ビタミンD欠乏症イギリス人

気候が国民性を形成する上で、

重要な要素の1つであることは

間違いないようだ。


同じ英語(イギリス人言わせれば全くの別物だそうだが)を話すアメリカ人と比べると、

イギリス人の目には輝きが乏しいのが、

一目瞭然である。(目だけに。)


アメリカは西海岸の、

オレゴン、ロサンゼルス、

サンフランシスコ、ハワイしか

訪れた事が無いのだが、

明らかにこれらに住む人々は、

ロンドンに暮らすイギリス人よりも陽気だ。ハワイアンなんかは、

潮風と太陽、ガーリックシュリンプで身体が構成されているはずだ。

悩みなんて日々の波の高さ位では無いのだろうか。

確かアメリカの学力テストで最下位の州はハワイであったと思う。

日本で言うところの沖縄のようなところか。


北欧に比べて、

学力テストでもイギリスは劣っているため、

それであればいくら勉学は出来ずとも、

陽気な西海岸の彼らの方が、

よっぽど良い人生のような気もする。


勿論、ロンドンでも

鼻唄混じりに電車の乗り込む人々を

見かける事はあるが、

十中八九彼らは移民であろう。


友人が話していたが、

才能、実力がある人らがロンドンへ移り、

実際に音がする位バリバリに働く為、

イギリス人の立場が追いやられているのだ。

それに伴って元よりビタミンD不足で、

うつ気味の彼等が、

これもやはり実際に音を立てながら、

メリメリと凹んでいく。

これが現に今回イギリスがEUを離脱する

理由の1つになっている。


ただ、特にロンドンに住む彼等は、

移民が居なくなる、

若しくは自分達がEUの盾から、

剥がれ落ちる事で起こりうる被害を

理解している為、

仮面熟年夫婦のように、

決別出来ず、ずるずると延期、再延期になっている。

この記事を僕が30年後にもし読んだとして、

同じ様な事に僕自身がなっていないことを

切に願うばかりだ。


そんなこんなで、

本音と建前を使い分けると

言われる日本人よりも

イギリス人は建前で話すし、

かなり陰気くさい。

その反面、思慮深く親切ではあるのだが。


人との関係性で言えば、

最近しばしば考えている事があるのだが、

後輩との付き合い方だ。

幸いと言うべきかどうか分からないが、

現在僕には仕事上の後輩も部下もいない。


日本にいた頃は

後輩も部下もいた事があったが、

決まってどこの会社でも、

この関係性に頭を悩ませるのである。

部下が使えない、やる気がない、

そういった類の話だ。


しかしその反面、

後輩や部下が、先輩や上司に対して

頭を抱える事は少ない。

勿論無い訳では無いが、

大概の不満が小言がうるさいとか、

加齢臭がするや、話が長い等、

所詮その程度の話だ。(深刻なパワハラやセクハラは別としてだ。)

これは後輩が先輩に対して、

さほど期待していないからだ。


後輩としては、

ある程度仕事を教えてくれさえすれば、

困った時に助けてくれさえすれば良いのだ。

僕らが考える以上に、

彼等はしっかりしていて、

別に一人でなんでも出来るのだ。


僕らが過大な期待を抱いてしまう為、

それに応えられなった時に、

怒りも湧けば、失望もするのだ。

部下が上司に接する様に、

ある程度何も期待せずに接するべきである。

彼等はなんでも出来る反面、

僕らが彼等と同じくらいの時、

僕らは何も出来なかったはずで、

何も無いところに叱咤だけを与えれば、

残るものは不満と不安だけだ。


彼等がもし出来なかったとすれば、

こちらの教育体制に不備がある訳で、

部下に落ち度はない。

やる気のない部下、

若しくは"使えない部下"にも、

ある程度の成果を残させる様な設備、環境を整えるのが上司や会社の務めであって、

注意や説明の事務的側面を除いた、

個人的な感情での説教は今時の人間には

点で無用なのだ。

これは何もチェーン展開する様な大企業だけの話ではなく、マンパワーで営む零細企業にも通ずる話だ。

むしろ、1人でも出来ない者がいると致命傷になりうる零細企業こそ、求められる要素だと考える。


ほかに上司が出来ることとすれば、

視点を彼等のレベルまで下げて、

当たり前の事でも出来た事に対して、

過度な位に褒める事だと思う。

しゃがんでも視点がまだ上なのであれば、

地面に頬を付けてでもレベルを合わせる事。

その位置で彼等を見れられれば、

怒りなんて湧いてこないはずである。


併せて最後に言いたいことは、

社員を経費として考える会社に未来は無い。

彼等の存在は人件費ではなく、財産だ。

金を産むのは紛れもなく彼等であるし、

そこを履き違える様な社長や上司は、

まずは日光浴でもして、

ビタミンDを補ってから出社すると良い。


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"青年は自分の生きているのが人のおかげだと思うことに堪えられません。

