来世について語る時に僕らが語ること

都営大江戸線で都心に向かう途中、

新宿に着く頃に、

乳白色のつるっとした表側の壁が目に入る。

その裏側の鼠色の大きな凹凸のある壁には、

湿気を帯びて黒ずんだほこりが

時間をかけて塊になっている。

僕はそこにいる。



ショーウィンドウでは、

地毛のくるくるとした髪を

上下に揺らしては、

懸命に鍵盤を叩く海外の青年が、

液晶の中で、

ウィンドウの電源を切られるまで、

ひたすらに弾き続ける。

そこに彼の意思はない。

クラシックをよく聴かない僕には、

それが何の曲なのかすら見当がつかない。




今僕が聴いているこの曲は、

今書いているこの文章は、

今思っているこの感情は、

誰の為のものなのか、

師走に吐く白い息と同じで、

短く曇っては直ぐに消えていく。



来世の話が僕は好きで、

何になりたいかとよく尋ねる。

ある友人は鯨になりたいと言うし、

隣で発泡酒なのかビールなのか

わからない酒を片手に握る彼女は、

土になりたいと言う。



綺麗な言葉や感情は、

日本にいると言語化して伝える事が困難で、

思ったと同時に消えてしまう。

必要以上に摂取したビタミンが、

トイレに流れていくのと同じである。

後の感情は、分解されずに残った

毒気のあるものばかりだ。

東京には少し

長く居過ぎたのかもわからない。

或いは何もわかっていないまま

離れてしまったのかもしれない。




エディットピアフが愛について歌う時、

東京湾から紛れ込む淀んだ流れを、

冷めた顔つきで僕は眺める。




感傷的で無機質な文字の配列になってしまうのは、この淀みのせいにしたいなと思う。






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"猫になりたい 君の腕の中

寂しい夜が終わるまでここにいたいよ

猫になりたい 言葉ははかない

消えないように キズつけてあげるよ"


猫になりたい/スピッツ 




過剰広告

口で言えば済みそうな注意書きが

所狭しとそれも力強く張り巡らされている月島の銭湯に居た。


女湯と男湯が

交代制になっていて、

1つには露天風呂が付いているが、もう1つには付いていない。


こじんまりとしていて、

5人も湯船に浸かれば

溢れてしまうような場所である。


へきへきとしてしまった僕は、

湯疲れか、口煩い注意書きのせいかどっと疲れた。



当たり前だけれども、

日本には日本語が

溢れかえっていて、

過剰な程にそれが

至る所にあって、

考える余地だったり、

受け手の気持ちなんてものは

無視されている。


それにまた僕は

馴染んできていて、

最近は書きたい事なんかが

全くない。


僕が考えている事は

全てその場で処理されてしまうし、

改まって何かを書き残す必要性がない。



星の話だったり、

最近観た映画の話、

日本で思った事を

少しずつ書いてはいるのだが

全く指が進まないし、

38度くらいのぬるま湯に

浸かっているようである。

適温でずっと浸かって居られるが、

徐々に水温は下がって、

やがて風邪を引くのだ。

そんな感覚を覚える。

下書きにぞんざいに埋もれている彼等はまた時を見て書こうと思う。




大した事もしていないくせに、

忙しさばかりにかまけていて、

湿度のせいか流れている空気にも、

少しだけ片栗粉を溶かしたような、

どろっとした質感のある雰囲気がある。





旧友が言う。

『ここにいる日本人には、ロマンチックを楽しむ余裕が無いのよ。』






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"お別れの時だよ君とはいれないな

2人だけの秘密は全部日々に溶けたよ

いつかまた会えたら聴いてはくれないか

陽気な歌でも歌うから愛していたよ"


