英国退屈日記『感性』

滑走路の赤色の灯が、右翼に吸い込まれては、また反対側から現れる。

単調なリズムを急かす様に、前の座席の子供が泣き声を強める。

赤い点で在ったものが線に代わり、遂には窓枠から消える。

鮮やかだった光が消滅して見えなくなる。

フィレンツェで4日間ほど過ごし、

現在僕はボローニャ空港からロンドンへの飛行機の中である。

時刻は午後9時半。

目立ちたくて仕方のない太陽がやっと沈みかけている。

もう少し年間を通して、平均的に出てくれるとありがたいのだが。

夏が来る気配のないロンドンに比べ、

フィレンツェは熱気と湿気に溢れ返っていた。

粘りっ気のある黒めなRBがよく似合う。


今回が初めてのイタリアだったのだが、

出張という事もあって、夜と最終日以外は仕事である。

リサーチの為に、ピッティウオモと呼ばれるメーカーの合同展示会を訪れた。

紳士服好きには憧れの場所であって、

各人思い思いの一張羅で参加する。

日中の気温は35度を超える中、

ジャケットにネクタイをバシッと決めている。

昔はそれこそ僕にだってピッティへの憧れはあったのだが、

いざ来てみると酷暑のせいでそれどころでは無い。

ジャケットもタイも締めずの参加となった。

そもそもファッションというものは、

基本的な条件として環境に準じているべきであるし、

TPOにそぐわない衣装はかえってダサいのでは。

というのが僕の持論だ。


条件のないのものに自由は無く、

制限のない中に創造はないのである。


最終日に日本のブランドのデザイナーさんと話す機会があった。

彼はかなりストイックな物作りをする方で、

生地に対しても造詣が深い。

話している中で、どういう生地屋と付き合っているのかと尋ねた。

すると彼は洋服が好きな人が自然と残っていったかなという。

これには僕も同感で、買い手の考えている事や物が同等、

もしくはそれ以上に売り手が好きでなければいけないと思う。

もちろん仕事をする上で、必須では無いので、

これが無くても仕事は出来るし、ほかのやり方で売る事も出来る。

ただ、どうせやるなら好きな事の方がいいし、

好きなもの同士で仕事が出来た方が健全ではないか。

これは単に仕事だけでは無く、

人間関係においても大事な事では無いのかと思う。



今回の出張で強く思った事は、感性は鈍る、という事だ。

正直今回どこのブランドのジャケットを見ても、

僕にはほとんど同じに見えた。

アイドルの顔がみんな同じに見えるアレと同じ現象である。

これはなぜ起こるかといえば、無論関心の消失が原因だ。

要するに感性を形成する上で、関心は必要不可欠なのである。

僕の仕事には少しばかり感性が必要になるタイミングがあり、

かつクライアントの感性にも同調する適応性が必要で、

僕がクライアントに関心が無くなれば、僕の仕事も半分位無くなる。

その為僕が、同じに見えてしまったブランドに提案したところで、

採用はされないだろう。

勿論経験というスキルが人にはあるから、

感性を失っても経験で補える点も多々ある。

しかし経験からの産物は、過去の反芻でしか無く、

新しいものを生み出す事はない。

関心がなくなり、知ろうとせず、経験だけでこなそうとすると、

いつかついて行けなくなるのだ。

これが怖いなと思う。

そしてこれも対人関係においても言えるのではないかと思うのである。

自分の話ばかりするおじさんが総じて仕事が出来ないかというと、

全くそうは思わないが、話を聞けるおじさんは総じて仕事が出来る。

相手に興味があってこその関係性であり、

一方的な顕示欲は個人的なものに過ぎないのだ。


俺は大丈夫だと思っているそこのおじさん!(僕を含めなのが辛い)

自分では気付いていないだけですよ。



日常の事を綴ろうと思っているのに、

どうも熱っぽい話になってしまうのは、

僕もおじさんになりつつある証拠なのであろう。



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"ちょっと緩やかに だいぶ柔らかに

かなり確実に違ってゆくだろう

崩れてゆくのが わかってたんだろ

どこか変だなと思ってたんだろ"