そしてこれが青年のいいところなのであります。

恩返しは人生を賃借関係の小さな枠の中に引き戻し、押しこめて局限してしまう。

それに比して、猫的忘恩は、人生の夢と可能性の幻影を与えてくれるといえましょう。"


著:三島由紀夫不道徳教育講座』より



歌謡曲と白ワイン

"今週のベストテン第1位は、

中森明菜で『DESIRE』"


布施明の『君は薔薇より美しい』に並んで、

ベストテンの中で1番好きな回である。


しばしば、明菜か百恵かで意見が分かれる。

確かに山口百恵の引退ライブで歌う

さよならの向う側は涙を誘うものがあるが、

昭和を代表するアイドルは中森明菜であるというのが僕の意見だ。

あややが最後の真のアイドルであるという意見もたまに耳にするが明菜には到底及ばない。

古き良き日本の歌謡曲の根底にある"諦念"を引き継ぎながらもエッジの効いた振り付け、

当時としては前衛的な衣装。

プロモーションから、彼女の人間像まで、

最初で最後の、今後も越えられる事のないアイドルであると僕は思っている。


時折、友人と酒を飲むとき、

中森明菜の曲をかけては、

脱臼したチンパンジーの様なクオリティで

踊ることがある。

もちろん頭の中では、

自分は明菜だし、

天井からは金銀の紙吹雪が舞っているのだ。

大抵このモードに入ってしまうと、

終わりが見出せず朝方まで飲んでしまう。

まだ日本にいた頃は、

実家からこれでもかと

送られてくる日本酒をアテに踊っていたが、

こちらに来てからは滅法白ワインである。

今年の夏はブルゴーニュを周りたいと、

目下企んでいる。


やはり酒の種類によって、

酔い方というものは大きく変わってくる。

ウィスキーや赤ワインは落ち着いた酔い方で、日本酒、白ワインは勝手に頬の筋肉が上がってくるような陽気な酔い方になる。

テキーラ(良い物は違うらしいが)や、

シャンパン(良いも悪いも無い)は、

僕はかなり苦手で、悪酔いしてしまう。


酔い方が変われば、掛ける音楽も変わる。

ウィスキーや赤ワインは

ジョンコルトレーン

チェットベイカー辺りのジャズであるし、

日本酒や焼酎はやはりひばり姉さん、

アブサンやジン等では、

アースウィンドアンドファイヤや、

タワーオブパワーに始まるR&Bが良い。

テキーラシャンパンは正直なんでも良い。

適当にサンバか4つ打ちでも掛けておけばいいのだ。

白ワインは昭和アイドルとの相性が良いというのが僕の持論だ。


なんてったって小泉今日子ではないし、

センチメンタル伊代でも、

薬師丸と機関銃でもないのだ。

(これから生まれる令和生まれの子らからしたら、今話していることは2個も前の年号の話な訳である。こわ。まぢムリなんだけど。)


白ワインとで言えば、

ミ・アモーレ明菜に軍配があがるのだ。

"少女A"から"DESIER"で上がったかと思えば、

"難破船"で一気に沈む。

ここで弾みをつけて、

"飾りじゃ無いのよ、涙は"で、

しっかりめに踊るのだ。

恐らくこのまま書き連ねても、

伝わらないと思う。

飲む酒なんてどうだって良いだろうと、

思うと思うが、一度試してほしい。

中森明菜と白ワイン。


昭和続きで言えば、

もうかれこれ4年前くらいから、

マイッチング真知子を再び流行らそうと、

常日頃から事あることに口にしているのだが

これが全く流行らない。

納期遅れに、製品不良と八方塞がりで

召され掛けていた僕に、

当時僕のチームで一緒に働いていた後輩が気を使って、

会社の忘年会の幹事でも任されたかの様な気の進まぬ顔つきで、ボソッと

"まいっちんぐまちこ、、ですね、、"

