて、それを見て何故か僕は、人間は死を意識した時にだけ、生を感じられるのだなと思った。

 


この程度の事故では恐らくドライバーは無事だが、当の本人は死んだと思っただろう。

生きている、良かったと思っただろう。

 

 

 

僕も病院を出て、今日も生きているなと少しだけ思った。(何回も書くが吹き出物で、である)

 


人は何か生を脅かすものを感じた時にのみ、

生のありがたみを覚えるのだ。

 


一方で死についてはどうだろうか。

 


1つ間違いの無いこととしては、

僕らは能動的に死ぬべきでは無いということだ。

 


僕らは須く何かに生かされている訳だから、

何かの為に最後を迎えるべきである。

三島由紀夫でもあるまいし、

自害なんてものはもっての外である。

 


自分が去った後も生きて行く者に対して、

何かを残せた時、それが残ったと、

残された者達に認められた時、

これが死を認識する時なのでは無いだろうか。

"残された者"とは、故人に先立たれた者のことでは無くて、意思を、愛や想いを"残された"者のことを指すのでは無いだろうか。

 


もしそうなのだとするならば、

僕らは自らの人生を勝手に生き切ったと思いがちだが、実は自らの生死ですら、受動的に決められているのだ。そうあるべきなのだ。

 

そんなことを、

でき物を3つ程こさえた顔で考えていた。

 

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"Saravah! 甘い日々

カドリール 青い天使

いつかまたどこかで会おう

So long 淡い風

心にかかる夢よ 

いつかまた おまえと会おう

今 限りない記憶をたどる

酔いしれピエロみたいに"

 


Saravah!/高橋幸宏

割愛

今年の書き初めは"割愛"にした。

思ったより4割くらいか細い字で、

左に斜行してしまった。

決意と呼ぶには程遠い字であった。

 


僕は割愛という言葉が好きで、

元来、惜しみながらも思い切って捨てるという意味だ。

 


なぜこの字にしたかというと、

昨年が蓄えた年に思えたからだ。

無論、脂肪の事ではない。(いささかそれも蓄え過ぎた気もするが)

 


流行り病が始まって規制されたのは、

物理的な行動ではなく、

真に抑制されたものは言論や感性の類だと思う。

"叩く"という言葉が横行し、

ほぼ無差別に熱を感知した箇所を叩きのめしていった。

僕にそれは意志を持ったアメーバを思い起こさせる。

 


多様性を重んじようとする流れの中で、

明らかに矛盾した形で均一化が進んでいった。

 


この前友人と話していて、

1人が今は"NOパンク時代"だと言った。

その通りだと思う。

 


はみ出たものはアメーバに嗅ぎつけられて、

瞬く間に飲み込まれる。跡形もなく。

 


人種や性別を慮るが為に、

007の主人公が黒人女性になったり、

ヨーロッパの旧時代ものにアジア人が登場するなど、辻褄の合わないことが起きている。

 


プラスチックを減らすという大義名分のもと、紙を大量に消費している。

10年ほど前は森林伐採が良くないと、

ペーパーレスを進めていたはずだが、

あれはどこに行ってしまったのか。

 


こういうことに疲れて、

なるべく感情を揺さぶられないようにと、

映画やメッセージ性の強い展示なんかを意図的に避けてきた数年間だった。

 


すると自然と自分の中に消化出来ない、或いはする気のない感情や意見、その他様々なものが蓄積していくのだった。

 


それらを今年は淘汰して、

割愛していく年にしたいなと思う。

捨てる機会を逃したくたびれたタオルケットのような、

ただただ嵩張るものたちを仕分けて、

改めて自分の容量を空ける作業である。

 


人と話すこと、新しいものを見ること、聴くこと、赴いて体験すること、そういう事に時間を割くことで、新たに何かを入れることで溜まっていたものを手放していく、整理していくというのが、僕の意図する割愛である。

 


この1年を通して残ったものが、

今後一生大切に出来る、

そんなものになるといいなと思いながら、

今日6個目の切り餅を頬張っている。

 


残っていたティラミスも食べた、

昨日作ったこれまた残りの角煮も平らげた、

ふと間接視野で捉えたポテトチップの、

以下割愛。

 

 

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"どれ程 目をこらしたなら明日が見えるのだろ

僕にもわからないけど 信じていたい

誰かをせめちゃいけない もちろん君自身も

何かが狂っただけさ よくあることさ

せめて君の夢が かなうよう

僕は唄い続ける この唄を"

 


夜明け/松山千春

英国退屈日記『何度目かのパリ』

信号を待っていると地下鉄の振動が足に伝わってくる。

僕の後ろをサンタクロースの帽子を被った子供たちが通る。

大寒波に凍えるアジア人の僕は彼らにどう映っているのだろう。

正確には彼らには何も映っていないのだ。

今日で年内の学校を終えた彼らには、橙色の電気に飾られたパリの街並みと目前のクリスマスしか目に入らないのである。

 

