英国退屈日記:正月

真っさらなものを何かで埋めなくては

気が済まない彼等によって吹き付けられた、

落書きと呼ぶには少々手が込み過ぎていて、

アートには程遠いそれらが壁の全てを占める、

工場地帯の隙間から

花火をみた。

これが僕の2019年の始まりであった。

 

そこから15分程歩いた所にある、

倉庫を仮設でクラブハウスとして設けた場所に向かっていた。

 

毎年決まって年明けは、

地元の神社に参詣していたのだが、

勿論今年はそれが出来ず、

おみくじ(大体いつも小吉を引く)も、

行く年来る年の燦々と降る雪の中、

けったいな衣装に、

いつもに増して意気込んで剃ったのでは無いかと思う程、

綺麗な坊主頭の坊さんが突く除夜の鐘も、

ここぞとばかりに気合を入れてお洒落をして

神社の屋台に並ぶ地元の高校生(もちろん僕にもそういう時代があった)や、

不良にお目にかかることも出来ない。

 

その代わりにと、ロンドンアイ付近から

上がる1000発の花火に準じて

各地でたんぽぽ級のプライベート花火が上げられる。

 

この後僕は朝の7時まで

クラブで踊り明かす事になるのだが、

元来僕はクラブが得意では無い。

全く行かないという訳ではないが、

行くものは決まっていて、

80年代付近のディスコミュージックを

レコード盤でかけるものだけだ。

ボーイズタウンギャングやシスタースレッジなんかが流れている。

音楽なんて家で落ち着いて聞きたいし、

わざわざうるさい中で、

ましてや踊るなんて全く性に合っていなかったのだが、

何故だかそれがここ1、2年楽しくなって来たのだ。

過信と言えるプライドが消え去った後に残った物が

踊る事であったという事であろうか。

 

そんな訳で頼まれても聞かないような

電子的な音楽に合わせて、

朝まで踊った次第だ。

 

7時にそれを終え、

友人宅に転がり込んだ。

酒の飲み過ぎで気持ち悪いのか、

空腹で気持ちが悪いのか、

よくわからなかったが、

とりあえずカップ麺を啜った。

今年初めて食べたものがそれであった。

 

カップ麺のススメなんてものを書いておきながら、

普段は全く即席麺は食さない。

眠気と空腹感と気持ち悪さで

あまり覚えていないが、

久しぶりに食べるそれは

僕を少しだけ寂しい気持ちにさせた。

尾崎豊が言う、

100円で買える温もりも

この様なものであったのだろうか。

鶏で出汁を取って、

上に三つ葉を添えた雑煮と、

年越しに啜る蕎麦が恋しくなった。

 

蕎麦は八割蕎麦に限る。

うちは十割だと仰々しく謳っている蕎麦屋

時折見かけるが、あれは間違いである。

塩で食せだの、初めは何も付けずに食えだのというが

笑止千万、つゆに付けて啜るべきである。

僕は少しだけ蕎麦にうるさい。

父が蕎麦を打つからだ。

蕎麦粉は北海道をはじめとして、

各地から仕入れ、

水は銅板が入った釜の中で臭みをとったものを使い、

つゆも返しと言って自らの手で一から作る。

晦日の日なんかは、

朝の8時から打ち始めて、

配って回る様にと、

80人前を拵える気合の入れようだ。

僕も年越し蕎麦は、

切腹前の侍の如く、蕎麦を食わされる。

 

そんな環境下で育った為、

まず立ち食い蕎麦なんて食えない。

ある種の洗脳の様なものである。

 

僕はジャポニカ米よりも

もしかするとタイ米の方が好きかもしれないし、

朝はパンで全く構わない。

普段自分で料理する時も、

調味料のさしすせそより、

オリーブオイルやバター、

トマトソースを使う事が多い位なので、

日本食が恋しくなる事はまず無い。

 