と言ってくれたのが最初で最後であった。


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"過保護過ぎたようね 

優しさは気弱さの言い訳なのよ

発破かけたげる さあカタつけてよ

やわな生き方を変えられない限り

限界なんだわ 坊や 

イライラするわ"


十戒/中森明菜









英国退屈日記『桜』

記憶があまりない。

3月から今日までの記憶があまりない。

朝に食べるクロワッサンと、

昼のチキンカツ丼、

入浴とは呼べない烏の行水で、

なんとか日々のテンポを保つ生活を送っていた。


元来要領は良い方で、

何かにあくせくする事は無いのだが、

最近は処理しなければいけない情報が

多かった事に加え、

ショートカットキーが使えない事柄ばかりで、四苦八苦であった。

1つのウィンドウを消すために、

閉じるボタンを押すと、

新たな確認用のウィンドウが

4つくらい出現する感覚である。

ただ、僕がそれに陥ると周りは八苦十六苦くらいになってしまう為、なるべく避けたいのである。



硬い水の話や、

ビタミンD欠乏イギリス人の話、

かわいいは正義の話、

謡曲と白ワインの話等を、

書きたいなと思っていたのだが、

中々時間が見つけられなかった。


時間は作るものと、

父がよく言っていた。

また、村上春樹著の"女のいない男たち"に

登場する美容外科の先生の様に、

仕事以外の話を

相手に合わせてきちんと出来る人に

魅力を感じる。

そもそも仕事に追われたく無いタイプの人間である為、出来る事ならば、

4、5時間で仕事を終わらせたいのだが、

今はなかなかそうもいかないみたいである。

四半世紀も生きているのだから、

たまには全力疾走で10キロマラソンを走り抜く事もあるのだろう。

そして僕の場合、それが今なのだと思う。

例え仕事が終わらずとも、

銭湯さえあればもう少し楽になるのだが。


3月の下旬頃からであっただろうか、

ロンドンでは桜が咲き始め、

最近では新緑が桜色の下から、

ちらほら覗き始めている。

染井吉野よりもやや濃いか、浅いかの

色合いをした花を咲かせているからか、

まばらに点在しているからか、

日本のそれとは異なり、

あの独特な高揚感はない。

花見の文化も勿論ない。


ツツジや牡丹、

場所によっては

シャクナゲなんかも見受けられ、

こちらではそれらが一度に開花してしまう事も、

桜の特別感が薄れてしまう理由の1つだろう。


先週サマータイムに入り、

昨日からイースターも始まり、

季節上の冬は終わったのであるが、

春らしい事は何一つせずに、

夏を迎えてしまいそうである。


"季節には敏感にいたいなと思う"

(誰の歌詞であった忘れてしまったし、最近固有名詞を思い出せないお年頃に早くも差し掛かってきた感覚がある。)


そう言えば敏感過ぎて、

春になると学校に行けなくなる時期があった。




花見といえば、お弁当だと思うのだが(それ以上にお酒である事は一先ず置いて欲しい)、

先日友人とお弁当、

特におにぎりの話になった。

自分の親が握ったおにぎり以外、

市販のものを除いて、

食べることが出来ない人がいるという話だ。

彼もこの手の人間であり、

僕もその話は昔にテレビか何かで、

観た記憶があるのだが、

彼等は潔癖症の部類ではなく、

ザコンの部類なのだそうだ。


ラップに包んで握っているとか

そういう問題ではなく、

親以外の他人が作ったということが、

すでに事件なのである。

バレンタインに配られる

トリュフチョコなんて、

人為的災害としか言えないのだ。

遠足でたまに起きる

これまた災害の一つである、

お弁当のおかず交換なんてものは、

断ってしまえば、

善意で交換してくれている友人に、

それ以上に友人の親に対して、

失礼に当たる為、

引き受けない訳にはいかないのであるが、

彼等にとってこれほどの苦行は無い。

敬虔なクリスチャンが踏み絵をさせられる気持ちに似たような感覚なのだ。


何故僕がここまで、

彼等の気持ちが分かるかというと、

実は僕も敬虔な他人のおにぎりダメ人間であるからなのである。



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"向こうを行くのは お春じゃないか

薄情な眼つきで 知らぬ顔

沈丁花を匂わせて 

おやまあ ひとあめくるね"


