レペゼンニッポンジン

こちらの隠語で"Black Sheep"というものがある。

直訳では黒い羊だが、厄介者・面汚し"という意味で用いられる。

ご存知の通り羊の毛は白いのが一般的である。

黒い羊毛は染めようがないし、使い道がない。

高値で売れない。

ただ餌を浪費するだけの存在なわけだ。

部外者や集団と異なるものが忌み嫌われるのは人間社会でも同様のことである。

アメリカのタバコ会社のスローガンで、

"出る杭は打たれ強い"なるものがあったが、

これはあくまで"そうであったらいいな"という希望的観測であって、現実にはそうはいかない。

たかが杭の分際で、金槌に叩かれて平気なわけがない。

金槌達は必ず完璧に沈むまで叩き続ける。

憎しみや軽蔑、差別に勝る重さはないのである。

僕は今、異国に居て

それによって初めて痛感するのだが、

僕は"日本人"でありたいと思う。

日本人であることを恥じるべきではないし、

英語がネイティブでないからといって彼らに劣ってはいない。

彼らは日本語がネイティブでないのと変わりがあるのだろうか。(いや、ない。)

それと同時に思うのだが、

僕が日本人で在りたいと思えば思うほど、

僕はイギリス人にならなければいけない。

彼らの文化を理解し受け入れ、

彼らの言葉を彼らと同様に操れなくてはならない。

さもなくば、彼らは僕のことを

英語を話したがっている外国人としか見なさない。

彼らと同じ目線で話せて初めて彼らは

僕が日本人であることを認める。

一見矛盾しているように感じるのだが、そうではない。


わかりやすく例えるならば、

(無論、差別的な意味を絶対的に持ち得ないことを前提として)中国人と日本人が全く同じものを同じ値段で売りにきたとする。

中国人は片言の日本語を話す。

日本人はウィットに富んだ気の利いたジョークを母国語で話す。

値段も品質も全く変わらないものを

あなたはどちらから買うだろうか。

偽善の情けを持ち合わせた特異な人でなければ、間違いなく日本人から買うだろう。


僕は今この中国人と同じ立場に立っている。

アイスランドあたりから吹き付ける偏西風に

今にも飛ばされそうな心許ない1人の外国人に過ぎない。


僕が日本人として、僕ら特有の勤勉さ(僕にその特性があるかは別として)や、ホスピタリティあふれる接し方は、

僕がイギリスに住む1人の人間として見なされて初めて活きるのだ。


醜いアヒルの子が、

実は白鳥であったことを示すためにも、

羊は羊らしい形姿で、杭は杭らしい立ち位置であるべきなのだ。



レペゼン・ニッポンジン

a.k.a ミスターニッポンジン

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"在日日本人、最新資本主義

売って売って売りまくるカルチャー

北は択捉、南波照間

輸入カルチャーに決して負けるな

援護してくれ全国民 右翼左翼無し

びびらすNY”


在日日本人/SANABAGUN.

英国退屈日記:花其の二

"色は匂へど 散りぬるを"


