友人とブログについて話している際に、
不意に「ペヤングの作り方書いてよ」と言われた。
うまく寝付けなかった夜だったので書いてみることにした。
その友人と合作で作っていたのだが、
説明書きに何故か突如、ワタナベ君とさよ子が現れる。
支離滅裂な内容を支離滅裂な文で書きなぐった説明書だが、
書いていて面白かったので記念に載せた次第である。
*以下、ペヤングの説明書き
水に火を掛ける。入れ物は真鍮のそれか銅のそれであれば尚良し。
次に親の仇を討つように袋を破り捨てる。
陳腐な能書きに目を向けてはいけない。
中にある加薬を乾麺に浴びせ、湯がった熱湯を定められた水位まで注ぐ。
ここでさえ子が不意にレコードを取り出し流し始めた。
曲名はわからないが、彼女はカップ麺を作るときは
いつもこの過程を踏まなければ気が済まない性分なのだ。
「この曲の一番盛り上がっところでリズミカルに湯切りをするのよ。」
と彼女は陶器のように白く透き通った肌は今にも壊れそうだった。
我ながらそんな彼女の至極私的で特異的な癖には頭が痛くなる。
こんな私を慰めるかのようにキッチンの窓から流れる、
師走という言葉がよく似合う風の冷たさが頬を通り抜け、
僕は我にかえり「タタタタンタン」と湯を切った。
右隅に添えた3つ程の穴から油を含んだお湯を出し切ったのちに、
僕は利き手ではない方の指で端をそっとつまみそれを開こうとしたその時、
円盤の上で回る針が僕を彼女と出会った日に巻き戻した。
そうだ、この曲は『ラ・クカラチャ』だ。
彼女が待つ代官山のメキシコ料理店で流れていた曲なのだ。
確か店の名前は"アシエンダ デル シエロ"だった。
ー 彼女が初めて口を開く。
『ワタナベ君この曲知ってる?』
『いや、初めて聴いたな。』
『ラ・クカラチャ』
『一体なんだいそれは。』
『クカラチャってね、ゴキブリって意味なの。でもね、この曲社交ダンスでよく使うのよ。男の人と女の人が手を取り合って踊る曲がゴキブリの曲なんて、皮肉なものよね。全く可笑しいわ。そうは思わない?』
困った時に僕がしばしば用いる言葉を言う。
『あるいはね。』
2番に差し掛かったあたりで我に返る。
数分の間に2回も我に返るのは、生まれて初めてであった。
その時既に僕は理解していた。
これはクリスマスイブにペヤングを作る僕に対して彼女なりの皮肉なのだ。
"ペヤングとゴキブリ。"
彼女の方を向くことが出来ない僕は勢いよく蓋を剥がす。
湯気で僕の眼鏡が霞みがかる。
慌てて拭うと、隣には何やら黒い物を据えた彼女が立っている。
拭った眼鏡で凝らしてみると、それはソースであった。
彼女の肌と同様、釉薬を塗りたくった陶器のようなつるりとした麺に
彼女は農夫が養鶏を絞め殺すような慣れた手さばきでソースを注ぐ。
つんと鼻を差す匂いを孕んだ液体は麺を易々と潜り抜け、底に身を隠す。
逃すまいとする彼女は引き出しのノブに手を掛け、
勢いよく箸を取り出したかと思えば、すぐさまそれらをかき混ぜる。
縁に身を隠したキャベツさえも逃げ出す事はできない。
今思えば、あの時からここが終末のコンフィデングスであった。
『ワタナベ君、ワタナベ君、』
彼女は間髪を入れる間も無くまた僕に聞く。
『いつも言おうと思っていたんだけれど、唐揚げに檸檬ってかける人とかけない人がいるのは周知の事実でしょ。論ずるに値しないと思うの。でも今回の件に関して私は"コレ"入れない方が好きなの。それは周知の事実ではないけれど、私にとってはとても堪え難いことなのよ。分かるかしら。』
セノーテイキルより透明な彼女の心の中で何かが動いたのはこのときだったのだ。
時としてそれは儚くも逞しく、その狭間にいる彼女の不安定な状態が最高に美しかった。
それくらい彼女には魅力があった。
たまらなくなった僕はこう答えた。
『あるいはね。』
実のところスパイスをかけないペヤングなんて考えられないが
所詮舌の痛覚を刺激させるだけの存在だし、と自分に言い聞かせ、
手鏡をしまい込んだ場所を思い出しながら青海苔だけをかけた。
テーブルについた彼女は僕を見つめ、ハッキリと僕を呼んだ。
『冷めないうちに食べましょう、メリークリスマス、クカラチャさん。」
その後のことはよく覚えていない。
しかし今でも猛烈なまでに磯の香りがするあの部屋の情景だけは
鮮明に僕の記憶として記録されてる。