春らんまん/はっぴいえんど






ストックホルム退屈日記〜ルージュの伝言〜

ルージュで伝言なんぞ残された日には生きた心地がしないなと思う。

ましてや彼女が自分の母親に会いに電車に乗って向かっているなんて貞子が10人束になってかかっても敵わないくらい恐ろしい。


そんなルージュの伝言が主題歌である、

"魔女の宅急便"のモデルになったスウェーデンストックホルムを訪れた。


仕事を抜きにヨーロッパの他の国を訪れるのは今回が初めてであった。

フクシマさん(学生時代のアルバイト先での同僚である)と、ある種の慰安旅行として訪れた。

最近は仕事に忙殺され、

十分に自由な時間を持てるタイミングがなかった為、今回の旅行は一息つくのに打ってつけのものとなった。

フクシマさんは普段から良い意味で、

ぽわあっとしている為、

変に気を使うこともなく、

気を許せる人との旅行が、

いかに有意義なものかを

改めて認識することとなった。


スウェーデンは生まれてから棺桶に入るまで、

生涯を通して政府が面倒を見てくれる為、

貯金なんかは考えなくていいそうだ。

教育機関、病院等は勿論全て無償である。

それに加えて、週の労働時間は35時間で、

日本と比べて5時間も少ない。

日本では定時で上がれる人の方が稀であろうから、実際はそれ以上の差がある。

その為どこの店も大体17時位には閉じてしまう。

日曜なんかに空いている店は、

むしろ働きすぎではないかと心配してしまうほどだ。

因みにここ最近の僕は、

1人ブラック企業を行なっており、

一日あたり11時間労働の週6日勤務である。

なんてことはないのだが、

肌の調子だけが心配である。

新たにもう1つ美容液を

ローテーションに加えようか思案中である。


話は戻ってストックホルムであるが、

とにかく寒い。

日本では桜が咲いているとの事であったが、

現地は最高気温がマイナス1度ほどであった。

その分暖房設備は盤石であり、

24時間フル稼働だ。

暖房たちが僕を甘やかすものだから、

全くベッドから出られず、

1日の半分を部屋で費やした。

怖くてフクシマさんの方を見られなかった。


料理はなにを食べても外れる事がなかった。

基本的には魚料理であり、鱈のソテー等は、

バターと塩、オリーブに少々のレモン位しか使っていないように思われたが、間違いなく人生で食べた鱈の中で一番美味かった。

日本で湯豆腐に入れられる鱈達を思うと、

居た堪れない気持ちになった。


街並みは僕たちが想像する、

いかにもな北欧調のものではなく、

極めて簡素で、建物自体からは温もりを感じられなかった。

ただ、どの家もペールトーンの配色で、

雪景色によく馴染んでいた。


傷心ブラザーズ(真心ブラザーズのオマージュである。言わせないで欲しい。)である僕らは、とりあえず夕日を見に行こうと、

湖やら海辺やらに足を運んでは、

氷点下の中ただただそこに佇んでいた。

フクシマさんはそこが気に入ったらしく、

その湖の近くに別荘が欲しいとの事で、

何故か将来僕が買うと約束した。

今のところ自分の家すらないのだが。


夕方にややセンチメンタルジャーニーになった僕らであったが、

夕食を摂り、ワインボトルを空ける頃には

全くそんな事も忘れ、

スキップをしながら宿泊先に戻っていた。


朝食用にとスーパーでスモークサーモン、

クリームチーズ、北欧らしい固めのパン(名前があるのだろう)を買い込み、

朝一緒に作ろうと言っていたのだが、

やはり暖房が僕を離してくれず、

やっとの思いで枕から頭を離す決心が着いた頃には、既にサンドウィッチが出来上がっていた。

日本にいる頃からよく僕の家に集まり、

料理を作り(基本的には男性陣が作る)みんなで飲んでいたのだが、

その頃のフクシマさんは何もせずに、

ワインを片手にチーズを齧っていたので、

出来上がったサンドウィッチをみて少々驚いた。

よくよく考えれば、

フクシマさんは自由が丘生まれ、

自由が丘育ち、悪そうな奴以外大体友達(Dragon Ashのオマージュだ。言わせないで欲しい。)の根っからのシティーガールであり、僕みたいな田舎者よりなんでも出来るのである。