美しく香る花もいつかは散る、

ご存知の通り、

諸行無常を表すいろは歌の始めの句だ。


僕は花は枯れた時が1番美しいと感じる。

僕らが高校生の頃に流行った

スリーピースバンドも歌っていたように、

無機質な造花は何も力を持たない。

ただそこに存在しているだけである。


僕はよく買った花を枯らしたまま飾る。

本来美しくあるべき花が、

萎んでいく様がもっとも艶やかな瞬間だと感じる。


また、不釣り合いなほど大きいベースメントにあえて一輪だけ飾ることもある。


要するに、本来そうあるべきものが、

そうではなくなってしまったところに

惹かれる訳だ。


もう少し言うと、咲ききって、

ゴミ箱に入れられた花が

最も美しいのではないかと思う。


この話をすると、9割9分9厘の打率で(もっとも’イチロー達’が束になってかかってきても到底出せない打率である訳だが)、理解してもらえない。


しかしこれは花だけではなくて、

僕の仕事の1つである生地を作る際にも

同じことが言えると思う。


本来は横糸にこれ使うべきとか、

特定の用途の生地にはこの素材で、

この織り方であるべきとか、

一応の定石はある訳だけれど、

それを一旦無視して、

本来では使わない織り、素材、加工を

1つないし2つ用いることで、

違和感が出せる。

宿敵のように

喉に刺さり続ける魚の骨の様な、

不快感であっては勿論ならないが、

どこか変だなといった、

考えさせられる生地が

僕は作りたいといつも思う。


先日イギリス人の友人と

花の話をしていた際に、

僕からは何も言っていないのに、

『私は花が死んだ時が1番好き』と言い、

僕の数少ない友達であるワクイ君以来、

人生で2人目の共感してくれる人間に出会った。


ちなみに同居人のキースはというと、

(先日僕が贈った、花まで緑色のチューリップが僕らのリビングに今飾られているわけだが)

もちろん毎日水を替えてくれるし、

悪くなった花は僕が起きる頃には

(キースはなんと朝の5時半には起きている)跡形もなく消え去ってしまっている。


イチロー達の打率が下がる事は

まだまだ先のことになりそうである。



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“安心な僕らは旅に出ようぜ

思いっ切り泣いたり笑ったりしようぜ

愛のバラ掲げて遠回りしてまた転んで

相槌打つよ 君の弱さを探す為に”


バラの花/くるり




英国退屈日記:花

打った覚えの無い右肘が妙に痛む。

"貴方が噛んだ小指が痛い"のならば

理解出来るが、

これに関しては全く身に覚えが無い為、

やや戸惑いながら、この日記を書いている。


ここのところ、この日記以外にも、

少しだけまとまった文を打つことが多く、

なかなか日記を書く気が起きなかった。

どうやら、僕の場合1日に打てる文字が

ある程度決まっているみたいである。

もう1つの理由としては、

祖父から譲り受けたフィルムカメラ

壊れてしまったことだ。

最後に挿入している写真のネタが、

枯渇しつつあるのだ。

英国滞在記のくせに、殆どの写真が

日本で撮られているのはそういう訳である。


今日は花について書く。

花については1つの日記にまとめられそうも無いので、今後も登場するだろう。

『革靴と花だけは裏切らない』というのが、

僕のもっぱらの信条である。

別にそれら以外の何かに、

裏切られた経験があるとか、

そういうことでは無い。

あくまで心持ちの話である。


18歳の時に、過度にかけ過ぎたパーマ頭と共に上京した僕は、目にも留まらぬ速さで(この表現が1番しっくりくる)ホームシックに掛かり、3週間に一回くらいのペースで地元に帰っていたのだけれど、気を紛らわせる為にもアルバイトでもしようと思い立って、

最寄駅の花屋でアルバイトを始めた。

慣れない生活で疲れた心を花なら癒してくれるだろうと思っていたのだ。それが入ってみてどうだろうか。おそらく今まで経てきた仕事の中で1番体力的にこたえた。

朝の7時前から、長い時は夜の12時過ぎまでの長時間拘束に加え、水の入ったベースは重いし、薔薇の棘は容赦なく刺さる。

先輩は(この時僕以外全員女性であった)進路相談に乗る担任教師の様な顔つきで、私は花と話せるのと言う。

それでも花はある種の神秘さを孕んだ美しさを持っていたし、例えそれが飲み屋の贔屓の娘にあげる為だとしても、花を買うという行為はとても神聖なものに感じられた。


他にも書きたいことが沢山あるが、

それは次回にしようと思う。


日本より海外の方が花が生活に馴染んでいるような気がする。ロンドンでは露店で花をよく売っている。見かける品種は日本とそう変わらなくて、変哲も無い薔薇やチューリップに始まり、トルコキキョウ、フリージアラナンキュラス等、どこでも見かけるようなものである。