キリスト教でも無い僕からするとやはりクリスマスはラブソングだなと思う訳で(感覚的には正月にラブソング聴いているくらい本来はおかしな話である)、

BerlinのTake My Breath AwayとかWhitney HoustonのSaving All My Love For Youとか流してみるが、

パリの街並みにアメリカの曲はめっきり合わず、

いやいや、フランスのラブソングをと思うのだが所詮Edith Piaf位しか知らず、

年末恒例の尾崎紀世彦にはまだ時期尚早で、

自然と明菜とか渡辺真知子あたりに行き着いてしまう。

これでは、消毒液か、と思うくらいに濃い茶割を片手にした深夜のゴールデン街と差し詰め変わりがない。

 

確か前回のパリは夏前だったのにとても暑い日で、町中を舞う砂埃で喉を痛めた記憶がある。

空気汚染は上海と同じレベルだそうだ。

粘膜系が弱い、桐箱育ちの僕は絶対に住めないなと改めて思う。

フランス人の何か喉に詰まらせたような話し方はこの為か?と思うくらいである。


蜂蜜漬けa.k.a 桐箱育ちのエピソードはたくさんあって、

苺のヘタは必ず切って出してもらわないと食べられないとか、

蟹も途中でイライラしてしまって身を取ってもらうとか、

挙げ出したら桐(きり)がないくらいだ。(会場ドカン。)

 


僕の仕事は大体半年後のショーに向けて、

客と生地を作ったり、当てがったりする訳なのだが、今回は2024年の春夏物の商談で、

まだ裏革の手袋をはめて、太畝のコール天のジャケットにコートという装いでいるにも関わらず、

麻やマドラスチェックなんかの触っただけでも風邪を引きそうなものを見せるのである。

今の季節に合っていない生地に喉を痛めさせられる前に早々に商談を終えて、客との会食までの間にジャケットを買いに行った。

既製の物だが、1着スーツを誂えるくらい値段の張るものだった。

友人がこのブランドでパタンナーをしていて、しかもこのジャケットのパターンも見ていること、

デザイナーがそろそろ変わるのではと巷で噂されていたこと、

イタリアのとりわけ好きな工場で縫製されていたことなど、

言い訳で自らを理詰めして購入した。


いつも大切な買い物は何故かパリが多く、

英国に住まいを移した時に、決意として買った革靴、

ケジメとしてのソールライターの写真集、

他にも何かとパリが多い。

僕にとってのパリはある種、人生の区切りだったり、これまで歩んできた(というとおこがましいが)時間の栞、時には句読点のようなそんな存在なのかもしれない。

 


植木等のスーダラ節は元々彼が新しいネクタイを買った時に、周りに気がついて欲しくて注目を集めるために歌っていたそうなのだが、僕にも今その気持ちが分かる。

 


帰りのユーロスターで歌ってロンドンに帰ろうと思う。

 

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"ねらった大穴 見事にはずれ
頭かっと来て 最終レース
気がつきゃ ボーナスァ

すっからかんのカラカラ
馬で金もうけ した奴ぁないよ
分かっちゃいるけど やめられない

ア ホレ スイスイ スーララッタ
スラスラ スイスイスイ"

 

スーダラ節/植木等

 

アルコール度数6%のエッセイ5

僕は本を読む時に、そこに出てくる自分が知らない曲が好きだ。

今日はローズマリールーニーという50年代のジャズ歌手ラフマニノフピアノ協奏曲第2番と出会った。

これらを掛けながらその本を読むと少し深く入り込める気がする。

かなりの偏読の為、出てくる曲の殆どはクラシックか古い古典的なジャズだ。

 

仕事部屋で飲みながら本を読んでいた。

つまんでいたチョコレートのカカオパウダーがいつの間にかTシャツに付いていて、この後床に就く前にまた冷え切ったTシャツに着替えるのかと少し嫌気が差して、読んでいた本に栞を挟む。

 

こちらはもう夜になるとマイナスの気温になっていて、外で煙草を吸うのが憚れるので、

電子タバコ(紙は煙草で、電子はタバコである)で済ませている。

吸い終わって横にあるゴミ箱に吸い殻を捨てる。

 

僕の家にはゴミ箱がリビングと仕事部屋合わせて2つある。

起きてから寝るまでの大概の時間を仕事部屋で過ごす為、仕事部屋にあるゴミ箱には僕の生活のほとんどが無造作に捨てられている。

軟水派の僕が毎日飲むヴォルビックのペットボトル、山崎やマッカランを割るためのペリエの空き瓶、生地の切れ端(仕事で生地を扱っている)から、トイレットペーパーの芯。*僕の住んでいるエリアは紙類と生ごみ以外の分別がない。

 

毎日身体を洗って垢を落とすように、

私生活の垢の全てがゴミ箱にあるとするならば、これほどプライベートな箱は無いなと思う。

自分が何を好んでいて、日々何を消費しているか一目瞭然。

アラサー独身男性のゴミ箱に誰も興味が無いのは分かっているし、漁られる心配も微塵も無いが、綺麗にしていた方がいいなと思う。

自分がストーカーに悩む端麗な美少女では無く、至って何処にでも在るアラサー独身男性で良かった。

 

もう10年も前にアルバイトをしていた花屋の店長が、物を跨いで歩くような人には成るなと言っていたが、その通りだと思う。

 

 

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飲酒量:ナチュールワインというムーブメントにかまけた滋味の無い赤ワイン2杯