世界の終わり/ミッシェル ガン エレファント





大きなカマキリ

公園の近くに住んでいる公園じいちゃんは、

元々、祖父の仕事仲間で、血縁関係はない。

それでも小さい頃、よく遊びに行っていた。

 

まだ幼稚園くらいの僕相手に、

相撲をしてくれた。

僕は公園じいちゃん相手に相撲で負けたことがない。

いつもいつも頃合いを見計らって僕を勝たせてくれたのだった。

自分の本当の孫のように接してくれて、

僕にはじいちゃんが3人もいるように思えたものだった。

 

大きな畑を持っている公園じいちゃんの家には、

秋頃になるとカマキリが出で、それをよく捕まえに行った。

小学生の頃の絵のコンクールでは、

そのカマキリを捕まえている様子を、

描いて優秀賞をもらった事を覚えている。

 

日記をつけている公園じいちゃんは、

僕が来ると日記にそのことを書いた。

一度その日記を僕に書かせてくれたことがあって、

”またすぐ来るから元気で。”と書いた記憶がある。

 

中学生になると僕も忙しくなり、

中々遊びに行けなくなってしまった。

それでも、年始の挨拶とお盆には欠かさず行っており、

じいちゃんも”またすぐ来なよ。”と言ってくれていた。

大学に入って地元を離れてしまうと、

お盆にすら挨拶に行けなくなってしまい、

お正月にいつもの大きな鮭を持って挨拶に行くのが精一杯になっていた。

それでも公園じいちゃんは

”昔はこんな小さかったのに今では一緒に酒が飲めるんだもんなぁ”と

歳を老いても差し歯ではない、

自慢の綺麗に揃った歯を大きく見せながら、

にっこりと笑っていた。

じいちゃんは床に付くのがとても早く、

普段なら飲まない時間まで一緒に飲んでくれた。

1年に一回しか会えなかろうが、

ずっと昔から変わらない大きな笑顔で、

’孫’の僕を温かく迎え入れてくれた。

 

公園じいちゃんの様な人の周りには、

たくさんの人がいて、

いつでも笑顔で温かい人には、

歳なんて関係なく誰にでも愛させれる人になるのだろうなと思った。

 

そんな公園じいちゃんが6月の1日に息を引き取ったと聞いた。

僕は今ロンドンにいて、じいちゃんが死んだことすら、

3日遅れで知った。

異国の地で何かをするという事にはある程度の覚悟が必要で、

気力も体力も使うが、そんなことは僕自身の問題なので

なんてことはないのだが、

お世話になった人の最期にすら立ち会えないことが、

とても辛い。

よく僕のばあちゃんが、

”出世なんてしなくて良いから、地元にいてくれ。”

と言っていた。

もしかしたらその通りなのかも知れないなと思う。

自分のやりたいことをして、

大切な人をないがしろにしてしまう様な、

自分のやりたいことに何の意味があるのかと思う。

これだって覚悟のうちだろうと言われれば、

そうなのかも知れないが、

その覚悟は誰かを幸せにすることがあるのだろうか。

正直今の僕にはまだわからないが、

公園じいちゃんはなんていうのか、

もう聞けないことが残念である。

 

これを書きながら、

公園じいちゃならなんていうのかなと

考えていたのだが、

おそらくじいちゃんなら、

僕が帰国してお墓参りに行った際には、

またあのでっかい笑顔で、笑ってくれるのだろうなと思う。

年に1回しか会えなくても、

お葬式に参列出来なくても、

きっとじいちゃんはまた温かく迎え入れてくれるのであろう。

 

僕にはまだ何が正解なのか、

見出すことは出来ていないけれども、

公園じいちゃんが変わらず僕に見せ続けてくれた

あの笑顔は何か一つの答えなんだろうなと思う。

 

またいつか一緒に相撲をとろうね、

あの時より大きいカマキリをまたとろう。

どうか安らかに。

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”風の中に聞こえる 君の声が聞こえる

蘇るよ遠いさすらい 探し求める太陽の当たる場所

そっと空を見上げる 遠く雲がちぎれる

蘇るよ君の温もり 立ち止まれば太陽の当たる場所”