だけれども、正月ばかりは、

やはり雑煮や蕎麦、

御節に蟹なんかを食べたいし、

明日には忘れてしまう様な番組を見ながら、

肌の色が黄色くなるまでみかんを食べ、

掘りごたつに腰まで潜めたいと、

クラブで振り過ぎた頭の片隅でちょっとだけ思ったのだった。

 

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”このテンポなら 好きなリズム・アンド・ブルース 踊りながら歌えるから 

履き慣れたボロボロ靴が ひとりでに踊りだす

今はほうろう いつもほうろう 遠くほうろう”

 

小坂忠/ほうろう

 

 

 

道のり 時間 距離

誰がなんと言おうと、

2018年というこの年は

四半世紀の僕の人生の中での

分岐点であったし、

凡庸な言い方ではあるが

辛い1年であった。

僕は器用貧乏であるが故に、

挫折という物とは

縁の無い人生であった。

六割位の力で物事に当たれば

だいたいは上手くいく。

しかし今年ばかりはそうでは無かった。

過信と言うべき自信は

跡形も無く消え去ったし、

諦念に近い心持ちにもなった。

仕事で言えば、目標にしていた物を

半年程で達成は出来たし、

未成年の頃からずっと心残りにしていた

日本を出る、という事も出来た。

しかし僕が言いたい事はそうでは無くて、

もっとこう、、、根底の部分である。


僕が僕である意義だったり、

そう言った部類の話だ。


僕が好きな本の1つに

森絵都著のカラフルという物がある。

粗筋としては、いじめを受けて、

自殺をした主人公が

気まぐれな天使に指名されて、

もう一度違う人物に成り代わって、

人生をやり直すという物だ。


この中に、この様な言葉がある。

"永遠に続くものはないって言うけど、

僕は1つだけそれを知っている。

それは死だ。死だけは変わることが無い絶対的な事項である。"

永久機関という物に、ある概念を含んでもいいならば、死こそが永久機関である、という事だ。


勿論僕は死んではいないし、

その予定も後60年余はないと思っている。


そういう概念的死という意味で、

今まで僕が僕である意義という物が、

ある種の終わりを迎えた様な感覚なのである。

前にも述べたが、

これも一種の拘りみたいなもので、

犬の餌にもならないような陳腐なものであるのだが。


会社という集団を抜けて、

これから自分で全て背負うという

タイミングに今僕は立っているが、

そうなるとより集団の中の一人である事を

意識さぜる終えないのである。

この事を僕はたった今の今、

つい最近に知ることになったのだが、

もっと早くに自覚するべきだったと

とても後悔をしている。


前に働いていた職場の上司に、

来世生まれ変わったら何になりたいかと

訪ねたことがある。

彼は何処かのサッカーチームの

サポーターになりたいと言った。

この時僕は弱冠二十歳程であったが為に、

彼の言葉が何を意味しているのか、

全く理解が出来なかった。

しかし今なら少しは理解できる気がする。

所詮人間なんてものは

自分の為に精進する事なんて

出来ないのである。

出来たとしても頭打ちであろう。

誰かの為に努めてこそ、

人間が人間である意義があるし、

僕が僕である意義である気がしている。


金八先生もそう言っていたであろう。

しかし実はこれは間違いで、

人という字は象形文字から派生している為

寄り添って生きて行く等という意味はない。

そんな事を言いだすとキリが無いので、

別に構わないのだが、

要するに、何かの為に努めてみたいと

思った一年であったという事だ。

2018年はそれを模索して

結局の所見つけられなかった1年であった。


晦日が終わり、新年を迎えたからと言って

何かが変わるわけでは無い。

そんな風に期待する方がおかしい。

然し乍ら、大きな流れの中で、

1つ息継ぎをするにはいい機会であるし、

今一度見つめ直す絶好のタイミングである。


結果と手段という物を

しばしば混同しがちであるが、

何が欲しい結果であって、

そのための手段が何かを

考え直したいと思う。

渡英した事も手段であって、

結果では無いのだ。


話は変わるが、年の瀬になると僕は毎年、

尾崎紀世彦"また逢う日まで"