電車に乗っていた時であろうか、

僕らももう20代を折り返したし、

今後変わることなんてないのかもしれない、という話を僕がした。

そうすると彼女が、

きっとそんなことはないし、

これからも変わっていくんだと思うよ、と言った。

ロンドンに来てから、

着るものも変わったって言ってたし、

変わる事自体は良いことだと思う、と言う。

確かにそう言われると、

たかが数ヶ月であるが、

僕は変わったのかもしれないなと思う。

ただそこで思うのは、

考え方や大切にしていきたいもの、

変わってしまってはいけないものを、

よりしっかりと持たなくてはいけないという事だ。

着るものや、髪型、話す言語やカーペットの色なんかは別に変わって構わない。

ただ、元素式のように変わらないもの、

変えようがないものをしばしば僕らは変えてしまう。

H2+Oが変わってしまっては水ではなくなってしまうし、僕ではなくなってしまうのだ。

自分の根本であったり、

大切にしている人や事を、

変わらずに、

大切にしていきたいと思う。


僕が変わってしまって、

将来の僕の奥さんに、

口紅で伝言を残されない為にも。


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"人混みに流されて 変わってゆく私を

あなたはときどき 遠くでしかって

あなたは私の 青春そのもの"


卒業写真/荒井由実





二十億光年の孤独

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
 
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ


谷川俊太郎作 二十億光年の孤独からの引用だ。

義務教育で習うくらいの詩人しか知らない僕だか、その中でも好きなのは谷川俊太郎だ。

ちょうど最近"二十億光年の孤独"を思い出すような出来事があったのだ。


18歳ブラジル人の話だ。


彼は最近母国の大学に入ったばかりで、

その大学の休暇を利用してこちらに滞在していた。

僕は彼から毎日のように昼食に誘われ、

こちらは仕事があると言っているのにも関わらず、

『ジャパニーズ イズ ナンバーワン』

等とぬかし、ほぼ強引に昼食に連れ出された。

日系のコミュニティが世界一の規模を誇るブラジル生まれの彼であるから、

親日家であってもおかしくは無いのだ。

(おそらく)ロンドンで食せる日本食の中で、

1番うまいところに連れて行って、

寿司を食わせてやったり、

僕の家系の家紋を見せてやったり、

博物館で甲冑を着た武士を見せて、

これうちのじいちゃんなんだよ、

なんて教え込んだ。


法律を学ぶ彼はおそらく良い育ちで、

大きなその瞳には曇りや陰りというものが

一点も伺えなかった。

青年から成人への狭間の危うさを孕んだ、

少しでも傷がつけば死んでしまう薄い殻を纏った蛹のような印象を覚える。

いつも僕のことを気にかけてくれ、

『カズ、しっかり勉強しなきゃだめだよ。絶対君の為になるから。』と、毎日のように言われた。

その度にキットカットを一切れあげた。

少なくとも18歳まではキットカットは有効のようだ。

お礼にとブラジル(厳密にはポルトガルのものだが)の、なんとかというタルトをご馳走してくれた。


出国前日にもその前の週にも送別会を開いてやったのにも関わらず、

『お願いだから出国の日は一緒にご飯食べようよ。』

と言うので、何が食べたいのか聞くと、

ケンタッキーがいいと言う。

最終日にそんなものでいいのか

甚だ疑問であったが、聞くところによると

ブラジルにはケンタッキーが無いらしい。


たかが1ヶ月の間友人であっただけだが、

見送りの際にはなんでだか泣きそうになってしまった。

因みに彼は満面の笑みだった。


彼が帰国して数日してから連絡があった。

将来は僕と一緒に仕事をしたいとの事だった。

法学部卒の人間とどう仕事が出来るか、

今の僕にはわからないが、

悪い気はしなかった。

『もうお母さんにも言ったんだ、そしたらとりあえず大学を卒業してから考えなさいって言われたよ。』

全くその通りだと思う。

あと2.3ヶ月もすれば、

すっかりこんなことは忘れるだろうから、

とりあえず僕が願うのは、

彼の薄い殻が何者かに傷つけられるような事がないといいなと言う事だ。


異国の地で、地球人であり、火星人でもある、僕とジョアオはやはり仲間を求めていたのだろう。

異なる環境下の刺激を求めながら、

それと同時に仲間を探したりするのだ。

これからここが僕の小さな球になるとして、

一体火星はどこになるのだろうか。


最後は谷川俊太郎の中で1番好きな詩を。


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"どっかに行こうと私が言う

どこ行こうかとあなたが言う

ここもいいなと私が言う

ここでもいいねとあなたが言う

言ってるうちに日が暮れて

ここがどこかになっていく"