 

太陽の当たる場所/忌野清志郎

 

 

1北野

元より飽きやすい性分である僕は、

趣味が多い。

全てが素人の域は越えず、

もしかすると趣味とは

呼べないのかもしれない。

しかしながら、高校1年の時に、

祖父に買ってもらった

ミラーレス一眼から始まったカメラ、

ぼくの心臓同様(不整脈持ちなのである)、

リズムが定まらないドラムや、

形から入る料理やスノーボード

薔薇しか描かない(描けない)絵画や、

一時期、マイダーツなんてのも持っていた。

あぁ、靴磨きだけは素人よりは上手いかもしれない。

 

習い事もひとしきりやった。

シャワーすら苦手だった当時5.6歳の僕は

祖母の影響で水泳を始めた。

週1回1時間なのだが、先生に抱かれながら、

ただ泣いて水には入らなかった。

ウノをやりたいが為に続けた英会話や、

友人の母に教えてもらっていた書道、

最終的に一番続いたサッカーは、

地元のクラブチームに入っていた。

当時チームメイトに上手い選手が多かった為、

割とこのチームは強かったのである。

空手の体験入門にも行ったことがある。

痛いことが元来苦手であるし、

先生は納豆の匂いがして、

こればかりは1日で辞めた。

 

このように、浅く広くな僕である為、

聴く音楽も様々に変わる。

メタルとクラシック、

民族音楽以外は何でも聴く。

 

そんな僕が最近聴いているのが、

ビートたけしだ。

芸人は元より、映画監督、役者などなど、

多彩な彼であるが、彼の音楽もまた良いのだ。

秋元康や、谷川俊太郎が作詞を手がけていることもあるのだが、

武自身が書く歌詞も良いのである。

イケイケドンドンで、

下卑な曲も多いのだが、

たまに真剣に書く哀愁感漂う曲が

ちらほらとあり、掴まれるものがあるのだ。

 

おすすめの一曲を

今回の最後に添えたいと思う。

 

ビートたけしと言えば、

『バカヤロウ!』が代名詞かと思うのだが、

他人に対して僕が『バカヤロウ!』と

思った際に、

1北野、2北野と心の中でカウントしている。

 

その中でも圧倒的"北野数"を誇る国民が

イタリア人である。

 

先日、道で一服をしていると、

2ヶ月半は洗車をしていないと見られる、

黒い乗用車に乗った白髪の外国人に話しかけられた。

見たところ40代前半くらいであろうか。

彼はヒースロー空港

向かいたいらしいのだが、

携帯の充電が切れてしまって、

ナビが使えないという。

アクセントからイタリア人と直ぐに分かった。

話しかけられたその場所は、

ロンドンの中心地で

そこからヒースローまでは

日本で言うところの、

新宿から成田空港へ向かう様なものである。

まず口頭で説明できる訳がない。

(1北野)

 

とりあえずの方角だけを伝えて、

その場を去ろうとすると、

自分はアルマーニのデザイナーなのだと言う。

商談があってロンドンに来ていると言う。

周知の様に、アルマーニと言えば、

男性紳士服の世界的に有名なブランドの1つである。

その様なブランドのデザイナーが、

薄汚れた自動車に乗って、

単身で商談をする訳がない。

(2北野)

 

僕もその業界の端くれであるし、

嘘であることは無論分かっていたのだが、

面白そうだなと思い、話を続けさせた。

 

すると、道を教えてくれた代わりに、

今持っている製品のサンプルを

僕にくれるというのだ。

僕はこの道を西に進めと教えただけである。

(3北野)

 

運転席から後部座席に移った彼は、

なにやらごそごそとし始めて、

チャコールグレーのスーツと、

スウェードのジャケットを

引っ張り出してきた。

今シーズン出たばかりの新作だと、

アルマーニのオンラインサイトを見せながら、

本当はこのスーツは3000ユーロ(45万くらい)するんだという。

どれどれと生地を触ると、

まずウールではなく、

ポリエステル、レーヨンの生地であった。

生地の世界にいると、

生地を触ると大体どの素材からそれが成っているか分かるようになるのである。

高級スーツはアンフィニッシュといって、

購入者に合わせて最終的に寸法を整える為、

袖のボタンなどは付いていないのだが、

そのスーツはボタンが付いており、

切羽も鍵縫いで縫われていた。

極め付けはアルマーニのタグが付いていないのだ。

(4北野)