お別れの歌/Never Young Beach



英国退屈日記『クレーン車』


渡英する前に僕は幡ヶ谷に住んでいて、

トモヒロという同居人がいた。

幡ヶ谷には代々木上原に繋がる坂道があって、たまに自転車でどちらが先に上に着くか競ったりしていた。

その坂の並びには、

よく行く山盛りのカレー屋や、

サンダーキャットのレコードが5000円で売っていて結局買わなかったレコード屋

今時な古着が売っている(矛盾)古着屋に

ラテが美味いコーヒースタンドがあって、

洗濯物を回している間によくうろうろしたものだった。

上原に向かって下っていくと

建設中の建物があって、

クレーン車がある。

昨日友人と上原で食事をしていたので、

その前にこの坂に立ち寄ったのだが、

まだそこにはこのクレーン車があった。

僕はこのクレーン車が大好きで、

というより、クレーン車というものが

僕は好きなのだ。

そこには力強さを感じられるし、

未完成のものの上にしか存在を許されない、そこに夢のようなものを見出さずにはいられない。

完成してしまうと

どれだけ夢を見たものでも

素っ気なく感じられてしまうのだ。

長らく夢見たことが叶ってしまった時の、

達成感という名の絶望感に似ている。


0から1にすることが僕はとても好きなのだけれども、それを継続する事になかなか楽しさを見出せない。

これが僕の致命的な社会性欠如である。

何十年も継続して同じ事を行っている人には

本当に頭が上がらないのである。



日本に勤めていた時の職場が、

新国立競技場の近くで、通勤の際にいつもこれを目にしながら歩いていた。BGMは決まって宇多田ヒカルのどれかだった。

無数のクレーン車が立ち並ぶ姿は

圧巻であったし、緊張感に満ちた希望に溢れていた。

こいつが完成するまでに、

僕も何かを成せるかなと考えいた。

現状を鑑みると僕の方が

遅れてしまっているみたいだ。



未完成のもの、不完全のもの、

何か少しおかしなもの、余白のあるもの、

僕はこういったものを作りたいなと思う。

ただ、これを意図してしまった時点で、

そこに余白は無くなってしまう。

近付こうとすると遠のいてしまうものなのである。



これは、愛についての話である。



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"漢方薬じゃ直らない感傷的は直せない

完成形が分からない感情的に怒らないって

半蔵門は常に混み日々は流れてゆく

30分も歩いたら、あなたの家に着くんだ

軽いスピードで早いスピードで

愛のせいでわたし、あなたから離れられない"


愛のせいで/ZOMBIE-CHANG





『高輪大木戸』

"お客さん寒くないですか。丁度は人でまちまちなものでね。最近は涼しくなってきましたし、身体を崩さないようにしないといけないねぇ。"


確かにこの日の夜は少し涼しかった。

品川の辺りで飲んでいた僕は

終電をとうの昔に無くしていて、

名は分からないが大通りでタクシーを拾った。


"今から通るけど高輪には大木戸があってね、東海道から江戸に入る関所になっていたわけだね。これを作ったのが徳川、でも今の政府は薩長でしょう。だから高輪ゲートウェイなんて変な名前をつけちまったんだな。本当は高輪大木戸駅なのにねぇ。語呂が良いでしょ、高輪大木戸。"


"この後大門を通るんだけど、浜松町の横のね。彼処はほら、あの浄土宗があるわけ。

増上寺

これも徳川家なんだよね、徳川家のお墓があるの。

昔は糞尿は江戸川から東京湾に出て、

その沖でいっぺんに捨てていたらしいんだけど、その集積所を薩長になってから、

この大門に作ったのよ、増上寺の横。

こりゃー酷い嫌がらせだよね。"


僕には果たして江戸時代の話が

今まで影響しているのかは定かではないが、

もしかするとあるいはそうなのかもしれない。


僕自身はこの1年間で全てが変わった感覚なのに、よく行っていた定食屋のおばあちゃんは変わらないし、鯖の味噌煮も変わらない。

街並みなんてのも殆ど変わらず

(昔から変わる事なく変わり続けている)

時代は僕が思う以上にゆっくりと流れている。


なかなかこんな話をタクシーで聞くこともないので僕は嬉しかったし、もしかすると72歳の彼も嬉しかったかもしれない。


"運転手さんあと20年は続けないとだね。みんな話を聞きたいと思うよ。"


"2.3年は自信があるけど、5年後はわからないねえ。なにせ人様を預かる仕事だからね。"