クリスマス前になると、それらにアマリリスポインセチア、西洋ヒイラギが加わる程度だ。

しかし、値段が全く東京都は異なり、

15本程の薔薇の束で約750円程度である。

東京で買えば、30005000円はする為、

かなり割安である。

アイルランドで生産されているものが多いとの事であった。


クリスマス前に、コロンビアロードフラワーマーケットと言うホクストン近くのマーケットに行ってきた。年の瀬の日本の花屋に仏花と門松、千両以外の花が消えるように、こちらでは先ほど述べたようなポインセチア等がほとんどを占めてしまう。普段だとかなりの種類の花たちが約50メートルのマーケットに所狭しと並べらるとGoogleマップが教えてくれた。


その後に立ち寄ろうと思っていたイタリアンレストランが満席で1時間程待つと言われた為、諦めようと思っていたのだが、

奥から現れたウェイターの女性の綺麗さのあまり、人生で初めて僕は息を飲んだ。それも僕だけではなく一緒に来ていた女性の友人も一瞬時間が止まっていた。

異議なく1時間待つことにしたのだった。

しばしば女性は花に例えられるが、

彼女はまさに西洋版の

"立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花"であった。

選ぶとするならば、彼女は芍薬の様な

すらりとした姿の女性であった。


席について食事をオーダーする頃には、

彼女の姿はなかった。

恐らく早番ですでに上がっていたのだろう。



この流れでこれから書くことを見ると、

かなり物騒なのだが、

次回の花の話は、

"死んだ花が1番美しい"

から始めたいと思う。

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"今は欲しくはない

花なんて大人には似合いはしない

花なんて大人には似合いはしない"


でももう花はいらない/オフコース

*僕の解釈では、この曲は気持ちと反対のことを歌っている。



英国退屈日記:写真

"写真は過去しか撮れない、シャッターを押した瞬間にそれは過去になるからだ"

誰の言葉だったか忘れたし、

このような言い回しであったかすら

いまいち自信がない。

数人だけれど、写真家の友人知人がいる。

この時代、誰でも簡単に写真が撮れ、

職業写真家はかなり曖昧な職種に

なってきていると思うが、

それでも彼らの撮るそれらは、

僕が撮る思い出写真等とは、

全くの別物である。

写真に現実味があり(写真が現実を切り取るものという定義を踏まえた上で尚)、

素人の僕でも感じられる彼らの感情がある。

 

マーティン パーと言う

イギリス人の写真家が居るのだが、

彼はマグナムと言う世界一の写真協会の

重鎮でストリートフォトグラファーの

生きる伝説的な存在だ。

主に労働階級に当たる中下層階級を

撮り続けていて、

中でもthe last resortの皮肉っぷりは、

物議を醸したが

流石の島国イギリス、

日本人と共通する感性があり、

彼の写真集の中で僕が最も好きなものだ。

ファッション写真も時折手がけ、

最近では確か

グッチのコレクション写真を撮っていた。

そんな彼のサイン会が先日、

オックスフォードサーカス駅に位置する、

ザ フォトグラファーズ ギャラリーで行われた。

東京で言うところの、

東京都写真美術館的な場所で、

さして大きい建物ではない。

生きているうちに(彼が)、

会えるとは思っていなかったし、

そもそも会えるような人ではないので、

イギリスに来てからも、

特段意識はしていなかったのだが、

知人にたまたま教えてもらい、

サインを貰いに行った次第である。

ブルックリンラガー(何故アメリカの銘柄なのかは今だに謎である)を片手に、

割と酔った様な面構えの彼は、

浅草あたりで昼の1時頃から呑んでいる、

職業不明の高齢者に差し掛かった

中年者のそれとあまり変わりがなかったのだが、

僕は緊張のあまり、テーブルに

三つ指をついて彼が書き上げるのを待っていた。

 

 