 

どれどれ、次はスウェードのブルゾンか。

(豆知識:因みにブルゾンはフランス語、ジャケットが英語で、この2者に変わりはない。)

薄いベージュのそのブルゾンを彼は、

ほら本革のスウェードだぞ。

と見せてくるが、

触ってみると

ポリエステル製のフェイクスウェードである。

ジップも稚拙で、

YKKの安価なものより粗末であった。

(もう1つ豆知識:YKKは吉田工業株式会社の略で、世界のジップシェア70%を誇る)

またもやオンラインサイトを見せられ、

元々は4500ユーロ(60万程)するんだぞと言う。

しかしタグが無い。

(5北野)

 

極め付けは、

今持ち合わせの現金がないから、

これ2つやるから

50ポンドだけくれないかと言う。

あのアルマーニのデザイナーがである。

(6北野)

 

ここまで来ると、僕としても

興味を失ってしまう為、

手持ちの現金がないと言い、断った。

『分かったよマイフレンド、道を教えてくれてありがとう』と彼は言い残し、

僕が教えた道と逆の方へと消えていった。

(7北野)

 

ここまで約10分、

彼が過去最多北野記録であった。

 

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”君といるのが好きだ 星について考えるのが

何よりも楽しい 星も笑ったあの時

悲しくって星が滲んだ

あの日 あの頃

僕らが昔見た星と僕らが今見る星と

何にも変わりがないそれが嬉しい”

 

嘲笑/ビートたけし

 

 

 

 

 

 

 

ビタミンD欠乏症イギリス人

気候が国民性を形成する上で、

重要な要素の1つであることは

間違いないようだ。


同じ英語(イギリス人言わせれば全くの別物だそうだが)を話すアメリカ人と比べると、

イギリス人の目には輝きが乏しいのが、

一目瞭然である。(目だけに。)


