1年のうちで2回ある、
最も多忙な時期を今過ごしている。
僕にしては寝食を惜しんで
仕事に勤しんでいる方だと思う。
嘲笑われているのか、
歓迎されているのかわからないが、
ロンドンには、早すぎる春が訪れている。
記録を始めてから、
最も暑い2月になっているらしい。
重苦しいダッフルコートを着なくて済むと思うと晴れ晴れする。
小春日和には決まって、
The BeatlesのWhite Album が聴きたくなる。
特にBlackbird。
全然似つかない歌詞なのは重々承知である。
ここまで書いて、ふと気がつく。
特に書くことがないのだ。
仕事に忙殺される恐ろしさを感じる。
漠然とした考えに耽る時間が持てない。
どこぞの偉い人が言うように、
人間は考える藁である為、
考えられない人間はただの藁に過ぎない。
飛べない豚よりもタチが悪い。
25歳を過ぎると人は新しい音楽を
聴かなくなるそうだ。
世のおじさん達が得意げに80年代の曲を
未だに歌い続ける訳はここにある。
25歳というと、
大卒者が社会人になって、
"石の上にも"でお馴染みの3年(なんの根拠もないこの無責任な言葉は大嫌いである)が過ぎる頃であり、仕事にも慣れ、責任のある仕事も任される頃であろう。
冒頭で述べたように、
こうして仕事に忙殺され、
考える余地を与えられない日々を過ごし、
徐々に徐々に新しい音楽を聴かなくなるのだ。
ここでいう音楽はあくまで
指針のひとつであり、
広義で興味関心を失っていくという事だ。
なるべくそうはなりたくないなと思う。
その一方で、真面目に社会人をやっている友人達を羨ましく感じることがある。
僕のように石の上に3年座っていられなかった人間からするとだ。
社会性を著しく欠いているとも思わないし、
新卒採用では割と大きい企業にも内定があった。
その気になれば、
僕だって至って普通に幸せに暮らせていたと思う。
ユアンマクレガーが述べるような、
なんて事のない幸せだ。
しかし思い返せば、
卓球の方が得意なのに
サッカーにのめり込み、
リズム感もないのに
ドラムに文字通り打ち込んだりしていた。
そのうち気が付けば、
特段思い入れもないのに海外で生活している。(やりたかった事がたまたま日本では出来なかっただけである。)
見るからに大変な方を選んでしまうのは
一体どこから始まり、
そしてどこで終わりを迎えるのだろうかと考える。
ただ、僕はこの人生において、
一度たりともあの頃に戻りたいと思った事は無い為、この選択で間違ってはいなかったとも思うのだ。
夢見る少女でいられてしまったタイプの人間なのであろう。
何かの本に書いてあったが、
非凡に憧れる程、平凡な事はないという。
時折平凡さに憧れを覚える僕は非凡であるという事なのであろうか。
きっとそんなに大それた事ではなくて、
僕も非凡に憧れる平凡な人間のひとりなのだ。
もし来世というものがあって、
何になるかを選べるとすれば、
鳩サブレーの御曹司もしくは、
中学でバイオリン職人になることを志し、
イタリアに渡り、日本に置いてきた彼女を
この話は長くなるので、
もし気になった方は是非飲みの場で。
“肉球の様に柔らかい心に触れておくれ
なんていうかテキトーでごめん
もうちょいまともかと思ってたのにな
もうちょっとまともかと思ってたのに”
まともになりたい/カーネーション