僕は家宝と呼べるような物を、

あまり持ち合わせていないが、

もし僕が、40年後に松濤辺りの

地下一階から成る三階建の

一戸建てに住んでいたとして、

ひょんな事にお宅訪問系のテレビ番組で

取り上げられることが

あったとしたならば(将来の事は未定であるし、誰にも何も言わすまい)、

間違いなくこれはリポーターに紹介すると思う。

 

 

ロンドン、パリ、ニューヨーク辺りの

都市だと、出会い方はどうであれ、

意外と会いたい人に会えてしまうような気がする。

現に僕もこの2ヶ月弱で、

会いたい人にすでに3人会った。

 

 

話は少し戻って写真についてだが、

僕はスタジオ写真よりも、

スナップ写真を好む。

日本人で言えば、

篠山紀信よりも、

森山大道や、荒木経惟が好きだ。

アラーキーのセンチメンタルな旅は

特に好きで、前回作った写真集も

彼のオマージュ的な雰囲気で作った。

海外の有名どころで言えば、

ブルースウェイバーのように、

作り込んでいく写真よりも、

マーティンをはじめとして、

ジョエルマイロウィッツや、

ソールライターのような、

ストリートスナップでかつ、

色彩が効いているものが好きだ。

 

専門家ではないので、

詳しくはわからないが、

日本人の撮る写真はどちらかというと、

優し過ぎたり、逆に寂し過ぎたり、

景色に既視感がある為、

やけに生々しかったりするのだが、

先ほどあげた彼らの写真にはどこか、

希望があるように見える。

ソールライターの撮る、

本来は悲しげな写真にも、

原色が効いているせいなのか、

街の雰囲気に馴染みが無いせいか、

適度に優しく、眺めていてホッとできるのだ。

僕の業界で言うと、

イッセイの服がそれに当たり、

ヨウジの服が少し寂しげに見えるようにだ。

 

この話は後日詳しくしたいのだが、

いずれにしても、作り込んだものより、

受け手がどう感じるか、

『余白』のあるものが好きなのだ。

酒が入ると決まって

この話をしてしまうのだが、

余白がないものには、やはりそそられない。

この言葉は、『無駄』とか、『含み』と

耳障りは似ているが、全く違うものなのだ。

『空気感の多様性』と置き換えてみると、

少しわかりやすいような気がする。

 

 

なんだか、

最近書いていて思うのだが、

僕は日記を書きたいのに、

自分の思考や理念ばかりになってしまって、

取り留めのない雑記になってしまっている気がしてならない。

ゆくゆく、

日記なのか、書き殴った雑記なのか掴みどことのない

この「翻せ、ベーコンエッグ」を一冊に製本しようと考えているのだが、

これはいくら僕がサインを書いたからといって

誰かの家宝になる日は訪れなそうである。

 

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"カメラの中の3秒間だけ僕らは

突然恋をする そして全てわかるはず

本当のこと何も言わないで別れた

レンズ放り投げて そして全て終わるはず"

 

カメラ!カメラ!カメラ!/フラッパーズギター

 

 

英国退屈日記:正月

真っさらなものを何かで埋めなくては

気が済まない彼等によって吹き付けられた、

落書きと呼ぶには少々手が込み過ぎていて、

アートには程遠いそれらが壁の全てを占める、

工場地帯の隙間から

花火をみた。

これが僕の2019年の始まりであった。

 

そこから15分程歩いた所にある、

倉庫を仮設でクラブハウスとして設けた場所に向かっていた。

 

毎年決まって年明けは、

地元の神社に参詣していたのだが、

勿論今年はそれが出来ず、

おみくじ(大体いつも小吉を引く)も、

行く年来る年の燦々と降る雪の中、

けったいな衣装に、

いつもに増して意気込んで剃ったのでは無いかと思う程、

綺麗な坊主頭の坊さんが突く除夜の鐘も、

ここぞとばかりに気合を入れてお洒落をして

神社の屋台に並ぶ地元の高校生(もちろん僕にもそういう時代があった)や、

不良にお目にかかることも出来ない。

 