アメリカは西海岸の、

オレゴン、ロサンゼルス、

サンフランシスコ、ハワイしか

訪れた事が無いのだが、

明らかにこれらに住む人々は、

ロンドンに暮らすイギリス人よりも陽気だ。ハワイアンなんかは、

潮風と太陽、ガーリックシュリンプで身体が構成されているはずだ。

悩みなんて日々の波の高さ位では無いのだろうか。

確かアメリカの学力テストで最下位の州はハワイであったと思う。

日本で言うところの沖縄のようなところか。


北欧に比べて、

学力テストでもイギリスは劣っているため、

それであればいくら勉学は出来ずとも、

陽気な西海岸の彼らの方が、

よっぽど良い人生のような気もする。


勿論、ロンドンでも

鼻唄混じりに電車の乗り込む人々を

見かける事はあるが、

十中八九彼らは移民であろう。


友人が話していたが、

才能、実力がある人らがロンドンへ移り、

実際に音がする位バリバリに働く為、

イギリス人の立場が追いやられているのだ。

それに伴って元よりビタミンD不足で、

うつ気味の彼等が、

これもやはり実際に音を立てながら、

メリメリと凹んでいく。

これが現に今回イギリスがEUを離脱する

理由の1つになっている。


ただ、特にロンドンに住む彼等は、

移民が居なくなる、

若しくは自分達がEUの盾から、

剥がれ落ちる事で起こりうる被害を

理解している為、

仮面熟年夫婦のように、

決別出来ず、ずるずると延期、再延期になっている。

この記事を僕が30年後にもし読んだとして、

同じ様な事に僕自身がなっていないことを

切に願うばかりだ。


そんなこんなで、

本音と建前を使い分けると

言われる日本人よりも

イギリス人は建前で話すし、

かなり陰気くさい。

その反面、思慮深く親切ではあるのだが。


人との関係性で言えば、

最近しばしば考えている事があるのだが、

後輩との付き合い方だ。

幸いと言うべきかどうか分からないが、

現在僕には仕事上の後輩も部下もいない。


日本にいた頃は

後輩も部下もいた事があったが、

決まってどこの会社でも、

この関係性に頭を悩ませるのである。

部下が使えない、やる気がない、

そういった類の話だ。


しかしその反面、

後輩や部下が、先輩や上司に対して

頭を抱える事は少ない。

勿論無い訳では無いが、

大概の不満が小言がうるさいとか、

加齢臭がするや、話が長い等、

所詮その程度の話だ。(深刻なパワハラやセクハラは別としてだ。)

これは後輩が先輩に対して、

さほど期待していないからだ。


後輩としては、

ある程度仕事を教えてくれさえすれば、

困った時に助けてくれさえすれば良いのだ。

僕らが考える以上に、

彼等はしっかりしていて、

別に一人でなんでも出来るのだ。


僕らが過大な期待を抱いてしまう為、

それに応えられなった時に、

怒りも湧けば、失望もするのだ。

部下が上司に接する様に、

ある程度何も期待せずに接するべきである。

彼等はなんでも出来る反面、

僕らが彼等と同じくらいの時、

僕らは何も出来なかったはずで、

何も無いところに叱咤だけを与えれば、

残るものは不満と不安だけだ。


彼等がもし出来なかったとすれば、

こちらの教育体制に不備がある訳で、

部下に落ち度はない。

やる気のない部下、

若しくは"使えない部下"にも、

ある程度の成果を残させる様な設備、環境を整えるのが上司や会社の務めであって、

注意や説明の事務的側面を除いた、

個人的な感情での説教は今時の人間には

点で無用なのだ。

これは何もチェーン展開する様な大企業だけの話ではなく、マンパワーで営む零細企業にも通ずる話だ。

むしろ、1人でも出来ない者がいると致命傷になりうる零細企業こそ、求められる要素だと考える。


ほかに上司が出来ることとすれば、

視点を彼等のレベルまで下げて、

当たり前の事でも出来た事に対して、

過度な位に褒める事だと思う。

しゃがんでも視点がまだ上なのであれば、

地面に頬を付けてでもレベルを合わせる事。

その位置で彼等を見れられれば、

怒りなんて湧いてこないはずである。


併せて最後に言いたいことは、

社員を経費として考える会社に未来は無い。

彼等の存在は人件費ではなく、財産だ。

金を産むのは紛れもなく彼等であるし、

そこを履き違える様な社長や上司は、

まずは日光浴でもして、

ビタミンDを補ってから出社すると良い。


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"青年は自分の生きているのが人のおかげだと思うことに堪えられません。

そしてこれが青年のいいところなのであります。

恩返しは人生を賃借関係の小さな枠の中に引き戻し、押しこめて局限してしまう。

それに比して、猫的忘恩は、人生の夢と可能性の幻影を与えてくれるといえましょう。"


著:三島由紀夫不道徳教育講座』より



歌謡曲と白ワイン

"今週のベストテン第1位は、

中森明菜で『DESIRE』"