ここ/谷川俊太郎








The long and country road

1年のうちで2回ある、

最も多忙な時期を今過ごしている。

僕にしては寝食を惜しんで

仕事に勤しんでいる方だと思う。

嘲笑われているのか、

歓迎されているのかわからないが、

ロンドンには、早すぎる春が訪れている。

記録を始めてから、

最も暑い2月になっているらしい。

重苦しいダッフルコートを着なくて済むと思うと晴れ晴れする。


小春日和には決まって、

The BeatlesWhite Album が聴きたくなる。

特にBlackbird。

全然似つかない歌詞なのは重々承知である。


ここまで書いて、ふと気がつく。

特に書くことがないのだ。

仕事に忙殺される恐ろしさを感じる。

漠然とした考えに耽る時間が持てない。

どこぞの偉い人が言うように、

人間は考える藁である為、

考えられない人間はただの藁に過ぎない。

飛べない豚よりもタチが悪い。


25歳を過ぎると人は新しい音楽を

聴かなくなるそうだ。

世のおじさん達が得意げに80年代の曲を

未だに歌い続ける訳はここにある。

25歳というと、

大卒者が社会人になって、

"石の上にも"でお馴染みの3年(なんの根拠もないこの無責任な言葉は大嫌いである)が過ぎる頃であり、仕事にも慣れ、責任のある仕事も任される頃であろう。

冒頭で述べたように、

こうして仕事に忙殺され、

考える余地を与えられない日々を過ごし、

徐々に徐々に新しい音楽を聴かなくなるのだ。

ここでいう音楽はあくまで

指針のひとつであり、

広義で興味関心を失っていくという事だ。

なるべくそうはなりたくないなと思う。


その一方で、真面目に社会人をやっている友人達を羨ましく感じることがある。

僕のように石の上に3年座っていられなかった人間からするとだ。

社会性を著しく欠いているとも思わないし、

新卒採用では割と大きい企業にも内定があった。

その気になれば、

僕だって至って普通に幸せに暮らせていたと思う。

トレインスポッティング

ユアンマクレガーが述べるような、

なんて事のない幸せだ。


しかし思い返せば、

卓球の方が得意なのに

サッカーにのめり込み、

リズム感もないのに

ドラムに文字通り打ち込んだりしていた。

そのうち気が付けば、

特段思い入れもないのに海外で生活している。(やりたかった事がたまたま日本では出来なかっただけである。)

見るからに大変な方を選んでしまうのは

一体どこから始まり、

そしてどこで終わりを迎えるのだろうかと考える。

ただ、僕はこの人生において、

一度たりともあの頃に戻りたいと思った事は無い為、この選択で間違ってはいなかったとも思うのだ。

夢見る少女でいられてしまったタイプの人間なのであろう。


何かの本に書いてあったが、

非凡に憧れる程、平凡な事はないという。

時折平凡さに憧れを覚える僕は非凡であるという事なのであろうか。

きっとそんなに大それた事ではなくて、

僕も非凡に憧れる平凡な人間のひとりなのだ。


もし来世というものがあって、

何になるかを選べるとすれば、

鳩サブレーの御曹司もしくは、

中学でバイオリン職人になることを志し、

イタリアに渡り、日本に置いてきた彼女を

思いながら、カントリーロードを歌う天沢聖司になりたい。

この話は長くなるので、

もし気になった方は是非飲みの場で。



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肉球の様に柔らかい心に触れておくれ

なんていうかテキトーでごめん

もうちょいまともかと思ってたのにな

もうちょっとまともかと思ってたのに”


まともになりたい/カーネーション









お茶しようぜ

"お茶しようぜ"

 