その代わりにと、ロンドンアイ付近から

上がる1000発の花火に準じて

各地でたんぽぽ級のプライベート花火が上げられる。

 

この後僕は朝の7時まで

クラブで踊り明かす事になるのだが、

元来僕はクラブが得意では無い。

全く行かないという訳ではないが、

行くものは決まっていて、

80年代付近のディスコミュージックを

レコード盤でかけるものだけだ。

ボーイズタウンギャングやシスタースレッジなんかが流れている。

音楽なんて家で落ち着いて聞きたいし、

わざわざうるさい中で、

ましてや踊るなんて全く性に合っていなかったのだが、

何故だかそれがここ1、2年楽しくなって来たのだ。

過信と言えるプライドが消え去った後に残った物が

踊る事であったという事であろうか。

 

そんな訳で頼まれても聞かないような

電子的な音楽に合わせて、

朝まで踊った次第だ。

 

7時にそれを終え、

友人宅に転がり込んだ。

酒の飲み過ぎで気持ち悪いのか、

空腹で気持ちが悪いのか、

よくわからなかったが、

とりあえずカップ麺を啜った。

今年初めて食べたものがそれであった。

 

カップ麺のススメなんてものを書いておきながら、

普段は全く即席麺は食さない。

眠気と空腹感と気持ち悪さで

あまり覚えていないが、

久しぶりに食べるそれは

僕を少しだけ寂しい気持ちにさせた。

尾崎豊が言う、

100円で買える温もりも

この様なものであったのだろうか。

鶏で出汁を取って、

上に三つ葉を添えた雑煮と、

年越しに啜る蕎麦が恋しくなった。

 

蕎麦は八割蕎麦に限る。

うちは十割だと仰々しく謳っている蕎麦屋

時折見かけるが、あれは間違いである。

塩で食せだの、初めは何も付けずに食えだのというが

笑止千万、つゆに付けて啜るべきである。

僕は少しだけ蕎麦にうるさい。

父が蕎麦を打つからだ。

蕎麦粉は北海道をはじめとして、

各地から仕入れ、

水は銅板が入った釜の中で臭みをとったものを使い、

つゆも返しと言って自らの手で一から作る。

晦日の日なんかは、

朝の8時から打ち始めて、

配って回る様にと、

80人前を拵える気合の入れようだ。

僕も年越し蕎麦は、

切腹前の侍の如く、蕎麦を食わされる。

 

そんな環境下で育った為、

まず立ち食い蕎麦なんて食えない。

ある種の洗脳の様なものである。

 

僕はジャポニカ米よりも

もしかするとタイ米の方が好きかもしれないし、

朝はパンで全く構わない。

普段自分で料理する時も、

調味料のさしすせそより、

オリーブオイルやバター、

トマトソースを使う事が多い位なので、

日本食が恋しくなる事はまず無い。

 

だけれども、正月ばかりは、

やはり雑煮や蕎麦、

御節に蟹なんかを食べたいし、

明日には忘れてしまう様な番組を見ながら、

肌の色が黄色くなるまでみかんを食べ、

掘りごたつに腰まで潜めたいと、

クラブで振り過ぎた頭の片隅でちょっとだけ思ったのだった。

 

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”このテンポなら 好きなリズム・アンド・ブルース 踊りながら歌えるから 

履き慣れたボロボロ靴が ひとりでに踊りだす

今はほうろう いつもほうろう 遠くほうろう”

 

小坂忠/ほうろう

 

 

 