を聴くという習慣がある。

その流れで"さよならをもう一度"に入るのだが、これ以上にいい組み合わせの年の瀬ソングを僕は知らない。



最後にもう1つ。

こちらに来てから痛烈に思うのだが、

人との関係性を継続していく中で、

時間や距離なんて物は

全くもって意味を成さない。

そんな物理的な物に左右される様なものは、

鼻から無かったものと同じである。

僕には高校時代からの親友がいるのだが、

彼とは別に普段から連絡は取り合わないが、

いざ会った際には昨日会ったばかりの様な

心持ちで話すことが出来る。

そういうことである。



来年の抱負はと訊かれれば、

そんなものは僕には無い。

確かに得たい結果の為に、

取りたい手段はいくつかあるが、

あくまでそれは手段であって、

それ以上でも以下でも無い。


ただ、健康には気をつけたいと思う。

元よりさして身体が丈夫な方では無い為、

床に伏す様なことだけは避けたい。



恐らくこれが今年最後の日記になる。

それでは皆さん良いお年を。

僕は死にましぇーーん!


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"ふたりでドアを閉めて

ふたりで名前消して

その時心は何かを話すだろう"


また逢う日まで尾崎紀世彦



英国退屈日記:万国共通

両耳に嵌めたイヤホンからは

アンディウィリアムスのAlmost Thereが

流れている。

ボクシングデーのセール商戦を

病み真っ只中の身体で戦い抜き、

ボンドストリート駅の階段を下り、

ディストリクトラインに

向かっていた。


小サビでアンディが

いよいよパラダイスを

見つけまいとしている時に

僕の肩を誰かが叩いた。


喉は痛いし、おそらく熱はあったし、

静かに帰りたいだけだったのだが、

仕方なく左耳のイヤホンを外し、

顔を横に向ける。

話し方からして恐らくイタリア人であろう。

独特の巻き舌に絡め取られた英語は

全く耳に入ってこない。

ピカデリーラインは何処かと彼が尋ねる。

ボンドストリート駅にはピカデリーラインは

通っていない。

どこに向かいたいのか聞くと、

リッチモンドだ、という。

リッチモンドにもやはり

ピカデリーラインは通っていない。

オーバーグラウンドか、

僕と同じくディストリクトラインに

乗る他ない。


仕方なく一緒にディストリクトラインまで

向かい、隣の席に座らせる。

僕に話しかけて来たイタリア人には

連れがいて、心底疲れ切っている様子であった。

限りなくゼロに近い生気を振り絞り彼が目的地を僕に示す。

ボンドストリートから、リッチモンドへは

30分強。その後彼らはバスを2回乗り換え、もう名前も忘れたがまず聞いたこともない場所へと向かっていた。

其処へはリッチモンドから更に2時間半かかるのだ。

その後彼が僕に口を聞く事は一度もなかった。


一方で僕に道を尋ねて来た彼は、

ひたすらに喋る。名をネロと言う。

嵐のスペイン人に引きを取らない勢いである。

彼曰く、3つの会社を経営しているらしい。

はじめの1つは忘れたが、1つは税務関係で、最後のは教育関係。

よくよく聞いていると教育というのも、

どうやって金を稼ぐか、というセミナーを

開いているらしい。

日本でもよく目にするアレだ。

彼は続ける。

『今日のことを考えるな、明日の事を考えろ。』

僕は思う。

こんな事だからいつまで経っても

目的地に着かないのだ。

更に彼は言う。

『自分自身で物事を進めるな、人を使え。』

仰られる通り彼は、

友人の生気を根絶やしにし、

体調の悪い僕を捕まえて

道案内をさせている。


この後も、世界どこにいても

1時間あれば人生を変えられるだの、

彼は僕の友人でと、

トランプ大統領の横でぎこちない笑顔を作る

男の写真を見せられたりした。

そこまでの大物なのに、

地下鉄に乗るとは

彼の庶民派思考には頭が下がる思いだ。


やっとの思いで、リッチモンドまで

辿り着き、彼等をバス停まで連れて行き、