布施明の『君は薔薇より美しい』に並んで、

ベストテンの中で1番好きな回である。


しばしば、明菜か百恵かで意見が分かれる。

確かに山口百恵の引退ライブで歌う

さよならの向う側は涙を誘うものがあるが、

昭和を代表するアイドルは中森明菜であるというのが僕の意見だ。

あややが最後の真のアイドルであるという意見もたまに耳にするが明菜には到底及ばない。

古き良き日本の歌謡曲の根底にある"諦念"を引き継ぎながらもエッジの効いた振り付け、

当時としては前衛的な衣装。

プロモーションから、彼女の人間像まで、

最初で最後の、今後も越えられる事のないアイドルであると僕は思っている。


時折、友人と酒を飲むとき、

中森明菜の曲をかけては、

脱臼したチンパンジーの様なクオリティで

踊ることがある。

もちろん頭の中では、

自分は明菜だし、

天井からは金銀の紙吹雪が舞っているのだ。

大抵このモードに入ってしまうと、

終わりが見出せず朝方まで飲んでしまう。

まだ日本にいた頃は、

実家からこれでもかと

送られてくる日本酒をアテに踊っていたが、

こちらに来てからは滅法白ワインである。

今年の夏はブルゴーニュを周りたいと、

目下企んでいる。


やはり酒の種類によって、

酔い方というものは大きく変わってくる。

ウィスキーや赤ワインは落ち着いた酔い方で、日本酒、白ワインは勝手に頬の筋肉が上がってくるような陽気な酔い方になる。

テキーラ(良い物は違うらしいが)や、

シャンパン(良いも悪いも無い)は、

僕はかなり苦手で、悪酔いしてしまう。


酔い方が変われば、掛ける音楽も変わる。

ウィスキーや赤ワインは

ジョンコルトレーン

チェットベイカー辺りのジャズであるし、

日本酒や焼酎はやはりひばり姉さん、

アブサンやジン等では、

アースウィンドアンドファイヤや、

タワーオブパワーに始まるR&Bが良い。

テキーラシャンパンは正直なんでも良い。

適当にサンバか4つ打ちでも掛けておけばいいのだ。

白ワインは昭和アイドルとの相性が良いというのが僕の持論だ。


なんてったって小泉今日子ではないし、

センチメンタル伊代でも、

薬師丸と機関銃でもないのだ。

(これから生まれる令和生まれの子らからしたら、今話していることは2個も前の年号の話な訳である。こわ。まぢムリなんだけど。)


白ワインとで言えば、

ミ・アモーレ明菜に軍配があがるのだ。

"少女A"から"DESIER"で上がったかと思えば、

"難破船"で一気に沈む。

ここで弾みをつけて、

"飾りじゃ無いのよ、涙は"で、

しっかりめに踊るのだ。

恐らくこのまま書き連ねても、

伝わらないと思う。

飲む酒なんてどうだって良いだろうと、

思うと思うが、一度試してほしい。

中森明菜と白ワイン。


昭和続きで言えば、

もうかれこれ4年前くらいから、

マイッチング真知子を再び流行らそうと、

常日頃から事あることに口にしているのだが

これが全く流行らない。

納期遅れに、製品不良と八方塞がりで

召され掛けていた僕に、

当時僕のチームで一緒に働いていた後輩が気を使って、

会社の忘年会の幹事でも任されたかの様な気の進まぬ顔つきで、ボソッと

"まいっちんぐまちこ、、ですね、、"

と言ってくれたのが最初で最後であった。


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"過保護過ぎたようね 

優しさは気弱さの言い訳なのよ

発破かけたげる さあカタつけてよ

やわな生き方を変えられない限り

限界なんだわ 坊や 

イライラするわ"