2017年から2018年にかけて、

おそらく最も発した言葉だ。

僕には沢山のティーフレンドがいる。

酒の場よりも、より慎重に、丁寧に、緻密に

きちんと発する言葉を選んで、

やり取りが出来る為、僕は人をよくお茶に誘う。

とりわけその中でも、

圧倒的登場回数を誇るティーフレンドが2人いる。

彼らは僕と同い年で、同じ業界に属しており、仕事仲間であり、良きライバルであり、それ以上に良き友である。

 

この日記を彼らの上司が見ている(と思う)為、変な事は書けないが(そもそも変な事なんてないのだが)、たまに同じエリアに営業に赴いていた際、情報交換も含めて、お茶をしていた。

代々木上原のサボウルが行きつけであった。

サボる場所がサボウル、、、

歳を重ねるにつれ、この手の親父ギャグを好むようになってしまった。

僕らの業界はかなり狭い業界であり、

かつ若手が殆どいない業界であって、

同い年が3人も集まる事などまず無い。

各々に営業スタイルも違えば、

好きな生地、もちろん女性の好みも合わない。

そして、おそらく自分が1番売れると3人ともが思っているはずだ。

少なくても僕はそう思っている、

彼等に負ける訳にはいかないのだ。

 

彼らとの出会いは確か、

2年前の冬であったか。

東京の兄と呼んで慕っている僕の先輩の会社に入ったのが、タロちゃんである。

後にプライベートでも共通の知り合いが

何人かいることが分かり、

すぐに仲良くなった。

彼は全てにおいてストライクゾーンが広い。

詳しく述べることは控えたいと思う。

 

そのタロちゃんに紹介して貰ったのが、

ミカワである。

渋谷の焼き鳥屋で初めて会った彼は、

人見知りで、打ち解けるのに半年くらい掛かった。

後に2人で何度もプリントの仕事を手掛けることになる。

3人の中で1番生地が好きで、

自費で産地を駆け回る様な変なやつだ。

 

約2年弱程、僕らは同じ業界で

時には協力して仕事をしたり、

時にはコンペジターとして戦ったりもした。

この3人がいれば、絶対的な売り上げを持つ洋服のことなんて全く興味のないおじさん達にも勝てる気がしていた。

狭い業界故、

少し噂になったりもしていた位だった。

そんな中で、

先陣を切って僕が抜けてしまい、

昔の教育番組にあったズッコケ三人組的な

僕らは呆気なく解散してしまった。

 

僕の壮行会では、

彼等は次の日も仕事であったのに(もちろん僕もであるが)、

朝まで付き合ってくれた。

あれ、これ言っていいんだっけ。

 

社会人になって、損得勘定、掛け値無しの

友人関係を築けるとは思っていなかった(元より僕は腹黒いので見定めてしまう傾向にある)為、僕は嬉しかった。

 

 

先々週末から、

ミカワがこちらに訪れて来てくれていた。

テキスタイルの展示会をメインに、資料館を回り、営業に同行してもらった。

 

仕事はさておき、

久しぶりに近況を教えあったり、

日本のアパレルはこうで、

生地がああだ、

それに比べて欧米はかくかくだ、などと

ひたすらに話し合った。

因みに今となっては何を話したか全く覚えていない。

それに加え、

カワには数年ぶりに恋人が出来ており、

ボランティア精神旺盛な彼は、

全く聞いてもいないのに

いろんな話を聞かせてくれた。

彼が寝てる間に何度か濡れたタオルを顔においてやろうかと考えた。

 

タロちゃんも来られたら良かったのに、と思う。

さぞかし酷い出張になっただろう。

 

また安い居酒屋で朝まで飲んで、

各々が納期や不良品で苦しんでいるのを横目に

売り上げの自慢をしたり、

巷の女子にも負けない量と質で、

恋愛話をしたいなと思う。

 

互いに手掛けた生地の洋服を

展示会で付け合ったりしたいなと思う。

 

飲みの場で女の子相手に

一斉に生地の話をし始めて

引かれたいなと思う。(いや、思わない、あれは酷かった。)

 

幡ヶ谷のパドラーズで、

代々木のトムズで、

渋谷のローステッドで、

上原のサボウルで、

時にはセブンの100円コーヒーで

 

 

またいつかお茶しようぜ。

 

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“side by side  どこまでも行こう

side by side 気が変わるまで

till no side 取り憑かれたもの同士で

俺は右折 お前は左折

さよなら 寂しくなるぜ side by side “

 

side by side/ペトロール