僕は帰路に着いた。

意識高い系は日本独自のものかと

思っていたが、

万国共通であるみたいだ。



実はこの日、夕方に訪れた

テーマパークのアトラクションで

地上50mくらいの場所で

15分程放置されたり、

一張羅の白いセーターに

ワインを掛けられたりと

何かと災難な日であったのだ。


英国退屈日記の真骨頂である。


今年が後厄である僕は、

厄祓いをしてくれた地元の神主を

恨みながら床に就いたのだった。


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"叩く事だけが    戦いじゃないでしょ

鳴らす事だけが 音楽じゃないでしょ

泣かない事は     強さじゃないでしょ

叩く事だけが     戦いじゃない"


叩かない戦い/在日ファンク





アブラマシマシ

鼻水が止まらない。

身体から全ての水分が

無くなっても尚、

この鼻水は止まらないのでは無いだろうか。

ニュージーランドで発生する

メタンガスの約半割りを

羊のげっぷが占めるらしいが、

人間から出る鼻水も

負けず劣らずの勢いで

石油の消費量を占めているのではないかと、すら思えてくる。

テッシュがどれだけあっても

足りる事は無い。

風邪引けばアラブが儲かる

である。


羊の話をもう1つ。

彼等が毛を刈られた後

どうなるか存じているだろうか。

自分の身体を倍にも膨れ上がられる程の毛を刈られては寒くてどうのしようもないのでは無いかと、寝る前に気になって調べた事がある。


別に羊の数を数えていた訳ではない。


冬に毛を刈られる羊達は、

数日で皮下脂肪が2倍になるそうだ。

僕にもこの機能があれば、

今頃鼻を垂らしながら、

ブログに勤しむ必要がなかっただろうに。


先日居候先の老紳士(名をキースと言う、今後もしばしば登場する為覚えておいて頂きたい)と話している時に、

彼が最近は便利になり過ぎて、

逆に不便だと言った。

彼は元々BBCニュースの

ブロードキャスター

長年勤めていたのだが、

現在は引退し、フリーで

演技や発声の指導をしている。

僕も彼の意見には同感で、

能動的に全てを調べられるが故に、自分の興味のない事が入ってこないのである。

オンラインニュースでは

自分が閲覧した記事に沿って

見出しがカスタムされる為、

極めて狭い範囲での情報となる。

新聞ではそうはいかない事は

言わずもがなであろう。

音楽等もそうで、

ラジオではチャンネルによって

ある程度のカテゴライズはされているものの、自ら手紙を出さない限り、能動的にDJによって音楽が掛けられる。


これがYouTubeではそうはいかない。

やはりユーザーの嗜好に合わせて次の曲が決まり、

且つ、アーティストがお金を払えばほぼ強制的にそのプレイリストに自分の曲が組み込まれる為、僕らは何度も何度も同じ曲を聴く羽目になる。


ネット上ではなんでも調べられるが、何も調べられないのだ。


狭く浅い情報が無数に転がっており、ただそれだけである。


ただし、キースを始めとする

僕らよりも前に生まれた人達が長い時間を割いて調べた事が、

今はものの5分で調べ終わることも事実だ。


キースが僕と同様、

寝る前に羊の毛を刈られた後の事を調べようとすれば、

パジャマを着替えて

牧場に走らなければ

ならなかっただろう。

そうしなくていい僕らの方が

圧倒的に情報量は多くて然るべきだと思う。

然し、現実はそうではない。

僕らはオンライン上に

情報を置いて来てしまい、

実際にはそれらが

頭に入っていない為、

小型の情報機器が無ければ、

何も思い出すことが出来ないのだ。


すぐに情報が手に入るからこそ、受動的にもたらされる情報に興味を持ちたいと思う。


毛を刈られた後の羊の様に、

自らに蓄えて行くべきなのだ。



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“Time and Tide wait for no man.”