彼にはプロの運転手というものを感じるし、

ナビだって使う事なく目的地まで僕を届けてくれた。

東京の道は殆ど頭に入っているのだろう。

裏道を慣れた手捌きで進んでいく。

既に何度かホテルまで

タクシーを使っているのだけれど、

今回のお会計が1番高かった。


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"詫びたい人ならこの手を合わせて

淋しさ堪えたお前の横顔

過去(きのう)を引きずるそんな影法師"


影法師/堀内孝雄




英国退屈日記『帰国』

シャインマスカットの佇まいが

美しいと思えるのは味を知っているからか、それとも例え中身が酸っぱくとも

美しいと思えるのか、

そんなことをホテルの中で考えていた。

恐らくこの果物が僕にとって一つの幸福と

分かっているからこれは美しいのだろう。

外見の美しさは中身に起因する事が多い訳である。

この葡萄は山梨に旅行に行った母からの贈り物だった。



1年振りに帰国している。

時差に滅法弱く、

いつもこれに苦しめられるのだが、

ヤマさんの優しさか、

僕に時差ボケを感じさせる暇がないくらい

仕事が入っている。

着いた当日にすぐ商談、

翌日はクライアントの展示会、

その次の日からは名古屋、広島、大阪と

23日の出張が待っていた。


清潔さが誇張された

ビジネスホテルのシーツに

久しぶりの感覚を覚える。

小振りなグラスに付いた水滴に

郷愁を覚える。

空港を降りてすぐには馴染めなかった

ふわっとしたあの感覚は湿気のせいか。


兎に角、沢山のことを忘れている。

エスカレーターの左に並ぶとか、

Suicaのチャージには

クレジットカードが使えないだとか、

イヤホンを着けながら踊ってはいけないだとか。


かぶれたといえばそうなのかもしれないが、

それよりも日本の詳細まで

覚えておくことが出来なかったくらいに

容量の少ない僕の頭は一杯になっていたという表現が正しい気がする。


ビザ次第なところがあるのだが、

恐らく10月末頃までの滞在になる予定である。

たくさん会いたい人がいるし、

整体とかエステとか温泉だとかの

メンテナンスにも時間を取りたいし、

鰻ととんかつが食べたい。

ピザとパスタにはあまり誘わないでください。ケバブは見たくもありません。


今日の1曲は東京を題材にしたものが

良いのかと思う。

数多ある東京ソングだが、

今回はこれかな。


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"東京の街に出てきました 

相変わらず訳の分からない事を言ってます

恥ずかしい事無いように見えますか

駅でたまに昔の君が懐かしくなります


君がいない事君と上手く話せない事

君が素敵だった事忘れてしまった事"


東京/くるり





英国退屈日記『フランス人』

顔と顔を突き合わせて

2時間も3時間も全く実の無い話をしていれば

それは間違いなくフランス人だろう。

鳩が身を竦めてごもごもとするそれに似ている。(断っておくが卑下している訳ではない。)

アクセントに角が無く、

丸い音の紡ぎは僕にそれを連想させる。

 

例えば""を説明する際に、

僕ならナイフを持つ手、

日本人にならば毛筆を持つ手と言う。

勿論、右と左を絶対的に定義する事は

不可能なのだが。

それがフランス人にかかると、

 

"いいかい、まずレストランに行ったとする。

席に着いたらウェイターが

まずなにを持ってくる?

水かい?

いやいや、カトラリーさ。

カトラリーには何がある?

ナイフとかフォークだよね。

そうそう、そのナイフとフォーク

君ならどっちの手に握る?

