コスモス

入道雲もとい高気圧ガールは

影を潜め、

代わりに靄のようなすーっと薄い雲がかかり、

コスモスが顔を覗かせ始めた。

雑草の中のそれに

目を取られるのは、

それが花然としていないからか。

自意識が強いものは

何者であろうが、

美しくないという訳である。

 

去年の11月に渡英し、

10ヶ月が過ぎようとしている。

酸素の薄い目まぐるしい日々は、

変わることなく渦を巻き、

僕を飲み込んでいる。


日本社会に辟易し、

本当にやりたいことを求めて

ここまで来た。

こんな僕なんかよりも

器の小さい大人達を

たくさん見てきた。

最後の会社を辞める時も、

まあ散々な言われようだった。

怒りや嫌悪という感情より、

そういった環境でしか

育ってこれなかったのだろうと、憐れみと同情の気持ちが強い。

育ちが良いという事は、

裕福な家庭で育ったという事

ではなく品性の話である。

育ちが悪いとは

何も経済的な話ではないのだ。


特に僕の周りには

いつも素敵な大人が居て、

小さい頃から

彼らの背中を追っていけば、

正しい道を歩んで来られた。

自分1人で決めた事なんて

この短い人生の中で1つもないのかもしれない。

そんな大人の中の1人に会ったのは、

僕が20歳の頃だった。

当時の僕は生地に魅せられて、

虫眼鏡で生地の組織を眺め、

ジーンズの生地の違いを知るために、

岡山やサンフランシスコに

足を伸ばしていた。

真の洋服好きはみんな

生地屋になるんだと

信じてやまなかった。(実際はくたびれたおじさんが殆どを占めていた。)

友人を介して知り合った彼は

ヤマさんと言い、

長髪に着古したチェックシャツを羽織り、愛犬のフレンチブルドッグを膝の上に乗せていた。

話を聞くと生地を触っただけで、

糸の番手が分かるというではないか。

彼は生地屋だったのだ。

本当はそうではないのに、

彼のせいで生地屋はクールな人が

沢山いるのだと思ってしまった。

それから僕はそこに通い、

毎度晩御飯と、

キンミヤのお茶割りを貰った。


いつか一緒に面白いことをしようと言ってくれたことは

今でも覚えており、

それがまさか

ロンドンで僕が生地を売り、

ヤマさんが日本で

僕のサポートをしてくれるなんて

当時は思っても見なかった。


彼抜きでは

僕はここに居られない。

生地に夢を見させてくれた彼が、

僕を助けてくれているから、

僕はこちらで仕事が出来るし、

生地を買ってくれる人がいるから、

僕はここに留まることが出来る。


日本で動いてくれている人がいて、

それを買ってくれる人がいる。

その間にいる僕は

何にもしていないのだ。

1人で働く様になって、

1人では働けない事を痛感している。

言ってしまえば、僕の立場なんて

誰だって良いのだ。

もうパソコンで良いのだ。


ロンドンで僕の様に

活動している日本人は

前例がなく、

少なくとも今は

僕にしか出来ない事になっているし、

せっかく僕がいるのだから、

僕がいる意味というものを

提示したいし、

少なからずしている気もしている。

ただ、初めに述べた様に、

自意識の強いものは

須く美しくないし、

俺がいるから回ってるんだなんて、

正直全く思っていない。

替えは幾らでもいる。


しかし僕の為に動いてくれる人、

僕と仕事をしてくれる人に替えはない。

そんなかけがえの無い人達と僕は友達になりたいと思っている。

仕事上の関係の人が困っていても、

損得無しに助けたいと思える程

僕は広い心を持ち合わせていないが、

友達であればもし僕に出来ることがあるなら助けたいと思う。

逆に僕のことも助けてくれるのだ。


商談の際に僕は

生地の話を自分からはしない。

それよりも友達としての彼らが

何をしていて、何を感じているかの方が興味があるからだ。



一緒に何かを創り上げれる人達が

僕はやはり好きである。

ただあくまで自分は主体ではなく、

彼らが主体である。


僕が胡蝶蘭になって、

仰々しい鉢を用意され、

リビングにて"我此処に在り。"

ではないのだ。


雑木林の中のコスモスにさえ成れればと思う。




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"転んでも起き上がる

迷ったら立ち止まる

そして問うあなたなら

こんな時どうする

私の心の中にあなたがいる

いつ如何なる時も

1人で歩いたつもりの道でも

始まりはあなただった

Its a lonely Its a lonely road

But Im not alone そんな気分"


/宇多田ヒカル