キースとの会話より






英国退屈日記:性格

只今こちらは夕方の6時半。

クリスマスイブということもあり、

街中は人ごみでごった返し、

幼稚園児の団体行動の様な有様である。


そんな中僕はというと、

サウジアラビア人の

マハメッドとアハメッドに連れら

遅めの昼食にイエメン料理を取った。

アラブ料理と一緒くたにしがちであるが、

イエメン料理とイラン料理では

全く違うものである。

日本語には発音が無いので、

表記が難しいのだが、

ハニースと呼ばれるものを食べた。

英語表記では、Haneed(ハニード)と言う。

ターメリックライスの上に

仔羊を香草で蒸したものを

乗せただけのものである。

独特の匂いがあるものの、

とても美味いであった。

もちろん、手で食す。

カトラリーは一切使用しない。

僕は人間の多数がそうである様に

右利きなのだが、左手の方が動作に

融通が効くことが多い。

ここでも危うく左手で

食すところであったが、

ご存知の通り、イスラム教では

左手は汚い物を触る際に使用する手であるから、

食事の際に左手を使用してはいけない。

人からペットボトルなどを受け取る際も

同様に左手で受け取ってはならないとのことであった。



昨晩爪を切っておいて良かったと、

ターメリックに塗られた黄色い右手を見ながら僕は思った。




そんな彼らの国では金曜日の朝に

必ず爪を切るということであった。

毎週金曜日の正午より礼拝がある為、

身なりを整える必要があるのだ。

その為彼らの国では金曜日は働かない。

金土が休日なのである。

僕らを含む多数の国と1日ズレているということになる。






僕の家は仏教の曹洞宗であるが、

僕自身は無宗教である。

飲み屋で野球と政治、宗教の話はしてはならないとよく言われるが、こちらではフットボールと宗教、セクシャルについてがタブーとされている雰囲気がある。


繊細な話であるには間違いが為、

語弊がない様にしたいのだが、

最近僕が気に入らないものの1つに、

セクシャルマイノリティを支援する

LGBT運動がある。

とりわけ最近のLGBT運動についてだ。

確かに同性婚が認められない地区が

圧倒的に多い等の不利益を被る点に関しては絶対に改善しなければならない。

ただ、僕が言いたい事はそうではない。


彼らは彼らでうまくやっているし、

僕らは僕らでうまくやっている。

此処には一片の相違もないのである。


法整備等の具体的なもの以外は、

余計なお世話なのだ。

部外者が関与する事ではない。


SNS上で、応援しています等の投稿を目にすることがあるが飛んだ見当違いである。

この投稿こそが偏見ということだ。


宗教も信仰したい者はすればいいし、

そうでなければしなければいい。

自らの善を押し売るから

拗れるのだ。


恋愛対象であったり、

宗教であったり、

国籍であったりは、

1つの性格や特性として

捉えればいいことではないか。


例えば、お喋りな性格の人がいたとする。

しかし自分は静かな方を好む。

この場合、自分はこのお喋りな人と

距離を置くだろう。

わざわざ近寄って行って黙れ!とは

言わないはずである。


それなのにも関わらず、

どうしていざ宗教、国籍、セクシャルマイノリティとなるとそうでは居られないのだろうか。


要するに自分に嵌らないものは、

距離を置けばいいだけの話だ。


反対に、自分にない人間性に興味を

持つ事も常であり、

そうであるならば、

異文化や他宗教に関心があって

当たり前である。


しかしそれらが

マイノリティーだからといって、

迫害を加えたり、

差別や応援"などは以ての外なのである。



シャツの袖をたくし上げ、

大いに右手を黄色に染めようではないか。


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“You, don’t, need to change 

It’s boring being the same

Flamingo, oh oh oh

You’re pretty either way”