フォークがこっちの手で、

ナイフがそっちの手だよね、

そのナイフを持っている方が

右ということになる。

ところでこのワインきっとチリ産だな。

飲めたもんじゃあないね。"

 

こういった具合である。

こんなのを例えを変えて永遠とやる訳だ。

 

からしてみるとなんとも

煩わしく思えてしまうのだが、

この余裕と言うべき(か?)ものが、

艶やかさのある言葉を作るのだから

これはこれでいいのであろう。

アートなんかも余裕のない心からは

卑しいものが出来上がるだけであるように。

 

 

やはりパリは古典的で、

比較的新しいものに閉鎖的な感覚を覚える。

パリ然としたあの街並みはこれらの感覚から

守られている賜物な訳であるから、

勿論悪いことではない。

ロンドンや東京の節操の無い建物に比べれば

遥かにいいのだろう。

個人的にはそんな

ロンドン、東京の街が好きなのだが、

パリではファッション業界も同様で、

新進気鋭の若手が一躍スターという事が

あまり無い。

新しいブランドでも少なくとも、

どこかのブランドで経験を積んでから

自分自身のそれを始める。

ロンドンでは新しいものが、

毎年毎年出てくる。

人々もそれを受け入れる者が多い。

明らかに質が伴っていない物も多いのだが。

 

僕ら日本人だと察する文化が、

長けていて一言二言伝えたいことを

そっと置いておけば、

受け手がこれを感じ取るわけだが、

これはこちらの人には通用しない。

言葉の数は丁寧さを意味し、

なるべく多く言葉を並べるほどいい。

 

"こんなことを聞いて申し訳ないのだけれど、

もしそれが可能だったら大変僕は嬉しく思う。ペンを貸して頂けませんか。"

 

まあ少し大げさだが要はこんな具合である。

なかなかけったいである。

 

 

貴方方がどう思うか、

僕には全く知る由もないし、

もしかしたら誰も知らないのかもしれない。

それでも僕は聞かなければならないし、

こんな事を聞いて貴方達が、

どう思うか自信もない。

聞いてしまって何かが

壊れてしまうかも知れない訳で、

しかし恐れながらも僕は言いますね。

 

もし、お気になさらないようであって、

それが可能なのだとしたら、

僕にとってこんなに喜ばしいことは、

他には考えつかないくらい今僕は眠いので、

今日はここまでにしていいですか?

 

 

 

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僕らはそのときそこにあるものを、

あるがままに愛そうと努めるしかない。

そういう前向きな(あるいは諦観的な)

視点を持って眺めれば、

降り続く雨に濡れた五月のポーランドは、

とても美しい国だった。

 

スカイワード9月号/村上春樹

そこに愛はあるかい

かなりタイトなパリ出張を終え、

引っ越しやビザの手配、

日本に帰る準備にと、

音が聞こえるくらいバタバタと

しているうちに、

いつの間にか26歳になっていた。


この一年が

怒涛のものになると、

予想はしていたが

そんなものではなかった。

春夏秋冬が1日のうちに

いっぺんに来ては

過ぎ去って行き、

それが毎日繰り返される様な

目まぐるしさだった。




全ては変わらないし、

全ては変わってしまった感覚である。





水を汲み上げる為に、

井戸を作るということは

まずは土をずんずんと

掘っていかなければならいが、

その工程は無味で、

果たしてこの先に

何が待っているか

検討もつかないものである。

時には土壌が硬く、

30センチ掘るのに

1ヶ月かかるかもしれない。

それでも下に下に進む必要がある。

底に突き当たった時に、

見えるものがあるのだと思う。

25歳はそんな一年であった。




そこに愛はあるかい?




と、

ドラマ"ひとつ屋根の下"

の様な、質問を投げかける。


全てはここに尽きていて、

そう思えないものは、

そっと外していく必要があって、

愛を持って寄り添える人、ものを

26歳の僕は

より大切にしたいなと思う。



フランスでデザイナーをしている

友人と話していたのだが、

愛というものは受けた分だけ、

人に与える事が出来る。

お金と一緒である。

無いものは与えられないのだ。


僕はこれに関しては、

たくさん受け取ってきた

自信があるし、

今度は大切にこれを

使っていく時では

ないかなと思う。


掘り当てた水脈から

滲み出る水を、

そっと大切に両手で

汲み取れる様な、

そんな1年にしたいと思う。





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"私は今日まで生きてみました

時には誰かに裏切られて

時には誰かと手を取り合って

私は今日まで生きてみました

そして今私は思っています

明日からもこうして

生きていくだろうと

私には私の生き方がある

それはおそらく自分というものを

知るところから

始まるものでしょう"



今日までそして明日から/吉田拓郎