十戒/中森明菜









英国退屈日記『桜』

記憶があまりない。

3月から今日までの記憶があまりない。

朝に食べるクロワッサンと、

昼のチキンカツ丼、

入浴とは呼べない烏の行水で、

なんとか日々のテンポを保つ生活を送っていた。


元来要領は良い方で、

何かにあくせくする事は無いのだが、

最近は処理しなければいけない情報が

多かった事に加え、

ショートカットキーが使えない事柄ばかりで、四苦八苦であった。

1つのウィンドウを消すために、

閉じるボタンを押すと、

新たな確認用のウィンドウが

4つくらい出現する感覚である。

ただ、僕がそれに陥ると周りは八苦十六苦くらいになってしまう為、なるべく避けたいのである。



硬い水の話や、

ビタミンD欠乏イギリス人の話、

かわいいは正義の話、

謡曲と白ワインの話等を、

書きたいなと思っていたのだが、

中々時間が見つけられなかった。


時間は作るものと、

父がよく言っていた。

また、村上春樹著の"女のいない男たち"に

登場する美容外科の先生の様に、

仕事以外の話を

相手に合わせてきちんと出来る人に

魅力を感じる。

そもそも仕事に追われたく無いタイプの人間である為、出来る事ならば、

4、5時間で仕事を終わらせたいのだが、

今はなかなかそうもいかないみたいである。

四半世紀も生きているのだから、

たまには全力疾走で10キロマラソンを走り抜く事もあるのだろう。

そして僕の場合、それが今なのだと思う。

例え仕事が終わらずとも、

銭湯さえあればもう少し楽になるのだが。


3月の下旬頃からであっただろうか、

ロンドンでは桜が咲き始め、

最近では新緑が桜色の下から、

ちらほら覗き始めている。

染井吉野よりもやや濃いか、浅いかの

色合いをした花を咲かせているからか、

まばらに点在しているからか、

日本のそれとは異なり、

あの独特な高揚感はない。

花見の文化も勿論ない。


ツツジや牡丹、

場所によっては

シャクナゲなんかも見受けられ、

こちらではそれらが一度に開花してしまう事も、

桜の特別感が薄れてしまう理由の1つだろう。


先週サマータイムに入り、

昨日からイースターも始まり、

季節上の冬は終わったのであるが、

春らしい事は何一つせずに、

夏を迎えてしまいそうである。


"季節には敏感にいたいなと思う"

(誰の歌詞であった忘れてしまったし、最近固有名詞を思い出せないお年頃に早くも差し掛かってきた感覚がある。)


そう言えば敏感過ぎて、

春になると学校に行けなくなる時期があった。




花見といえば、お弁当だと思うのだが(それ以上にお酒である事は一先ず置いて欲しい)、

先日友人とお弁当、

特におにぎりの話になった。

自分の親が握ったおにぎり以外、

市販のものを除いて、

食べることが出来ない人がいるという話だ。

彼もこの手の人間であり、

僕もその話は昔にテレビか何かで、

観た記憶があるのだが、

彼等は潔癖症の部類ではなく、

ザコンの部類なのだそうだ。


ラップに包んで握っているとか

そういう問題ではなく、

親以外の他人が作ったということが、

すでに事件なのである。

バレンタインに配られる

トリュフチョコなんて、

人為的災害としか言えないのだ。

遠足でたまに起きる

これまた災害の一つである、

お弁当のおかず交換なんてものは、

断ってしまえば、

善意で交換してくれている友人に、

それ以上に友人の親に対して、

失礼に当たる為、

引き受けない訳にはいかないのであるが、

彼等にとってこれほどの苦行は無い。

敬虔なクリスチャンが踏み絵をさせられる気持ちに似たような感覚なのだ。


何故僕がここまで、

彼等の気持ちが分かるかというと、

実は僕も敬虔な他人のおにぎりダメ人間であるからなのである。



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"向こうを行くのは お春じゃないか

薄情な眼つきで 知らぬ顔

沈丁花を匂わせて 

おやまあ ひとあめくるね"