Kero Kero Bonito/Flamingo 


https://youtu.be/rY-FJvRqK0E


英国退屈日記:クリスマス

小学4年生の頃であっただろうか。

その日父はオレンジのポロシャツを着ていた。

僕の父はオレンジ色に目がない。

その夜、庭に面したドアからサンタクロースが

プレゼントを持ってやってきた。

目が痛くなる程赤い衣装にシミひとつ無い白い髭を蓄えたサンタだった。

そして首元には例のオレンジ色の襟が見えたのだ。

こうして僕はサンタクロースがいない事を知った。

翌年からは玄関先の木にプレゼントが置かれるスタイルに変わったのだった。

 

蜂蜜漬けにされて育てられた僕であるから、

高校3年位迄はクリスマスのプレゼントがあったと思うのだが

それ以降の12月25日はただ街が混むだけの日に変わって行った。

 

確かディズニーのアニメであったが、

サンタが子供達におもちゃを届けるというものがあった。

幼い頃このアニメが大好きで年中見ていた。

その中でサンタ宛に欲しいものを何十個も書いて寄越した子供がいるのだが

その子は5年だったであろうか耳の裏を1度も洗っていないという理由で

石鹸をプレゼントにされてしまう。

初めてこれを見た日の風呂では、いつもに増して

入念に耳の裏を洗ったことを記憶している。

*リンクを見つけたので末尾にて

 

日本では年末年始で言えば正月が一番の催しだが、

特に欧米ではクリスマスの方が重要なイベントである。

年賀状代わりにクリスマスカードを送り合うし

御節の代わりにターキーを食べる。

浮浪者ですら白いポンポンのついた赤い帽子を被り

アグリーセーターに身を包んでいる。

後片付けのことを考えると、全くに気の進まない

クリスマスツリーは、門松といったところであろうか。

 

一年良い子にしていた子供には

サンタクロースが来るが、

悪い子だったものにはクランプスという山羊と悪魔が

合わさった怪物が現れ子供を攫っていくと言われている。

スイスの友人宅にはブギーマンというこれもやはり怪物が来て

子供を攫っていくそうだ。

これを聞いた僕は、幼稚園の頃であっただろうか、

節分の際に突如現れた鬼に驚き、

知らない母親の足に飛びついて泣いていた事を思い出した。

その時、僕の母はというと鬼に扮して

僕のことを脅かしていたということを後日知ることになる。

 

 

 

今年のクリスマスは恐らく同居人の老人を過ごすのだが、

彼はあまりクリスマスを好まない。

恐らく独り身で、家族も近くにいない為、

さして良いものでは無かったのであろう。

そんな彼に作った事も無いターキーと

ムルドワイン(日本ではホットワインと呼ばれている)、

そして少し良い石鹸でも贈ろうかと考えている。

 

 

 

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”大事な人を数えていたら結構たくさんいて 

そんな自分は照れるほど幸せだなって思った

今夜会いたい人だってやっぱりたくさんいて

もしも雪が降ったら電話代すごいだろうな” 

 

槇原敬之/雪に願いを

https://youtu.be/Jm_HUhHKWC0

 

 

乾麺のススメ

友人とブログについて話している際に、

不意に「ペヤングの作り方書いてよ」と言われた。

うまく寝付けなかった夜だったので書いてみることにした。

その友人と合作で作っていたのだが、

説明書きに何故か突如、ワタナベ君とさよ子が現れる。

支離滅裂な内容を支離滅裂な文で書きなぐった説明書だが、

書いていて面白かったので記念に載せた次第である。

 

*以下、ペヤングの説明書き

 

 

 

水に火を掛ける。入れ物は真鍮のそれか銅のそれであれば尚良し。

次に親の仇を討つように袋を破り捨てる。

陳腐な能書きに目を向けてはいけない。

中にある加薬を乾麺に浴びせ、湯がった熱湯を定められた水位まで注ぐ。

 