道のり 時間 距離

誰がなんと言おうと、

2018年というこの年は

四半世紀の僕の人生の中での

分岐点であったし、

凡庸な言い方ではあるが

辛い1年であった。

僕は器用貧乏であるが故に、

挫折という物とは

縁の無い人生であった。

六割位の力で物事に当たれば

だいたいは上手くいく。

しかし今年ばかりはそうでは無かった。

過信と言うべき自信は

跡形も無く消え去ったし、

諦念に近い心持ちにもなった。

仕事で言えば、目標にしていた物を

半年程で達成は出来たし、

未成年の頃からずっと心残りにしていた

日本を出る、という事も出来た。

しかし僕が言いたい事はそうでは無くて、

もっとこう、、、根底の部分である。


僕が僕である意義だったり、

そう言った部類の話だ。


僕が好きな本の1つに

森絵都著のカラフルという物がある。

粗筋としては、いじめを受けて、

自殺をした主人公が

気まぐれな天使に指名されて、

もう一度違う人物に成り代わって、

人生をやり直すという物だ。


この中に、この様な言葉がある。

"永遠に続くものはないって言うけど、

僕は1つだけそれを知っている。

それは死だ。死だけは変わることが無い絶対的な事項である。"

永久機関という物に、ある概念を含んでもいいならば、死こそが永久機関である、という事だ。


勿論僕は死んではいないし、

その予定も後60年余はないと思っている。


そういう概念的死という意味で、

今まで僕が僕である意義という物が、

ある種の終わりを迎えた様な感覚なのである。

前にも述べたが、

これも一種の拘りみたいなもので、

犬の餌にもならないような陳腐なものであるのだが。


会社という集団を抜けて、

これから自分で全て背負うという

タイミングに今僕は立っているが、

そうなるとより集団の中の一人である事を

意識さぜる終えないのである。

この事を僕はたった今の今、

つい最近に知ることになったのだが、

もっと早くに自覚するべきだったと

とても後悔をしている。


前に働いていた職場の上司に、

来世生まれ変わったら何になりたいかと

訪ねたことがある。

彼は何処かのサッカーチームの

サポーターになりたいと言った。

この時僕は弱冠二十歳程であったが為に、

彼の言葉が何を意味しているのか、

全く理解が出来なかった。

しかし今なら少しは理解できる気がする。

所詮人間なんてものは

自分の為に精進する事なんて

出来ないのである。

出来たとしても頭打ちであろう。

誰かの為に努めてこそ、

人間が人間である意義があるし、

僕が僕である意義である気がしている。


金八先生もそう言っていたであろう。

しかし実はこれは間違いで、

人という字は象形文字から派生している為

寄り添って生きて行く等という意味はない。

そんな事を言いだすとキリが無いので、

別に構わないのだが、

要するに、何かの為に努めてみたいと

思った一年であったという事だ。

2018年はそれを模索して

結局の所見つけられなかった1年であった。


晦日が終わり、新年を迎えたからと言って

何かが変わるわけでは無い。

そんな風に期待する方がおかしい。

然し乍ら、大きな流れの中で、

1つ息継ぎをするにはいい機会であるし、

今一度見つめ直す絶好のタイミングである。


結果と手段という物を

しばしば混同しがちであるが、

何が欲しい結果であって、

そのための手段が何かを

考え直したいと思う。

渡英した事も手段であって、

結果では無いのだ。


話は変わるが、年の瀬になると僕は毎年、

尾崎紀世彦"また逢う日まで"

を聴くという習慣がある。

その流れで"さよならをもう一度"に入るのだが、これ以上にいい組み合わせの年の瀬ソングを僕は知らない。



最後にもう1つ。

こちらに来てから痛烈に思うのだが、

人との関係性を継続していく中で、

時間や距離なんて物は

全くもって意味を成さない。

そんな物理的な物に左右される様なものは、

鼻から無かったものと同じである。

僕には高校時代からの親友がいるのだが、

彼とは別に普段から連絡は取り合わないが、

いざ会った際には昨日会ったばかりの様な

心持ちで話すことが出来る。

そういうことである。



来年の抱負はと訊かれれば、

そんなものは僕には無い。

確かに得たい結果の為に、

取りたい手段はいくつかあるが、

あくまでそれは手段であって、

それ以上でも以下でも無い。


ただ、健康には気をつけたいと思う。

元よりさして身体が丈夫な方では無い為、

床に伏す様なことだけは避けたい。



恐らくこれが今年最後の日記になる。

それでは皆さん良いお年を。

僕は死にましぇーーん!


