英国退屈日記:正月

真っさらなものを何かで埋めなくては

気が済まない彼等によって吹き付けられた、

落書きと呼ぶには少々手が込み過ぎていて、

アートには程遠いそれらが壁の全てを占める、

工場地帯の隙間から

花火をみた。

これが僕の2019年の始まりであった。

 

そこから15分程歩いた所にある、

倉庫を仮設でクラブハウスとして設けた場所に向かっていた。

 

毎年決まって年明けは、

地元の神社に参詣していたのだが、

勿論今年はそれが出来ず、

おみくじ(大体いつも小吉を引く)も、

行く年来る年の燦々と降る雪の中、

けったいな衣装に、

いつもに増して意気込んで剃ったのでは無いかと思う程、

綺麗な坊主頭の坊さんが突く除夜の鐘も、

ここぞとばかりに気合を入れてお洒落をして

神社の屋台に並ぶ地元の高校生(もちろん僕にもそういう時代があった)や、

不良にお目にかかることも出来ない。

 

その代わりにと、ロンドンアイ付近から

上がる1000発の花火に準じて

各地でたんぽぽ級のプライベート花火が上げられる。

 

この後僕は朝の7時まで

クラブで踊り明かす事になるのだが、

元来僕はクラブが得意では無い。

全く行かないという訳ではないが、

行くものは決まっていて、

80年代付近のディスコミュージックを

レコード盤でかけるものだけだ。

ボーイズタウンギャングやシスタースレッジなんかが流れている。

音楽なんて家で落ち着いて聞きたいし、

わざわざうるさい中で、

ましてや踊るなんて全く性に合っていなかったのだが、

何故だかそれがここ1、2年楽しくなって来たのだ。

過信と言えるプライドが消え去った後に残った物が

踊る事であったという事であろうか。

 

そんな訳で頼まれても聞かないような

電子的な音楽に合わせて、

朝まで踊った次第だ。

 

7時にそれを終え、

友人宅に転がり込んだ。

酒の飲み過ぎで気持ち悪いのか、

空腹で気持ちが悪いのか、

よくわからなかったが、

とりあえずカップ麺を啜った。

今年初めて食べたものがそれであった。

 

カップ麺のススメなんてものを書いておきながら、

普段は全く即席麺は食さない。

眠気と空腹感と気持ち悪さで

あまり覚えていないが、

久しぶりに食べるそれは

僕を少しだけ寂しい気持ちにさせた。

尾崎豊が言う、

100円で買える温もりも

この様なものであったのだろうか。

鶏で出汁を取って、

上に三つ葉を添えた雑煮と、

年越しに啜る蕎麦が恋しくなった。

 

蕎麦は八割蕎麦に限る。

うちは十割だと仰々しく謳っている蕎麦屋

時折見かけるが、あれは間違いである。

塩で食せだの、初めは何も付けずに食えだのというが

笑止千万、つゆに付けて啜るべきである。

僕は少しだけ蕎麦にうるさい。

父が蕎麦を打つからだ。

蕎麦粉は北海道をはじめとして、

各地から仕入れ、

水は銅板が入った釜の中で臭みをとったものを使い、

つゆも返しと言って自らの手で一から作る。

晦日の日なんかは、

朝の8時から打ち始めて、

配って回る様にと、

80人前を拵える気合の入れようだ。

僕も年越し蕎麦は、

切腹前の侍の如く、蕎麦を食わされる。

 

そんな環境下で育った為、

まず立ち食い蕎麦なんて食えない。

ある種の洗脳の様なものである。

 

僕はジャポニカ米よりも

もしかするとタイ米の方が好きかもしれないし、

朝はパンで全く構わない。

普段自分で料理する時も、

調味料のさしすせそより、

オリーブオイルやバター、

トマトソースを使う事が多い位なので、

日本食が恋しくなる事はまず無い。

 

だけれども、正月ばかりは、

やはり雑煮や蕎麦、

御節に蟹なんかを食べたいし、

明日には忘れてしまう様な番組を見ながら、

肌の色が黄色くなるまでみかんを食べ、

掘りごたつに腰まで潜めたいと、

クラブで振り過ぎた頭の片隅でちょっとだけ思ったのだった。

 

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”このテンポなら 好きなリズム・アンド・ブルース 踊りながら歌えるから 

履き慣れたボロボロ靴が ひとりでに踊りだす

今はほうろう いつもほうろう 遠くほうろう”

 

小坂忠/ほうろう