ここでさえ子が不意にレコードを取り出し流し始めた。

曲名はわからないが、彼女はカップ麺を作るときは

いつもこの過程を踏まなければ気が済まない性分なのだ。

「この曲の一番盛り上がっところでリズミカルに湯切りをするのよ。」

と彼女は陶器のように白く透き通った肌は今にも壊れそうだった。

我ながらそんな彼女の至極私的で特異的な癖には頭が痛くなる。

こんな私を慰めるかのようにキッチンの窓から流れる、

師走という言葉がよく似合う風の冷たさが頬を通り抜け、

僕は我にかえり「タタタタンタン」と湯を切った。

 

右隅に添えた3つ程の穴から油を含んだお湯を出し切ったのちに、

僕は利き手ではない方の指で端をそっとつまみそれを開こうとしたその時、

円盤の上で回る針が僕を彼女と出会った日に巻き戻した。

そうだ、この曲は『ラ・クカラチャ』だ。

彼女が待つ代官山のメキシコ料理店で流れていた曲なのだ。

確か店の名前は"アシエンダ デル シエロ"だった。

 

ー  彼女が初めて口を開く。

『ワタナベ君この曲知ってる?』

『いや、初めて聴いたな。』

『ラ・クカラチャ』

『一体なんだいそれは。』

『クカラチャってね、ゴキブリって意味なの。でもね、この曲社交ダンスでよく使うのよ。男の人と女の人が手を取り合って踊る曲がゴキブリの曲なんて、皮肉なものよね。全く可笑しいわ。そうは思わない?』

困った時に僕がしばしば用いる言葉を言う。

『あるいはね。』

 

2番に差し掛かったあたりで我に返る。

数分の間に2回も我に返るのは、生まれて初めてであった。

その時既に僕は理解していた。

これはクリスマスイブにペヤングを作る僕に対して彼女なりの皮肉なのだ。

"ペヤングとゴキブリ。"

 

 彼女の方を向くことが出来ない僕は勢いよく蓋を剥がす。

湯気で僕の眼鏡が霞みがかる。

慌てて拭うと、隣には何やら黒い物を据えた彼女が立っている。

拭った眼鏡で凝らしてみると、それはソースであった。

彼女の肌と同様、釉薬を塗りたくった陶器のようなつるりとした麺に

彼女は農夫が養鶏を絞め殺すような慣れた手さばきでソースを注ぐ。

つんと鼻を差す匂いを孕んだ液体は麺を易々と潜り抜け、底に身を隠す。

逃すまいとする彼女は引き出しのノブに手を掛け、

勢いよく箸を取り出したかと思えば、すぐさまそれらをかき混ぜる。

縁に身を隠したキャベツさえも逃げ出す事はできない。

 

今思えば、あの時からここが終末のコンフィデングスであった。

 

『ワタナベ君、ワタナベ君、』

彼女は間髪を入れる間も無くまた僕に聞く。

『いつも言おうと思っていたんだけれど、唐揚げに檸檬ってかける人とかけない人がいるのは周知の事実でしょ。論ずるに値しないと思うの。でも今回の件に関して私は"コレ"入れない方が好きなの。それは周知の事実ではないけれど、私にとってはとても堪え難いことなのよ。分かるかしら。』

 

 セノーテイキルより透明な彼女の心の中で何かが動いたのはこのときだったのだ。

時としてそれは儚くも逞しく、その狭間にいる彼女の不安定な状態が最高に美しかった。

それくらい彼女には魅力があった。

たまらなくなった僕はこう答えた。

 『あるいはね。』

 

実のところスパイスをかけないペヤングなんて考えられないが

所詮舌の痛覚を刺激させるだけの存在だし、と自分に言い聞かせ、

手鏡をしまい込んだ場所を思い出しながら青海苔だけをかけた。

 

テーブルについた彼女は僕を見つめ、ハッキリと僕を呼んだ。

 

『冷めないうちに食べましょう、メリークリスマス、クカラチャさん。」

 

その後のことはよく覚えていない。

 

しかし今でも猛烈なまでに磯の香りがするあの部屋の情景だけは

鮮明に僕の記憶として記録されてる。