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"ふたりでドアを閉めて

ふたりで名前消して

その時心は何かを話すだろう"


また逢う日まで尾崎紀世彦



英国退屈日記:万国共通

両耳に嵌めたイヤホンからは

アンディウィリアムスのAlmost Thereが

流れている。

ボクシングデーのセール商戦を

病み真っ只中の身体で戦い抜き、

ボンドストリート駅の階段を下り、

ディストリクトラインに

向かっていた。


小サビでアンディが

いよいよパラダイスを

見つけまいとしている時に

僕の肩を誰かが叩いた。


喉は痛いし、おそらく熱はあったし、

静かに帰りたいだけだったのだが、

仕方なく左耳のイヤホンを外し、

顔を横に向ける。

話し方からして恐らくイタリア人であろう。

独特の巻き舌に絡め取られた英語は

全く耳に入ってこない。

ピカデリーラインは何処かと彼が尋ねる。

ボンドストリート駅にはピカデリーラインは

通っていない。

どこに向かいたいのか聞くと、

リッチモンドだ、という。

リッチモンドにもやはり

ピカデリーラインは通っていない。

オーバーグラウンドか、

僕と同じくディストリクトラインに

乗る他ない。


仕方なく一緒にディストリクトラインまで

向かい、隣の席に座らせる。

僕に話しかけて来たイタリア人には

連れがいて、心底疲れ切っている様子であった。

限りなくゼロに近い生気を振り絞り彼が目的地を僕に示す。

ボンドストリートから、リッチモンドへは

30分強。その後彼らはバスを2回乗り換え、もう名前も忘れたがまず聞いたこともない場所へと向かっていた。

其処へはリッチモンドから更に2時間半かかるのだ。

その後彼が僕に口を聞く事は一度もなかった。


一方で僕に道を尋ねて来た彼は、

ひたすらに喋る。名をネロと言う。

嵐のスペイン人に引きを取らない勢いである。

彼曰く、3つの会社を経営しているらしい。

はじめの1つは忘れたが、1つは税務関係で、最後のは教育関係。

よくよく聞いていると教育というのも、

どうやって金を稼ぐか、というセミナーを

開いているらしい。

日本でもよく目にするアレだ。

彼は続ける。

『今日のことを考えるな、明日の事を考えろ。』

僕は思う。

こんな事だからいつまで経っても

目的地に着かないのだ。

更に彼は言う。

『自分自身で物事を進めるな、人を使え。』

仰られる通り彼は、

友人の生気を根絶やしにし、

体調の悪い僕を捕まえて

道案内をさせている。


この後も、世界どこにいても

1時間あれば人生を変えられるだの、

彼は僕の友人でと、

トランプ大統領の横でぎこちない笑顔を作る

男の写真を見せられたりした。

そこまでの大物なのに、

地下鉄に乗るとは

彼の庶民派思考には頭が下がる思いだ。


やっとの思いで、リッチモンドまで

辿り着き、彼等をバス停まで連れて行き、

僕は帰路に着いた。

意識高い系は日本独自のものかと

思っていたが、

万国共通であるみたいだ。



実はこの日、夕方に訪れた

テーマパークのアトラクションで

地上50mくらいの場所で

15分程放置されたり、

一張羅の白いセーターに

ワインを掛けられたりと

何かと災難な日であったのだ。


英国退屈日記の真骨頂である。


今年が後厄である僕は、

厄祓いをしてくれた地元の神主を

恨みながら床に就いたのだった。


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"叩く事だけが    戦いじゃないでしょ

鳴らす事だけが 音楽じゃないでしょ

泣かない事は     強さじゃないでしょ

叩く事だけが     戦いじゃない"


叩かない戦い/在日ファンク