春らんまん/はっぴいえんど






ストックホルム退屈日記〜ルージュの伝言〜

ルージュで伝言なんぞ残された日には生きた心地がしないなと思う。

ましてや彼女が自分の母親に会いに電車に乗って向かっているなんて貞子が10人束になってかかっても敵わないくらい恐ろしい。


そんなルージュの伝言が主題歌である、

"魔女の宅急便"のモデルになったスウェーデンストックホルムを訪れた。


仕事を抜きにヨーロッパの他の国を訪れるのは今回が初めてであった。

フクシマさん(学生時代のアルバイト先での同僚である)と、ある種の慰安旅行として訪れた。

最近は仕事に忙殺され、

十分に自由な時間を持てるタイミングがなかった為、今回の旅行は一息つくのに打ってつけのものとなった。

フクシマさんは普段から良い意味で、

ぽわあっとしている為、

変に気を使うこともなく、

気を許せる人との旅行が、

いかに有意義なものかを

改めて認識することとなった。


スウェーデンは生まれてから棺桶に入るまで、

生涯を通して政府が面倒を見てくれる為、

貯金なんかは考えなくていいそうだ。

教育機関、病院等は勿論全て無償である。

それに加えて、週の労働時間は35時間で、

日本と比べて5時間も少ない。

日本では定時で上がれる人の方が稀であろうから、実際はそれ以上の差がある。

その為どこの店も大体17時位には閉じてしまう。

日曜なんかに空いている店は、

むしろ働きすぎではないかと心配してしまうほどだ。

因みにここ最近の僕は、

1人ブラック企業を行なっており、

一日あたり11時間労働の週6日勤務である。

なんてことはないのだが、

肌の調子だけが心配である。

新たにもう1つ美容液を

ローテーションに加えようか思案中である。


話は戻ってストックホルムであるが、

とにかく寒い。

日本では桜が咲いているとの事であったが、

現地は最高気温がマイナス1度ほどであった。

その分暖房設備は盤石であり、

24時間フル稼働だ。

暖房たちが僕を甘やかすものだから、

全くベッドから出られず、

1日の半分を部屋で費やした。

怖くてフクシマさんの方を見られなかった。


料理はなにを食べても外れる事がなかった。

基本的には魚料理であり、鱈のソテー等は、

バターと塩、オリーブに少々のレモン位しか使っていないように思われたが、間違いなく人生で食べた鱈の中で一番美味かった。

日本で湯豆腐に入れられる鱈達を思うと、

居た堪れない気持ちになった。


街並みは僕たちが想像する、

いかにもな北欧調のものではなく、

極めて簡素で、建物自体からは温もりを感じられなかった。

ただ、どの家もペールトーンの配色で、

雪景色によく馴染んでいた。


傷心ブラザーズ(真心ブラザーズのオマージュである。言わせないで欲しい。)である僕らは、とりあえず夕日を見に行こうと、

湖やら海辺やらに足を運んでは、

氷点下の中ただただそこに佇んでいた。

フクシマさんはそこが気に入ったらしく、

その湖の近くに別荘が欲しいとの事で、

何故か将来僕が買うと約束した。

今のところ自分の家すらないのだが。


夕方にややセンチメンタルジャーニーになった僕らであったが、

夕食を摂り、ワインボトルを空ける頃には

全くそんな事も忘れ、

スキップをしながら宿泊先に戻っていた。


朝食用にとスーパーでスモークサーモン、

クリームチーズ、北欧らしい固めのパン(名前があるのだろう)を買い込み、

朝一緒に作ろうと言っていたのだが、

やはり暖房が僕を離してくれず、

やっとの思いで枕から頭を離す決心が着いた頃には、既にサンドウィッチが出来上がっていた。

日本にいる頃からよく僕の家に集まり、

料理を作り(基本的には男性陣が作る)みんなで飲んでいたのだが、

その頃のフクシマさんは何もせずに、

ワインを片手にチーズを齧っていたので、

出来上がったサンドウィッチをみて少々驚いた。

よくよく考えれば、

フクシマさんは自由が丘生まれ、

自由が丘育ち、悪そうな奴以外大体友達(Dragon Ashのオマージュだ。言わせないで欲しい。)の根っからのシティーガールであり、僕みたいな田舎者よりなんでも出来るのである。


電車に乗っていた時であろうか、

僕らももう20代を折り返したし、

今後変わることなんてないのかもしれない、という話を僕がした。

そうすると彼女が、

きっとそんなことはないし、

これからも変わっていくんだと思うよ、と言った。

ロンドンに来てから、

着るものも変わったって言ってたし、

変わる事自体は良いことだと思う、と言う。

確かにそう言われると、

たかが数ヶ月であるが、

僕は変わったのかもしれないなと思う。

ただそこで思うのは、

考え方や大切にしていきたいもの、

変わってしまってはいけないものを、

よりしっかりと持たなくてはいけないという事だ。

着るものや、髪型、話す言語やカーペットの色なんかは別に変わって構わない。

ただ、元素式のように変わらないもの、

変えようがないものをしばしば僕らは変えてしまう。

H2+Oが変わってしまっては水ではなくなってしまうし、僕ではなくなってしまうのだ。

自分の根本であったり、

大切にしている人や事を、

変わらずに、

大切にしていきたいと思う。


僕が変わってしまって、

将来の僕の奥さんに、

口紅で伝言を残されない為にも。


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"人混みに流されて 変わってゆく私を

あなたはときどき 遠くでしかって

あなたは私の 青春そのもの"


卒業写真/荒井由実